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世界映画市場分析④〜最適なチケット料金とは?〜

前回「世界映画市場分析③〜国産映画の盛り上がりが未来を分ける〜」では、国産映画のシェアを高めることが、この難局を乗り越えるひとつの方法であると書きました。国産映画の興収シェアが過半数を超える国はわずかに8カ国(イラン、アメリカ、インド、中国、日本、エジプト、韓国、トルコ)のみで、幸い日本では68.8%という高い自給率を誇っています。

一方、全世界で動員数No.1を誇るインドの事例を考えるに、「チケット料金設定」も映画市場の活性化に密接に結びつく要素だと言えそうです。世界の映画市場におけるチケット料金の設定はまさにマチマチで、各国で最適な料金設定を模索しているように見えます。まずは現状について確認してみましょう。

世界の平均チケット料金は?

下は興収TOP10市場の年間平均チケット料金をまとめた表です。

興収TOP10市場における平均チケット料金
※2022年データ

下は1.5ドルから上は12.1ドルまで、大きな開きがあるのがわかります。

日本では最近興行各社により一般鑑賞料金が2,000円に値上げされましたが、2022年の段階ではチケット料金の平均は1,402円と発表されています(日本映画製作者連盟より)。ドル換算すると10.7ドルですね。

TOP10市場の平均が8.64ドルですから、日本のチケット料金はやや高めの設定ということになります。ちなみにMarche du Filmの調査対象となっている68カ国の中でもっとも高額なのはサウジアラビアの16.8ドルで、日本の10.7ドルは14番目に高い料金となっています。

ほか、日本より高額な料金設定になっている国々を見てみると、スイス、デンマーク、フィンランドなど北欧の国々や、アラブ首長国連邦、カタール、クウェートなど中東諸国の名前が目立ちます。当然ながらチケット料金は、その国々の物価や国民平均所得などが大いに関連していますので、その金額だけで横並びに比較することはできません。

映画料金がお財布に与える影響で比べてみる

ということで、各国のチケット料金が「国民一人当たりの購買力平価GDP」に対して割高なのか、割安なのかを検証してみましょう。

「購買力平価GDP」とは…

各国の対ドルレートの代わりに購買力平価でもってドル換算したものが購買力平価GDPである。購買力平価は自国と相手国で取引されている様々な商品の交換比率を表している。〜(中略)〜購買力平価GDPは各国の物価水準の違いを考慮しており、各国のGDPを生活水準に見合った形に修正し実質価値(購買力)を比較することができる。

一般財団法人 国際貿易投資研究所(ITI)
「なぜ日本は米国よりも一人当たり購買力平価GDPの順位を下げるのか」より

チケット料金が国民一人当たりの購買力平価GDPに対してどれだけの割合を占めるのかを計算してみました。先ほどのグラフと同様、興収TOP10市場を対象にしたものです。

興収TOP10市場における国民一人当たりの購買力平価GDPとチケット料金割合
※購買力平価GDPの出典:世界経済のネタ帳

購買力平価GDPにおけるチケット料金の割合=つまりは映画1本を鑑賞するのにお財布にどれだけのインパクトを与えるのか?という数字です。

先ほど日本を含むチケット料金が高額な国々を挙げましたが、この「お財布インパクト」を指標にすると、また見え方が違ってきます。カタール、アラブ首長国連邦、ノルウェー、オランダ、オーストリアなどの国々は、平均チケット料金は高額に見えるものの、国民の所得に照らし合わせればむしろ割安な設定になっています。

同じく、平均チケット料金は日本とほぼ変わらない10.5ドルのアメリカも、購買力平価GDPが高いため、お財布へのインパクトは低めになっています。近年、映画料金も右肩上がりに高騰していますが、まだまだ庶民にとって親しみやすい料金設定であると言えそうです。ちなみに、北米におけるチケット料金の変遷については「2022年 全米ボックスオフィス考察②〜公開規模別の興行収入分析〜」で解説していますので、ご参考ください。

ちなみに日本のお財布インパクト0.022%は興収TOP10市場では2番目に高く、調査対象68カ国中でも10番目に位置します。全体の平均値は0.018%ですので、日本はやはりやや割高ということになりますね。ただし、このチケット料金にはIMAXやDOLBY、4DXなどのいわゆるラージフォーマット料金も含まれるので、他国のそれと単純な比較はできません。日本ではラージフォーマット鑑賞の人気が高く、その特別料金が全体の平均料金を押し上げています。もとの料金設定がやや割高であるという事実の上に、特別料金を払ってでも極上の鑑賞体験を求める国民の嗜好性も反映されていることを考慮すべきでしょう。

最適なチケット料金設定とは?

