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生徒の権利義務に関する法律①/校則
前回から随分時間が空いてしまいましたが、今回は校則に関する法的論点を考えてみたいと思います。
昨今「ブラック校則」の問題が指摘されたり、多くの学校において校則の見直しが進められるなど、校則をめぐる問題は学校法務の中でもホットなトピックの1つとなっています。
このnoteでは「生徒心得」等の名称で明文化され、生徒に周知されているものを「校則」として取り扱います。したがって、教員間で共有されている不文のルールや、校則に基づく個別の指導・処分は対象外とします。
校則の意義と分類
生徒指導提要における説明
(1) 校則の意義・位置付け
児童生徒が遵守すべき学習上、生活上の規律として定められる校則は、児童生徒が健全な学校生活を送り、よりよく成長・発達していくために設けられるものです。校則は、各学校が教育基本法等に沿って教育目標を実現していく過程において、児童生徒の発達段階や学校、地域の状況、時代の変化等を踏まえて、最終的には校長により制定されるものです。
校則の在り方は、特に法令上は規定されていないものの、これまでの判例では、社会通念上合理的と認められる範囲において、教育目標の実現という観点から校長が定めるものとされています。また、学校教育において社会規範の遵守について適切な指導を行うことは重要であり、学校の教育目標に照らして定められる校則は、教育的意義を有するものと考えられます。
校則の制定に当たっては、少数派の意見も尊重しつつ、児童生徒個人の能力や自主性を伸ばすものとなるように配慮することも必要です。
(2) 校則の運用
校則に基づく指導を行うに当たっては、校則を守らせることばかりにこだわることなく、何のために設けたきまりであるのか、教職員がその背景や理由についても理解しつつ、児童生徒が自分事としてその意味を理解して自主的に校則を守るように指導していくことが重要です。そのため、校則の内容について、普段から学校内外の関係者が参照できるように学校のホームページ等に公開しておくことや、児童生徒がそれぞれのきまりの意義を理解し、主体的に校則を遵守するようになるために、制定した背景等についても示しておくことが適切であると考えられます。
その上で、校則に違反した場合には、行為を正すための指導にとどまるのではなく、違反に至る背景など児童生徒の個別の事情や状況を把握しながら、内省を促すような指導となるよう留意しなければなりません。
文科省が公表している生徒指導提要(改訂版)の記述から、以下の内容を読み取ることができます。
①校則は、健全な学校生活とよりよい成長・発達のために定められる「児童生徒が遵守すべき学習上、生活上の規律」である。
②校則を守らせる指導が必要である。このとき、社会規範の遵守という教育を行う観点から、校則違反については、単にこれを是正するだけでなく、生徒の内省を促す必要がある。
校則の分類:誰のための規律か
校則の実体的内容に照らして、その法規範性の適否を考察する場合には、教育において実現されるべき「目標規程」と、教育活動に必要な秩序・環境の管理・維持のための「管理規律」を区別する必要があり、また、主として当該生徒自身の利益をはかる「保護的規律」と、他の生徒や第三者の利益を維持する「規制的規律」を区別する必要がある。
「目標規程」と「管理規律」の区別に照らすと、生徒指導提要(改訂版)は、どちらかというと「管理規律」を念頭に置いているように見えます。実際にも、校則をめぐる問題は通常「管理規律」について生じるので、以下では「管理規律」を前提に話を進めます。
「保護的規律」と「規制的規律」の区別をふまえると、校則の各規定には、指導対象となる生徒自身の「健全な学校生活とよりよい成長・発達」のためという側面と、周囲の生徒の「健全な学校生活とよりよい成長・発達」のためという側面があることが分かります。
前者は、発展途上の青少年を預かる学校(やその他の教育施設等)に特有の側面であるのに対し、後者は、社会集団一般に共通する側面といえます。
校則の意義:明示されているということ
ある学校が柄のセーターを禁止しているからといって、校則にその旨が明示されているとは限りません。校則には書いていないけれども、柄のセーターは禁止する旨が教員間で確認されており、その認識に沿って柄のセーターを着用している生徒への指導がされているというケースは想定できます。
