【vol.8】福山市のイエナプラン教育校開校と開校経緯の問題点
◆はじめに
前回は、福山市の内海学区で進められている学校再編事例について紹介してきました。その中で、常石学区では「イエナプラン教育校」の設立計画が出され、すでに移行期間として異学年クラスによる授業が行われているということに触れました。
(【vol.7】子どもたちが育つ場を模索する内海町に対して、福山市教委は何を行おうとしているのか)
今回は、イエナプラン教育とはどのような教育なのか、そしてどのような経緯で常石学区に「イエナプラン教育校」を開校することになったのかを見ていきます。そしてそれらを踏まえ、福山市教委が常石学区に「イエナプラン教育校」設立を決めたことに付随する問題点を明らかにし、福山市で行われている統廃合の原因を探ります。
「イエナプラン教育校」の設立計画の発端は、2018年にツネイシホールディングス株式会社が福山市教育委員会教育長に向け、「常石小学校の教育発展に向けた提案について」という提案書を提出したことでした。まずは、イエナプラン教育というものがどういう教育なのか見ていきます。
◆イエナプラン教育とは
イエナプラン教育は、1923年にドイツの教育学者ペーター・ペーターセンが創設した教育法です。その後イエナプランの教育方法はオランダで広まりました。1960年にオランダで初めてイエナプラン校が設立されて以降、急速にオランダ全国に教育法が広まり、2020年には世界で公立校・私立校合わせて200校以上のイエナプラン小学校があります。
イエナプラン教育では「20の原則」が定められています。これらの原則は「人間について」「社会について」「学校について」の3つのカテゴリーに大きく分けられています。(日本イエナプラン教育協会「イエナプランのコンセプトとクオリティ」)「20の原則」を読むと、「個を尊重する」「社会性を育てる」「子ども自身の意欲や意思を尊重する」というイエナプランの教育方針がわかります。
イエナプラン教育の特徴として、主に①異年齢による学級構成とリビングルーム、②自立学習方式の「ブロックアワー」、③「ワールドオリエンテーション」④「サークル対話」、⑤4つの基本活動があります。
①について、イエナプラン教育は学校や教室を「生と学びの場」として捉えているため、教室のことを「リビングルーム」と呼びます。「生活の場」というニュアンスです。また、ひとつのグループ(学級)は2学年または3学年にわたる子どもたちで構成されます。毎年学年が変わるごとに年長の子どもが次のグループに進級し、年少のこどもがグループに新しく加わります。同じリビングルームで学ぶ生徒たちは、「ファミリーグループ」と呼ばれます。
②について、基本的な教科学習は一斉授業ではなく、自立学習を中心に進めます。子のようなスタイルの授業時間のことを「ブロックアワー」といいます。学年が違う子どもたちが違う課題に取り組むのはもちろんのこと、同じ学年の子どもであっても個々に応じた課題に取り組みます。
③について、子どもたち同士の対話や探究活動が必要な発展的な学習については「ワールドオリエンテーション」という時間で行います。「ワールドオリエンテーション」は基本的にプロジェクト形式で行われ、子どもたちは観察・実験や文献・インタビュー調査などを通じて教科の壁を越えた知識を身に付けます。
④について、イエナプラン教育では教科学習だけが学校の役割ではないと考えられているため、1日の学校生活の中に「サークル対話」という時間を設けています。子どもが気付いたこと、考えたことを自由に話したり、意見を言い合ったりします。
⑤について、イエナプラン教育の学校では、教科がない代わりに「対話」「遊び」「仕事」「催し」の4つの基本活動を循環的に行います。「対話」はグループ全員が円形に座り、さまざまなテーマについて話し合うサークル対話形式で行われます。人と人とのコミュニケーションを大切にするという狙いがあります。「遊び」は企画された遊びや自由遊びなど様々な形態があります。ゲームや演劇づくりを通じて教育効果を得たり、感情表現を豊かにしたりする狙いがあります。「仕事」はいわゆる学習のことで、自立学習と共同学習の2種類があります。学年や学習内容の理解度が一人ひとり異なるため、子ども同士でわからないところを教え合うことが日常です。「催し」は週の初めや終わりの会、年中行事などに行われます。さまざまな感情を子ども同士で共有することで共同体意識が育ちやすくなると考えられています。
このようにイエナプラン教育は「一人ひとりを尊重しながら自立と共生を学ぶ」教育であり、異年齢の子どもたちを交流させることや個々に応じた課題を行うということを通じて「できない子」の固定化を防ぐ役割を持つ教育であるといえます。
イエナプラン教育とはどのような教育であるかを確認したうえで、なぜ福山市でイエナプラン教育校を開校する計画が立てられたかを見ていきます。
◆広島県教育委員会とイエナプラン教育の出会い
福山市がイエナプラン教育を導入するきっかけとなった出来事があります。それは、広島県教育長と教育委員会のメンバーによるオランダの教育現場の視察です。この視察の様子は、2019年5月30日に放送された「NHKスペシャル シリーズ 子どもの“声なき声” 第2回 “不登校”44万人の衝撃」の中でみることができます。
