写真集、書籍で買うか電子で買うか
この年末年始で、ストリートスナップの写真集を数冊を買いました。出かけた先で本屋に立ち寄り、荷物になるのでその後ネットで購入。ポイントもついて若干お得に購入できました。
ネット購入すると少し気になるのが、電子書籍で出ていないのか、ということ。個人的に書籍は電子書籍で購入し、電子化されていない小説などは興味があっても手が出ないのが正直な所。今回購入した写真集も、出来れば電子書籍で購入したかったと思っています。ヨドバシポイント20%ですし。
とは思うものの、私自身も写真が趣味で、フォトコンのため紙に出力することもあります。その立場から「写真集」というジャンルの書籍を電子化するか否か、「作者」と「読者」それぞれの視点で考えてみたいと思います。
「読者」としての主張
1. 手に取りやすさ
そもそもなんでこの話をまとめようと思ったのかというと、本屋で見つけて買おうと思った写真集が、大きかったり規格外の形をしていたりで、持ち運べないし何より見づらいと思ったからです。実は2冊面白い写真集をみつけましたが、その理由で1冊は購入を見送りました。
書籍という形態を取る以上、「開いて捲る」という行為を経なければ内容に触れることはできません。その行為へ至るまでの敷居が、特に書店で「試し読み」という時点で高すぎる気がします。加えて写真集は本そのものが「芸術品」としての側面もあるため、巨大だったり縦長だったり、書店の本棚でもバラバラに陳列されています。ずっしりした特大ハードカバーの横長とか、手に取ろうとも思えません。
2. 読みやすさ
電子書籍の場合、1頁をPCやタブレットの平面上で均等に表示されます。各頁をバラバラに捌いて、1頁1頁机に並べるイメージですね。
これが書籍になると、「ノド」と呼ばれる箇所がどうしても発生します。書籍を見開いた時に中央にできる谷のことですが、この箇所はどうやっても見えません。上に載せた画像は漫画「ソウルイーター」の一幕で、ノドの部分をうまく利用したシーンですね。バカめ。
写真集の中には、見開きで横長(縦長)の写真を載せているものもあります。その時ノドの部分が見えないのは「作者の意図」なのでしょうか。その写真が日の丸構図の写真だったりしたら、最悪です。これが電子書籍であれば、横位置表示にすることでノドも気にせず全体を見ることができます。
3 持ち運びやすさ
これは全ての電子書籍に共通ですが、物理的に存在しないということは、様々な媒体で手軽に持ち運んで見ることができます。家でじっくり見たいときはPCの画面で、出先やベッドサイド等で見たいときはタブレットで。拡大表示やサムネを見てジャンプなどもできるため、閲覧性も悪くはありません。
以上が、私が思う「読者」としての意見です。電子書籍でも出していただければ、読みやすいし管理も楽なのに、と思います。
では実際に写真を撮って出力して陳列することもある立場として、「書籍」としての電子書籍にどういった側面があるのか、考察したいと思います。
「作者」としての考え
1. 紙と色
写真を「作品」として捉えた際に、重要なのは「被写体」のみではありません。印刷する紙の質感(光沢紙・マット紙・和紙 等)が写真の表現と一致しているか。印刷後の色味が自分の思った通り表現できているか。写真を印刷する時、そこまで含めて一つの「作品」を作りあげます。
これが電子書籍になると、被写体以外のすべてが作者の手許から離れます。紙質はもちろん、色味もディスプレイの設定や表現力に依存します。そうして読者の手許に届いた「画像」は、写真家が表現した「作品」なのか、疑問ではあります。
2. 「写真集」としての意味
電子書籍と紙の書籍で最も異なる点は、「物理的に存在しているか否か」に付きます。何を今更、と思う方もおられるでしょうが、物理的にあるということは、どこかに置いて保管する必要があるということです。
写真集の表紙はその写真集を代表する1枚が選ばれるはずで、人目を惹く写真が厳選されています。更にハードカバーだと高級感もあり、他と違う形や大きさにすることで、更に人の目を惹くことができます。実際写真集やレコードの表紙を部屋に飾る人も多く、作者の写真を通して購入者の自己表現にも繋がります。
3. 印税の話
書籍を出版する上である意味最も重要な、お金の話。出版社にも依るでしょうが、一般的に電子書籍は販売数に、紙の書籍は発行数に応じて印税が支払われます。つまり紙の書籍の場合、最悪読者に届かなくても書店に並んだ時点で印税が発生します。
他にも電子書籍はまだまだ需要が低かったり、媒体が様々で統一性が無かったりするため、重版や次回作の判断基準になりにくいといった都合もあるそうです。写真集出版もタダではないので、マネタイズにつながらない媒体は避けたいというのも分かります。
一読者の意見を残しておきたい
「作者」としての主張は他にも色々あるとは思います。作品として形に残すこと自体に「作者」として意味があり、発行元や媒体の都合で消えてなくなるデータとは違うのも理解はできます。
ただ一方で「読者」としては、「でかい」「見づらい」というのが大きすぎて手に取ることすら憚られることも間々あるというのが、「作品」を鑑賞する上で気持ちの良いものではありません。室内光の反射や、大きくて捲り難いというのは、まだ我慢できます。せめて見開きのノドで作品の一部が見えなくなるのは止めてほしい。
「作品の一部が見えない」という理由だけでも、私は写真集こそ電子書籍で買いたいと思っています。特に色再現度の高いディスプレイと、タブレットのデファクトスタンダードと言っても過言ではないiPadを手にしてから、この傾向が強いです。
写真集を出されるような写真家は既に影響力があるので、当然作品として残す以上紙の媒体を推しますし、その意見が広く浸透するはずです。一方で一読者として、そのやり方に疑問を呈する声があることも、広大なネットの海に掃き溜めておきたいと思いました。
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