このとき、校長が本来的に有している生徒の規律権限の一環として校則制定権があるのなら(後述)、「校則に書いていない以上、無地のセーターの着用を求める指導は許されない」ということにはならないと思われます。生徒に無地のセーター着用を義務付ける権限がまずあって、それを校則というかたちで明文化できるという順番になるからです(※)。
なお、柄のセーターを禁止する合理性があるかという議論は一旦措いておきます。
※ これに対し、会社では就業規則等に明示されていない懲戒事由に基づく懲戒処分は許されないが、これは、懲戒処分の根拠が、会社の本来的権限ではなく、会社・労働者間の労働契約に求められるためである(契約説による理解。水町勇一郎『詳解労働法〔2版〕』(有斐閣、2021年)563頁)。
そうだとすると、柄のセーターを禁止する点では全く同じであるものの、これが校則で明示的に規定されている学校と、規定されていない学校を比べると、予見可能性が確保されている点で、前者の方がむしろ望ましいと思われます(校則に書いてあれば柄のセーターを買うこともなかったのに!)。
とはいえ、校則の定めがあったとしても、「清潔感のある髪型とする」等の抽象的な内容となっている場合には、予見可能性は確保されません(大丈夫だと思ってツーブロックにしたのに!)。なお、そもそも髪型を制限する校則を設けるべきでないという議論は一旦措いておきます。
明示の意義を考えるため、(やや頭の体操的に)「校則には書いていないけれども、柄のセーターは禁止する旨が教員間で確認されている」ことを前提に議論を進めてきましたが、現実的にはむしろ「校則に書いてあるからこそ違反については指導する」という場合が多いかもしれません。柄のセーターを着ている生徒を指導する教員自身、柄のセーターを禁止すべき理由はよく分からないものの、決まりは決まりなので指導しないといけないと感じているような場合です。こうした課題認識に立つ場合、法的な観点からは、教員に校則違反を指導しない自由があるのかという派生論点があり得ます(後述)。また、実践的には、校則見直しプロジェクトに教員も一緒になって取り組むことが重要だという方向に進むように思われます。
校則そのものをめぐる法律問題
法的根拠/「法律の留保」との関係
冒頭で引用した生徒指導提要(改訂版)のとおり、校則に法令上の明確な根拠はないものの(※)、社会通念上合理的と認められる範囲内で校長に校則制定権が認められています。
※ 学校が定めるべき「学則」には明文の根拠があるが(学校教育法施行規則3条4項)、いわゆる校則の内容(教育目標や生徒指導に関する内容)はその必要的記載事項に含まれていないことから、校則の根拠とはされていない。
公立学校の場合、校則に法的根拠がないことは、いわゆる「法律の留保」(ある種の行政活動を行う場合に、事前に法律でその根拠が規定されていなければならないとする原則。憲法41条を具体化したものといわれる。)との関係で許されるのかが問題となり得ます。
行政実務は、国民に義務を課したり、国民の権利を制限する侵害的な行政作用についてのみ法律の根拠を要するとする侵害留保説をとっていると言われますが、校則の制定や校則に基づく指導は生徒の権利を制限し得るため、法的根拠は必須ではないかという問題です(※)。なお、懲戒処分については学校教育法11条に根拠規定があります。。
※ 法律の留保と処分性は別次元の問題なので(中原茂樹『基本行政法(3版)』(日本評論社、2018年)44頁)、校則の制定が行政処分にあたらないとしても(最判平成8年2月22日は違反時の処分等の定めがない校則制定行為の処分性を否定)、法律の留保との関係性はなお問題となりうる。
これに対する回答としては、①法的根拠が全くないわけではない(学校教育法5条の「管理」、学校教育法28条3項の「校務」等)、②部分社会論(※)により、例外的に法的根拠は不要となる、③校則は契約であって当事者の合意があるので、侵害留保原則が及ばない(行政契約について宇賀克也『行政法(3版)』(有斐閣、2023)205頁)という3つの方向が提示されています。