2019年時点で、広島県では病気や経済的な理由を除き、年間30日以上欠席する不登校の中学生は2,149人おり、またそれ以上に、登校はするものの学校生活のほとんどの時間を保健室や廊下で過ごす「隠れ不登校」の生徒が多くいると考えられていました。県教委は、不登校児童の対応が大きな課題であるとし、これまで校内フリースクールの設置などの取組を行ってきました。そして、更なる対応を講じるための参考とするために、2018年の秋に県教育長と教育委員会のメンバーはオランダの視察を行いました。
県教育長はオランダのイエナプラン教育校を視察し、イエナプラン教育が不登校生徒をはじめとした県内の子どもの学習機会の確保のために良い教育方法であると考え、広島県内でイエナプラン教育を導入することを検討しはじめたと考えられます。そして2018年8月7日に、福山市で行われた「第16回 福山教育フォーラム」において、教育長がイエナプランを紹介しました。
このように広島県教育委員会が不登校生徒の対応の一環として、多様な学びの場を提供するために海外視察をして学んだイエナプラン教育は、後になって福山市の常石学区で展開されることとなります。どのように福山市に「イエナプラン教育校」が開校されることとなったのか、その経緯を見ていきます。
◆常石学区の「イエナプラン教育校」設置までの経緯
前回の記事で示した通り、常石小学校は、2017年3月に立てられた「(仮称)千年小中一貫教育校の整備計画」の再編対象校として指定されていました。(【vol.7】子どもたちが育つ場を模索する内海町に対して、福山市教委は何を行おうとしているのか)しかし、その後2018年9月に「常石小学校存続推進協議会」が設立され、常石小学校の存続のための動きが活発となりました。
2018年12月12日に常石小学校存続推進協議会は「福山市立常石小学校存続推進に係る決議について」を議決します。
2018年(平成30年)12月12日
福山市立常石小学校存続推進に係る決議について
〈常石小学校存続推進協議会より 省略・強調は筆者〉
常石小学校は、明治5年(1872年)に介如校として創設されて以来、時代の変遷につれ、6度校地校舎も移り変わり、150年にならんとする足跡を刻みながら、4,500名余りの卒業生を送り出してきました。ここに学び、この地に生きた人々の心意気は、今も変わらず引き継がれており、地域の小学校への愛着は強固なものがあります。
また、造船業を中心にした地元企業である常石グループのまちづくりにおける役割は、他に類を見ない程大きく、(中略)ソフト・ハードの両面で長い歴史を持っています。小学校の敷地内に、創設者の胸像が設置されていることからも、その深いかかわりを推し測ることができます。この度、引き続き常石グループにおいて、耐震工事等の教育環境整備等の地域貢献を考えていることが確認できました。
このように常石小学校は、創設時から官民一体の学校運営という、時代の先駆け的な学校でした。地域と地元企業が手を携えてきた伝統をベースに、個別最適化された子ども主体の新しい教育内容を行政が取り入れ、産官学民の連携による小学校へ再生していただきたいと考えます。(省略)
ついては、先人たちの精神に想いをはせながら、地域・地元企業・行政・小学校が連携して、技術革新が進む時代にも適合した教育を育んでいくことをここに決議します。
常石学区には、「ツネイシホールディングス株式会社」の本社が置かれています。ツネイシホールディングス株式会社は、造船や海運、エネルギーをはじめとした分野を手掛ける、備後地方に地盤を置く会社です。これまでもツネイシホールディングス株式会社は住環境の整備や就学支援、そして常石小学校の整備支援の役割を果たしてきました。
2017年3月の「(仮称)千年小中一貫教育校の整備計画」の中で、常石小学校が再編計画の対象校となったことを受け、常石小学校存続推進協議会が改めてツネイシホールディングス株式会社の協力を求めました。そして官民の連携によって新しい教育を実施することで学校を存続させるよう市教委に要望したことが読み取れます。
その後、2018年12月21日にツネイシホールディングス株式会社から市教委に向けて、イエナプラン教育校として常石小学校を存続させるという内容の「提案書」が提出されました。
2018年(平成30年)12月21日
提案書
〈ツネイシホールディングス株式会社より 引用・要約〉
弊社は、常石小学校存続推進協議会と協議し、常石グループの地域貢献として、常石小学校の教育発展に向けて、地域と企業が一体となって取り組むことを確認いたしました。
これからの日本の教育は、(中略)主体的に基礎学力を技術革新や価値創造につなげられる教育へと、新たな時代に向けた学びの変革の方向性が示されています。また、増加する外国人労働者とその子弟への教育もますます重要になると捉えております。
そこで常石小学校において、日本でも注目を浴びつつあり、広島県教育委員会平川教育長が今年度の福山市教育フォーラムにおいて紹介された、オランダで普及しているイエナプラン教育の導入をご提案申し上げます。
(中略)
地域には、(中略)教育課題を解決する資源が既に整っております。こうした取り組みを、常石地区のみならず、沼隈・内海を含め、周辺地域に広げてさらに充実し、学校教育と地域の発展に、より一層貢献していきたいと考えております。
常石小学校の耐震工事等の教育環境整備については、引き続き常石グループが支援いたしますので、イエナプラン教育の理念を取り入れ、常石グループの資源を活用して、これから求められる新たな学び場として、福山市全域、さらに全国から期待を受ける学校となるよう官民で知恵を出し合い、作り上げていくことをご提案いたします。
