映画『They Live』(ゼイリブ)は、1988年の話?それとも2022年現在の話?
ジョン・カーペンター監督をご存知でしょうか?
ぼくは正直、知りませんでした。タランティーノ監督や、J・J・エイブラハム監督などが愛してやまない監督だそうです。
で、開催中の『ジョン・カーペンター レトロスペクティブ』で上演していた『ゼイリブ』をみて、びっくりしました。
「これ、いまの話じゃないの?」
『ゼイリブ』はこんなお話
主人公は、仕事を求めて、とある町に流れついた用心深い男。
男が身を寄せるドヤ街にある教会が、警察の手によって襲撃されてしまいます。怪しんだ男は、後日教会に行くと、謎のサングラスを見つけ、かけてみます。
すると……
サングラスをかけて、ビルの看板を見ると
『従え』
の文字。でも、サングラスを外すと、旅行代理店の広告です。他の看板も、サングラスをかけないと、普通の広告なのに、サングラスをかけて見ると、
『眠っていろ』
『政府に逆らうな』
などの文字が浮かびます。
お金には、『神』と書かれています。
さらには、高級なスーツに身を包む紳士は、エイリアンに見えてしまうのです。
街はすでにエイリアンに支配されていて、人間は姿なきサブリミナル侵略の餌食になっています。そのことに一般の人たちは、気づいていません。
しかも、社会の上流階級は、すでにエイリアンに牛耳られています。彼らの手によって、盲目にされている人間たち。
それに気づいた男は、同志と共にゲリラ戦に臨む。というお話です。
考えるな!感じるな!
この『ゼイリブ』が制作されたのは、1988年だそうです。いまから、30年以上まえの作品です。
劇中では、中産階級が破壊され、上流階級が支配し、貧富の差が広がっていくことへの警鐘を鳴らすシーンがあります。
作品を観ていて、「あれ、これ、いつの世界が舞台になった話なんだっけ?」とたびたび思います。
一定の人々が、富を独占し、それ以外の人たちが苦しい生活を余儀なくされる……しかもそれは、仕方がないもの、として政府や国は解決しようともしない。だって、彼らもすでにそっち側(エイリアン側)だから。
パンとサーカスを与えられ、『考えるな!感じもするな!』とサブリミナル的に刷り込まれていく世界。これ、映画の世界の話なのか、ぼくらの日常の話なのか、境目がわかりません。
もし、劇中のサングラスをかけたら、この世界はどんな風に見えるのか……
なんて、本当に考えてしまいます。
日常に竿さす存在としての、エンタテイメント
メルヒンガーの『政治演劇史』という本の冒頭に、演劇とは、日常の流れに竿を指す存在という定義つけがあります。
エンタテイメントは、ぼくらの思考を眠らせる存在にもなるし、竿さす存在にもなります。
『新聞をさかさに読め』とは、シナリオ・センターの創設者新井一のことばですが、新聞に書かれていることも鵜呑みにせず、自分の頭で考えろ!という意味です。
それが、作家の眼を育てることになると言っています。するどい作家の眼から生まれたエンタテイメントは、ぼくらが素通りしていた日常の中にある違和感を浮き彫りにしてくれるはずです。
『ゼイリブ』は、彼らは生きている、では、君はどう生きる?と、2022年を生きるぼくたちに、問いかけているような気がします。物理的なサングラスはなくても、さまざまな視点からものごとを見ることはできるはずです。
間に合うことなら、ぜひ劇場でご覧ください!
シナリオ・センターのあらいでした。
▼たまに映画とかの話を書いています▼
▼考えることをこどもたちと楽しむキッズシナリオ展開中▼