※ 一般市民社会とは異なる特殊な部分社会においては、その自律性を尊重し、法律上の根拠規範なしに当該社会の秩序を維持し、運営するための包括的権能を承認し、かつ、部分社会内部の紛争については、それが一般市民法秩序と直接に関係しない限り、その自律的解決に委ね、司法審査も及ばないとする考え方。前掲・宇賀20頁。
これら3つの方向性に対しては、抽象的に過ぎるので「法律の留保」を充足しているとはいえない(①)、法秩序の多元性という抽象的原理から多様な団体・機関を「部分社会」として概括し、一律に法の支配の例外とすることには問題が多いとの批判が強い(②)、校則の内容について生徒が合意していると評価するには無理がある(③)といった難点がそれぞれ指摘できます。
この点、前掲・土井26頁は、(ア)学校では生徒の人間形成や社会生活一般が教育指導の対象とされていること、(イ)各生徒の個性に適した多様な指導が必要となるため、校長等の教育担当者の判断に委ねるべき部分が多いこと、(ウ)教育は教師と生徒の継続的な信頼関係を基礎とする面があり、これをすべて厳密な法的権利義務関係に還元することは難しいこと、(エ)多数の生徒が学校という緊密な物理的空間で日常生活を恒常的に営む以上、共同生活に必要な日常生活上の規律が必要となり、学校の管理権は包括的とならざるを得ない、(オ)教育は政治的機関から一定の独立性を保障される必要があることをふまえると、学校関係に対して特別の配慮を行うこと自体は、憲法上も必要かつ合理的であるとした上で、次のように述べており、参考になります(上記②の修正)。
そもそも緊密な人格的関係に基づく各人の個性に適合した教育という理想は、人格的領域への不断の介入を招く包括的な管理教育という現実と表裏の関係にあり、また教育における人格的理想が高くなればなるほど、生徒の人格領域への介入は深刻になる。この「善意の支配」が有する陥穿を自覚するためには、学校関係を概括的に法の支配の原則の例外と規定すべきではなく、個別的問題ごとに、教育の特殊性に対する配慮が必要な範囲で、右原則に最小限度の緩和がはかられるにとどまるものと解すべきである。
校則の適法性判断枠組み
多くの裁判例において、校則の適法性は以下のような判断枠組みに沿って判断されています。
中学校長は、教育の実現のため、生徒を規律する校則を定める包括的な権能を有するが、教育は人格の完成をめざす(教育基本法第一条)ものであるから、右校則の中には、教科の学習に関するものだけでなく、生徒の服装等いわば生徒のしつけに関するものも含まれる。もつとも、中学校長の有する右権能は無制限なものではありえず、中学校における教育に関連し、かつ、その内容が社会通念に照らして合理的と認められる範囲においてのみ是認されるものであるが、具体的に生徒の服装等にいかなる程度、方法の規制を加えることが適切であるかは、それが教育上の措置に関するものであるだけに、必ずしも画一的に決することはできず、実際に教育を担当する者、最終的には中学校長の専門的、技術的な判断に委ねられるべきものである。従つて、生徒の服装等について規律する校則が中学校における教育に関連して定められたもの、すなわち、教育を目的として定められたものである場合には、その内容が著しく不合理でない限り、右校則は違法とはならないというベきである。
本件高校は,学校教育法上の高等学校として設立されたものであり法律上格別の規定がない場合であっても,その設置目的を達成するために必要な事項を校則等によって一方的に制定し,これによって生徒を規律する包括的権能を有しており,生徒においても,当該学校において教育を受ける限り,かかる規律に服することを義務付けられるものと認められる。そうすると,生徒が頭髪の色を含む髪型をどのようなものにするかを決定する自由についても,上記規律との関係で一定の制約を受けることになる。そして,このような包括的権能に基づき,具体的に生徒のいかなる行動についてどの範囲でどの程度の規制を加えるかは,各学校の理念,教育方針及び実情等によって自ずから異なるのであるから,本件高校には,校則等の制定について,上記の包括的権能に基づく裁量が認められ,校則等が学校教育に係る正当な目的のために定められたものであって,その内容が社会通念に照らして合理的なものである場合には,裁量の範囲内のものとして違法とはいえないと解するのが相当である。
これらの裁判例は、学校の裁量を理由に「社会通念に照らして合理的」である限り適法との規範を導いています(※)。