この提案を受けた市教委は、イエナプラン教育は、一人ひとりの子どもたちの学ぶ過程を大切にして子ども主体の教育を目指すという「福山100NEN教育」の理念の考え方と方向性を同じくするものとして受け入れます。実は、先述の広島県教育委員会の海外視察に現福山市教育委員長が参加しており、「NHKスペシャル シリーズ 子どもの“声なき声” 第2回 “不登校”44万人の衝撃」の中で、イエナプラン教育について好意的に捉えている様子が見られました。
そして2019年2月13日の「福山市教育委員会会議」において、市教委は正式にこの提案を受け入れます。こうして「(仮称)千年小中一貫教育校の整備計画」は変更され、常石小学校は、「イエナプラン教育校」として2022年に開校することが決められました。既に2021年度から移行期間として、異年齢クラスによる授業が先行して行われています。
◆「イエナプラン教育校」開校に付随する問題点
ここまで常石学区に設立される「イエナプラン教育校」の開校までの経緯を紹介してきました。常石小学校は、はじめは学校再編の対象校とされていましたが、地域住民や地元企業の提案を受けて最終的には存続することになりました。市教委が住民の要望を受け入れたことで、地域に学校が残されたのです。
ここで、大きな疑問が浮かび上がります。前回までの山野学区や内海学区の学校再編の経緯で記したように、両地区でも市教委に対して学校存続の要望書の提出がされています。山野学区では2016年に7月に、山野小学校を小規模特認校として存続してほしいという要望書を市教委に提出しました。(【vol.5】福山市教委はなぜ山野の学校を統廃合しようとするのか)
内海学区でも、2015年に保小中一貫校の設立等を含む要望書が市教委に対して提出され、さらに2019年には学校存続に対する要望書が提出されています。(【vol.7】子どもたちが育つ場を模索する内海町に対して、福山市教委は何を行おうとしているのか)しかし市教委は、山野学区や内海学区の要望書はいずれも集団教育の必要性を主張して受け入れませんでした。どうして常石学区の提案は受け入れられたのに、山野学区や内海学区の提案は却下されるのでしょうか。
常石学区の提案が市教委に受け入れられた大きな要因として、イエナプラン教育を実施するということが考えられます。しかし、イエナプラン教育の内容を確認すると、山野小学校や内海小学校での少人数教育が、すでにその機能を果たしている点もあるのではないかと考えられます。例えば、異年齢によるグループ活動は、小規模校の複式学級の中で実施することができます。またイエナプラン教育は、不登校生徒のための多様な教育の提供という役割も果たすとしていますが、山野小学校では集団教育になじめない子どもたちが通っているという事実があることから、小規模校が不登校の子どもたちの教育の受け皿となっているとも言えます。
市教委は、イエナプラン教育は市が目指している教育理念と方向性が同じものだということを主張していますが、小規模校での教育を工夫することで市の目指す教育が実現できると考えることができるのではないでしょうか。また、常石学区に「イエナプラン教育校」を開校するとしても、地域が存続を要望している山野小学校や内海小学校などの小規模校を無理に統合する必要はあったのでしょうか。
それから常石学区の提案が受け入れられたもう一つの要因に、ツネイシホールディングス株式会社による資金提供があるということも考えられます。もし民間の資金提供が学校存続に影響を与えたとすれば、市教委による福山市の無理な学校再編の理由はコスト面にあるということがいえるでしょう。
常石小学校が市教委の学校再編の対象校に指定されてから、常石学区の住民は「常石小学校存続推進協議会」を組織するなど学校存続への活動を活発に行ってきました。住民らによるこのような活動が、常石小学校を存続させる大きな要因となったことは間違いありません。しかし、山野学区や内海学区でも住民の学校存続のための活動は同じように行われてきました。常石小学校の存続要望が受け入れられた要因がいずれにせよ、市教委が地域を選別していることは事実としていえるのではないでしょうか。
次回は、市町村合併と学校統廃合の関係について見ていきます。
M・Y
【参考文献等】
《文献》
おおたとしまさ「世界7大教育法に学ぶ才能あふれる子の育て方 最高の教科書」大和書房
リヒテルズ直子「今こそ日本の学校に!イエナプラン実践ガイドブック」教育開発研究所
《ホームページ》
日本イエナプラン教育協会ホームページ(閲覧日:2021年8月28日)
福山市教育委員会100NEN教育ホームページ(閲覧日:2021年8月28日)
福山市教育委員会イエナプラン教育(閲覧日:2021年8月28日)
福山市教育委員会教育会議資料 2019年(平成31年)2月13日(閲覧日:2021年8月28日)
《記事内資料》
2018年(平成30年)12月12日「福山市立常石小学校存続推進に係る決議について」(常石小学校存続推進協議会)
2018年(平成30年)12月21日「提案書」(ツネイシホールディングス株式会社)
※ともに筆者引用・要約
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