各国の状況を確認したところで、「日本市場における最適なチケット料金とは?」という困難なテーマについて考察してみたいと思います。いきなり弱音を吐くようですが、はっきり言ってこれは難題です。現時点で明確な答えを出すのは不可能かもしれません。

先ほどの考察で述べたように、当然ながらチケット料金設定は「お財布に与える影響」と切っても切り離せません。ということで、まずは購買力平価GDPが日本と近しい国々のチケット料金設定を確認してみましょう。

各国の人口、購買力平価GDP、年間興収、動員数、スクリーン数、平均チケット料金
※購買力平価GDPが日本と近しい国々を抜粋

スクリーン数の供給量も似通っている3カ国(韓国、イタリア、スペイン)と比較すると、よりわかりやすいでしょう。これら3カ国におけるチケット料金のお財布インパクト(チケット料金/購買力平価GDP)は、0.014%〜0.015%と似たような数字になっています。これらの国に倣うなら、日本の料金設定は約7.1ドル930円あたりが最適ということになります(Marche du Film調査時のレート=1ドル131円で換算)。現在の日本の平均チケット料金1,402円からだいぶ引き下げる必要がありますね。

問題は、この料金引き下げにより、映画人口が増えるかどうかです。上記3カ国はこの料金設定で集客を最大化できているのでしょうか?3カ国とも人口は日本の約40〜50%という水準ですが、動員数にはそれぞれ大きな開きがあります。韓国は年間1億1,280万人、スペインがそれに次ぐ6,170万人、そしてイタリアが4,790万人。人口を動員数で割った「人口あたりの平均動員数」は、韓国が2.2人、スペインが1.3人、イタリアは0.8人となっています。

この「人口あたりの平均動員数」はその国の国民がどれだけ映画鑑賞にコミットしているかを表すひとつの指標になりますが、韓国の2.2人はフランス、オーストラリアと並んで世界でもっとも高い数字です。つまり韓国は、日本より割安なこの料金設定をうまく集客につなげていると言えそうです。

一方、全体の平均値(1.0人)を下回る0.8人のイタリアは、料金設定が集客につながっていないのが現状です。優れた名作を数多く輩出してきた映画大国というイメージがありますが、国産映画の興収シェア率は21.2%と決して高くなく、映画館離れが進んでしまっている可能性があります。

ちなみに日本の「人口あたりの平均動員数」は平均値をやや上回る1.2人です。仮に韓国と同じ料金設定にして、平均動員数も同じ水準に引き上げることができたら、興収を増やすことはできるのでしょうか?計算してみましょう。

日本の現状
料金:10.7ドル(1,402円) 
平均動員数/人口:1.2回
動員数:1.52億人 
年間興収:16.3億ドル=2,131億円

韓国モデルで換算すると…
料金:7.1ドル(930円) 
平均動員数/人口:2.2回
動員数:2.75億人(181%) 
年間興収:19.5億ドル=2,554億円(120%)

※1ドル 131円計算

韓国と同じ料金設定にして、結果同じ平均動員数を実現できた場合、動員数は81%増の2.75億人、年間興行収入は20%増の19.5億ドル=2,554億円となります。2000年代最高の興収を記録した2019年に肉薄する数字ですね。

もちろん、料金を引き下げただけで韓国と同じ動員レベルが実現するわけではないでしょう。韓国の平均動員数2.2人は世界トップの水準であり、Netflixを中心とした配信サービスで次々と生み出される人気作品を例に挙げるまでもなく、優秀なクリエイターたちが次々と誕生しているアツい“震源地”です。

ただ、その韓国も大きな課題を抱えています。優秀なクリエイターや出演者の人気が上がるほどに、作品の製作費が高騰しすぎて利益が伴っていないのです。国民的スター、ファン・ジョンミン&ヒョンビンがW主演した映画「極限境界線 救出までの18日間」は170万人超を集客したものの、収支ラインである集客数の半分以下に終わってしまいました。

お金をかけて良い映画を作れば必ず観客が殺到する……わけではないのが、映画ビジネスの難しいところです。国産映画が好調な日本ですが、その実、実写映画の興行は苦境に立たされているのが現実です(「2022年日本映画市場考察②〜邦画アニメが市場を席巻している〜」)。ただ、コスパにとらわれることなく、良質な映画を生み出し続けなければ、映画市場の発展はありえません。

良い映画を生み出すためにはその原資として集客=売上が必須です。チケット料金を下げることで、その差分を補って余りある集客増が見込めるという確証がない今、そのリスクを取るのは現実的に難しい判断になるでしょう。平均動員数/人口=2.2人という高いハードルをクリアするためには、他にも様々な施策が必要です。チケット料金を安くするだけでお客が殺到するわけではないことは、他国の事例が証明しています。主な事例を見てみましょう。

価格を下げれば動員は増えるのか?

