社説:日米鉄鋼買収が映す経済と安全保障の狭間

先月3日にバイデン前政権が下した日本製鉄(Nippon Steel)によるU.S.スチール(USスチール)買収の阻止命令が、いまだ米国の産業政策と国際投資の行方を大きく揺らしている。就任したばかりのトランプ新政権が「外国資本の受け入れも、米国に利益があるなら検討する」と公言し、改めて買収合意を探る動きが浮上しているからだ。


当初、バイデン氏が買収を止めた理由は「国家安全保障にかかわる軍事機密を外資に明け渡す危険」だとされてきた。しかし、その背景には、米政府とU.S.スチールが長年培ってきた軍需技術と特許を囲い込みたい思惑もあるとみられる。1月20日の政権交代後、国家安全保障局(NSA)を含む政府当局と企業との間で、軍事技術を政府系企業に移転する“水面下の契約”が進んでいたとの報道が示唆する通りだ。


こうした政治的・安全保障的理由からの買収ブロックは、米国の投資受け入れ姿勢に疑問符を付けるものでもある。保護主義的な支持基盤をつなぎ留めたいという思惑が優先され、外国企業による正当な投資がことごとく政治の手の内に扱われるようでは、米国経済の活力低下につながりかねない。


トランプ大統領が就任演説で述べた「ディールをまとめられるなら歓迎する」という姿勢は、一見外資呼び込みに寛容に映る。しかし、それは「米国の雇用創出や軍事優位を維持できるか」という見返りを、外国企業に強く求めることを意味する。1月末時点でなお続く日鉄と米政権・U.S.スチールの“再交渉”の駆け引きを見るに、トランプ氏は政治ショー的に買収を容認したかに見せかけ、核心技術は米国政府が押さえ込むという二重構造を狙っている節がある。


一方、日本製鉄側にも課題は山積している。社内に中国系スパイが潜んでいた可能性が報じられたことは衝撃的であり、厳格な情報管理の欠如を露呈した形だ。安全保障案件に踏み込む以上、企業としても国際水準のセキュリティ・マネジメントを徹底しなくては、いかなる国でも信頼を得られないだろう。日米間の摩擦を招く要因を減らす意味でも、この点への取り組みは急務である。


そもそも米国の鉄鋼産業は、保護貿易による高コスト体質が災いし、世界最大の鋼材生産国である中国勢との競争で大きく遅れをとってきた。Nippon Steel による投資が具体化すれば、古い製鉄所を刷新し、米国内での高級鋼材生産を底上げできるはずだった。強制的な買収阻止が、米国にとっても業界再建の機会を逸する結果になりはしないか――そうした疑念は日を追うごとに膨らんでいる。


1月31日現在、日米双方にとって最善のシナリオは、米国が本当に守りたい軍事技術を適切に確保しながらも、日鉄の投資によってU.S.スチールの老朽設備が更新され、雇用創出と競争力強化の道が開けることだろう。トランプ新政権が“ディール”の名のもとに、政治的アピールだけを優先させるのではなく、具体的な技術管理や雇用・設備投資の担保をどう設計するかが鍵となる。


日鉄もまた、安易な妥協で高額投資を迫られるだけでなく、得るはずだった技術が既に米国政府に囲い込まれてしまう可能性も否定できない。国際仲裁を含む法的手段をちらつかせながら、慎重に交渉を進める必要がある。


トランプ氏が本当に目指すのは、「米国の国益」を強調しつつ外資からの投資を最大化することか、それとも「国内保護」に軸足を置いて既得権を守るだけなのか、いまはその真意が見えにくい。しかしながら、日米ともに競合する中国勢の脅威を直視している点は同じはずだ。米国が内向きになれば、西側諸国による対中サプライチェーン再編にも遅れが生じ、かえって国益を損ないかねない。


今回の事例は、経済と安全保障が不可分になる時代にあって、政府が自国企業と結託し「技術は渡さない、しかし外資のカネは欲しい」という矛盾を抱えたままでは、国際社会の信頼を得られぬことを示している。


1月も終わり、情勢は新たな局面を迎えようとしている。世界最大級の鉄鋼会社を生むはずだったM&Aはどう着地するのか。米政権は、一貫した政策ビジョンを示すと同時に、同盟国企業に不透明な条件を押しつけない方策を講じるべきだ。日本側もまた、スパイ疑惑の再発防止と情報管理の徹底を進め、自らの信頼度を高める努力を惜しんではならない。


日米の結束なくして国際社会の安定は成り立たない。それは鉄鋼業界においても同様であり、今回の買収劇がただの“政治ショー”に終わらず、長期的に双方の利益となる解決策を見出す契機となることを願いたい。

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