アメリカの絶望と希望が見える『mid90s ミッドナインティーズ』『行き止まりの世界に生まれて』
基本的にアメリカのスケートボードカルチャーには、接点もないのですが、映画『mid90s ミッドナインティーズ』を10月13日に観に行って、「こりゃ、『行き止まりの世界に生まれて』も観なくちゃな」ということで、17日に観てきました。
『mid90s ミッドナインティーズ』は、「『21ジャンプストリート』などの出演でも人気の実力派俳優ジョナ・ヒルが監督としての才能を開花させたデビュー作。ジョナ・ヒル自身の半自伝的な10代の想い出をもとにした珠玉の青春映画」
公式サイトより
「『行き止まりの世界に生まれて』はスケートビデオとして始まり、スケートボーダーの友人たちが、自分の親との関係について語る中で、パーソナルな真実を探究していく」ドキュメンタリー映画。公式サイトより
どちらにも共通するのは、スケートボード、家族、そして彼らを取り巻く環境が、映画の素材として扱われているところでしょうか。
アメリカ大統領選挙を目の前に控えた超大国アメリカ。日本にもガンガン影響を及ぼすアメリカ。この二つの映画から観えるアメリカって?
2つの映画の時代背景を整理してみた
■『mid90s ミッドナインティーズ』の時代背景
『mid90s ミッドナインティーズ』は、ジョナ・ヒル監督自身の自伝的なお話しだそう。
監督の生まれは、1983年12月20日ということなので、1990年に7歳。1995年に12歳。2000年に17歳。とかかな。
1995年は、ビル・クリントンさんがアメリカ大統領の時代。アメリカ経済も基本的に好調の時期だったのではないでしょうか。
■『行き止まりの世界に生まれて』の時代背景
1989年生まれのビン・リュー監督がスケートボードを始めたのは13歳。『行き止まりの世界に生まれて』の映像には、ビン監督が撮りためたスケートビデオと共に12年間の軌跡が収められています。
『僕が8歳のとき、シングルマザーだった母がロックフォードに仕事を見つけ、引っ越しました。そこで母は、身体的にも精神的にも暴力をふるう男と再婚し、17年間一緒にいました。継父はすぐにかっとなり、気まぐれに暴力をふるったので、僕は世界を因果関係に欠けるものとして認識していました。13歳で、家から逃れるようにスケートボードを始めました』公式サイトより
スケートボードを始めた13歳の時は、2002年。19歳でシカゴに引っ越しをしているので、舞台となったロックフォードには2008年まで暮らしていたということになります。
舞台となった地域
■『mid90s ミッドナインティーズ』の舞台
ロサンゼルス。
としか、公式サイトに書いてない……ロサンゼルスといえど、西と東、北と南と、さまざま地域性があると思いますが、日本人のぼくにはまったく分からない。監督のウィキペディアにもカリフォルニア州ロサンゼルスしか書いてないから、なにもわからない……
とはいえ、登場人物たちの生活レベルを考えると、中流の家庭と貧しい暮らしをする家庭がまじりあうエリアのような感じがします。
映画の中では、観光地的な場所は出てきません。あえてロサンゼルス感を出さないことで、どこにでもある風景にしているのかもしれません。
■『行き止まりの世界に生まれて』の舞台
イリノイ州ロックフォード。
こちらは、公式サイトにも詳細が書いてあります。それくらいこの映画にとっては、場所が重要です。
ロックフォードは、2016年の大統領選挙でも話題になったラストベルト the Rust Beltと呼ばれる地域です。
ラストベルト the Rust Belt
『その名の通り、「さび付いた帯状の地帯」。正確な境界線はないが、ペンシルバニア州周辺からオハイオ州、ミシガン州、インディアナ州、ウィスコンシン州、そして、イリノイ州あたりまでの東部から中西部にかけての五大湖周辺の場所を指す。アメリカのかつての製造業や重工業の中心地で、1970年代ごろまでは「工場ベルト」「鉄鋼ベルト」「産業ベルト」と肯定的な名前がついていた。「五大湖メガロポリス」などという言葉すらあった繁栄の象徴で、かつてはここにアメリカンドリームがあった。しかしその後、グローバル化によって国内の製造業が中国やメキシコなどの国に出ていく中で産業は衰退し、土地は豊さを失った』公式サイトより
二つを比べてみると、地理的には相当離れています。黄色いところが、ラストベルトの州。
共通点と相違点を踏まて、一緒に観るべき映画
『mid90s ミッドナインティーズ』と『行き止まりの世界に生まれて』は、日本での公開が同時期だということ、同じスケートボードが素材ということ、多感な10代が描かれていること、そしてその背景に家族との問題が描かれていることから、同じように語られていることが多いように感じます。
ですが、時代背景は10年前後違いがあるわけです。
舞台となる地域も、ロサンゼルスとロックフォードではだいぶ違います。
勝手なイメージですが、ロサンゼルスは日本でいう東京や大阪あたりに対して、ロックフォードは工業地帯ということもあって四日市あたりかと。
となると、スケボーという共通点から、同質に扱ってしまうのは危険な気がします。
むしろ、スケボーという共通点から見えてきたのは、アメリカが抱える『格差』の地域的な拡大と、質的な深刻度ではないでしょうか。
そして2020年、アメリカ大統領選挙を前に『分断』へとつながっています。
それでも、『自分の選択次第』で人生は変えることはできると言うメッセージが、どちらの監督からも伝わってきます。
でも、本当にそうなのかな?
『mid90s ミッドナインティーズ』→『行き止まりの世界に生まれて』を、年代と地域を整理してみえてくるのは、同じような流れがアメリカ大好きジャパンにも起こるのではないか(いや、すでに起きてるかもしれないですけどね)という憂鬱です……
自助が行き詰まり、共助が分断され、公助が期待できないとき、ぼくらはどうすればいいのか……
スケートボードも人生も、そして世界のあり方も、下り始めたら早そうですもの。
さて、フリップを決める一手はいずこに。
ぼくはそれは、この2つの映画とおなじく、『仲間』であれ、と願う。
シナリオ・センターのあらいでした。
合わせて読んでもらえたら、うれしいやつ。