購買力平価GDPにおけるチケット料金の割合=お財布インパクトが低い国々のチケット料金と動員数を下の表にまとめました。

お財布インパクトが低いチケット料金設定の国々の動員数

Marche du Film調査対象68カ国の平均値0.018%を下回る国々は、その安価なチケット料金設定を動員につなげられているのでしょうか。表の左端「人口あたりの平均動員数」を見てみると、どうやらその成果は国によって異なるようです。

例えば、お財布インパクトがもっとも低いトルコの平均動員数は、わずか0.4人にとどまっています。68カ国の平均値がちょうど1.0人ですので、かなり低い水準と言わざるをえません。トルコだけでなく、カタール、ルーマニア、イタリア、ポルトガル、ドイツなども平均値に届かず苦戦を強いられています。

一方で、トルコと並んでお財布インパクトがもっとも低いシンガポールでは、平均動員数が1.8人と非常に高い数字となっています。ほかにも、アイルランド、フランス、アメリカ、韓国、香港は平均値を大きく上回っており、映画鑑賞が国民の娯楽として浸透している様子がみてとれます。

というわけで、チケット料金が安価なら必ず動員が増えるのかというと、残念ながらそうではないことがわかります。ただ、平均動員数で大きな差が出たこの両者のあいだには、実は明確な理由があります。それについては項を改めて解説したいと思います。

中国が採用するダイナミックプライシング

今度は逆に、お財布インパクトがTOP10マーケットの中でもっとも高い中国の事情を見てみましょう。中国の0.029%という数字は、日本の0.022%を上回るもので、多くの国民にとって映画のチケットは割高な料金設定になっています。ちなみに、調査対象68カ国中でも6番目に高い数字です。

中国の映画市場はこの10数年で急激に成長しており、新しい映画館の建設ラッシュも続いています。チケット料金もここ数年でどんどん高くなっており、2021年には平均42元(約840円)だったものが、2022年には46元(約920円)ほどになっているようです。

14億人という世界一の人口を抱える中国ですが、割高な料金設定の影響で、人口あたりの平均動員数は0.5人とかなり低い数字になっています。所得格差が社会問題として叫ばれる状況のなか、映画鑑賞を娯楽として楽しめる層は限られているのかもしれません。

また、中国では作品や時間帯によって料金が変動する、いわゆるダイナミックプライシング制度が採用されています。集客が見込みにくい時間帯では料金が20元(約400円)ほどの安価に設定されることもあれば、大型連休の興行などでは80〜120元(1,600〜2,400円)に引き上げられることもあるようです。人気作品の初回などはプレミア価格として販売され、例えば「アベンジャーズ/エンドゲーム」初回のチケットは350元(7,000円)で売られていたとか。

中国における「オッペンハイマー」料金設定
※チケットアプリ猫眼を参照

余りそうな座席は安価にしてたたき売り、人気の座席は高めの料金設定で搾り取る…。守銭奴の所業のように思えますが、そもそも全作品のチケット料金が均一であるという制度のほうがおかしな話で、ダイナミックプライシングは市場原理からすれば自然なことだと言うこともできます。実際、安価な座席がお財布事情とマッチして新たな顧客層を生み出している可能性はありますし、高いお金を払ってでもいい席で観たいという既存ファンには、座席争奪の競争率を下げるという意味で都合がいい部分もあるかもしれません。

全国民のお財布事情を平等に考えるならば、「一人当たりの購買力平価GDPに対するチケット料金の割合」は、世界の平均値である0.0018%程度に抑える必要があるのでしょうが、中国ではダイナミックプライシング制度を導入しているがゆえに、平均値よりかなり高い0.0029%という水準を実現しています。割高な料金設定は、ダイナミックプライシング制度によって集金が最適化されている証という見方もできるでしょう

現時点で中国以外の国々がダイナミックプライシングを導入しているのかどうかの調べがついておらず、この制度がどれだけ有効なのかを結論づけることはできないのですが、少なくともひとつの方法論として検証する価値はありそうです。

チケット料金の問題は非常に複雑です。観客にとって最適な料金を提示することで集客を最大化する必要がある一方で、新たな作品や上映設備を作り出す十分な原資=売上を確保する必要があります。そのバランスをどうとっていくのか。いま日本はチケット料金値上げの方向に舵を切っていますが、その目的は未来に向けた「原資の確保」であると推測します。

その推測の根拠と、文中で述べた「国によって平均動員数で大きな差が生じる明確な理由」について、次項で解説したいと思います。

世界映画市場分析⑤~映画館の供給は足りているのか?~」に続きます。



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