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学校って、自由か規律か、それ以外か。
ここのところ、小学校や中学校でシナリオの授業をするキッズシナリオが、増えています。さまざまな学校を、部外者として見て、「おやおやおや」と思ったことがあります。
きっとそれは、学校にお子さんを預ける親御さんも気になることだし、教育現場でも気になっていることだとは思うんです。
それは、自由と規律のバランスです。
自由すぎる私立の小学校
Gigaスクールの効用なのか、ipadなどのタブレットを使って、ショートムービーやPR動画を作りたいから教えてほしい!という、ご要望をもらっています。
キッズシナリオで訪れた私立の小学校も、その一つです。
で、この小学校は、自由。ほんと、自由。
ぼくが目にした部分なんて、ほんの一部だと思いますが、校内の雰囲気からして自由。
先生も、あまり生徒さんを注意しません。
たとえば、タブレットを出したままで、ちょっとゲームしちゃっている生徒さんがたまにいます。
でも、注意しません。
あまりにも行きすぎている場合は別ですが、基本、泳がせています。
泳がせた上で、自分でどうあるべきかを考えろ、という感じです。
ぼくは、結構この感じ、好きです。
規律を重んじる公立の学校
公立の学校は、規律が重んじられている雰囲気があります。
ある学校では、授業が始まる前まではざわざわしていたのに、先生が前に立った瞬間に、シーんっとなります。
このシーんっとなることが、ある意味、けじめがあってすごいのだけれど、一方でちょっとだけ怖くもあります。
先生が前に立つやいなや、魂が抜かれたマネキンみたいになります。お行儀はいいのだけれど、血の通った感じがあまりしません。
自由と規律の最適解はどこにあるのか?
どう振る舞うべきか、子どもたちに任せる自由もあれば、どう振る舞うべきかの答えを提示して、その習熟度を上げていく規律もあります。
ぼくの経験だと、規律が強すぎると、子どもたちが自らの頭で考える機会が奪われてしまうような気がします。
クラスがざわついていると、「静かに〜」とどこからともなく、率先して言ってくれる子がいます。
これ、ありがたいんですが、
・なぜ、静かにしたほういいのか
・静かにしないと、相手はどう思うのか
考えているのかな、と不安になります。
静かにすることが、手段ではなく、目的になっちゃう感じでしょうか。
だからと言って、自由すぎても、こちらとしてはどうしていいのか、わからない部分があります。
「ちゃんと、聞いてくれてんのかな?」
と不安になります。
いい塩梅、はどこ?
自由か規律か、という二項対立ではないのかもしれません。
そうだとしたら、それ以外に、どんな状態だったら好ましいのか……
大人として、考えてしまいます。
ぼくの中では、同じ状態が続かないようにすること、がいいのではないかと思っています。自由な学校は、自由を疑い、規律が行き渡っている学校は、規律を疑う。常に、現状を疑う、みたいな。
教育の場こそ、実はブレている方がいいのかな、なんて、素人ながらに思ったりする今日この頃です。
▼マンガ『ひとのこ』なんか読んでみたり▼
シナリオ・センターは、1970年に優秀なシナリオライター・脚本家、プロデューサー、ディレクターの養成を目的に、新井一が設立。
ジェームス三木さん、内館牧子さん、岡田惠和さんなど700名以上の脚本家、小説家を輩出する学校です。「日本中の人にシナリオを書いてもらいたい」と思って51年目。キッズシナリオでは、教育機関で出前授業をしています。
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