※ なお、最判平成8年7月18日判時1599号53頁は、私立高校におけるパーマ禁止校則について「社会通念上不合理でない」ことを理由に適法としているが、その理由付けにおいては、学校の裁量というよりも私学教育の自由や在学契約に着目した判示がされている(私学の特殊性)。
これが生徒指導提要(改訂版)にも採用されているので、現在ではこの考え方が主流になっているといえますが、過去には、部分社会論を理由に校則は判断の対象外である旨を述べた裁判例もあります。
このような校則等の法的性質は、学校という公の施設の利用関係を規律するための行政立法である管理規則というべきものであり、学校の生徒という特定の範囲にのみ向けられてはいるが、一般的・抽象的な性格を有し、校則等の制定によって、他の具体的行為をまたずに、生徒に直接具体的法的効果を生じさせるものではない。
更に、学校は、国・公・私立を問わず、生徒の教育を目的とする教育施設であって、その設置目的を達成するために必要な事項については、法令に格別の規定がない場合でも校則等によりこれを規定し実施することのできる自律的、包括的な権能を有し、校則等は、学校という特殊な部分社会における自律的な法規範としての性格を有している。
このような自律的な法規範については、それが内部規律の問題に止まる限りは、当該部分社会の自律的措置に任せるのが適切であり、裁判所が法を適用実現して紛争を解決するのが適当でないといえるから、抗告訴訟の対象とはならないというべきである。
ちなみに、やや毛色が異なるものとして以下の最高裁判例があります。この判決は、校則が具体的な権利義務を形成するほどの法的効果を生ずるものでないことを理由として原告の請求を却下していますが、これは、原告の請求が国家賠償請求ではなく抗告訴訟(校則制定行為の取消・校則の無効確認)であったために「具体的な権利義務を形成するほどの法的効果」が必要となったことに対応するものです。具体的な権利義務を形成するほどの法的効果を生ずるものでないから当該校則は違法ではないという判断がされたわけではないことに留意が必要です。
…これに違反した場合の処分等の定めは置かれていないというのである。右事実関係の下において、これらの定めは、生徒の守るべき一般的な心得を示すにとどまり、それ以上に、個々の生徒に対する具体的な権利義務を形成するなどの法的効果を生ずるものではないとした原審の判断は、首肯するに足りる。これによれば、右の「中学校生徒心得」にこれらの定めを置く行為は、抗告訴訟の対象となる処分に当たらないものというべきであるから、本件訴えを不適法とした原審の判断は、正当として是認することができる。
これまでのところ、校則の内容それ自体の違法性を認めた裁判例は見当たりません。
他方で、校則違反を理由(の1つ)とする懲戒処分の違法性を認めた裁判例はいくつかあります(東京高判平成4年3月19日判時1417号40頁等)。典型的には、校則自体は一理あるものの、実際に下された懲戒処分の内容が重過ぎるという場合です。
法律や契約ではふつう要件と効果の両方が備わっているので(就業規則でも、懲戒処分の種別ごとに懲戒事由が定められていることが多い)、「要件Aに該当する場合には効果Bが生じる」という対応関係がある程度明確であるのに対して、校則には違反時の効果が書かれていないことが普通であり、処分の内容が学校側の判断に委ねられていることから、個別の処分レベルで違法性が問題になりやすいものと思われます(後記「校則の機能/校則違反の効果」も参照)(※)。
※ 法律自体(の全部又は一部)が不当であるのか、それに基づく個別の処分が不当であるのかという区別は、憲法学の典型論点の1つであるが、これについては木村草太「憲法判断とは何を判断することなのか?」木村=西村編『憲法学再入門』(有斐閣、2014)81頁が非常に参考になる。
校則の機能/校則違反の効果
前節の最後で「校則には違反時の効果が書かれていない」と述べましたが、これは校則の非常に重要な性質の1つといえます。違反時の効果がはっきりしないが故に、「法律の留保」との関係があいまいであったり、(注:男子丸刈りの校則について)「教育上の効果は疑問の余地がある」とされつつも結論として校則自体の違法性が認められなかったりする(上記熊本地判)のではないかと思われます(後者について、江藤祥平「解説」『憲法判例百選Ⅰ(第7版)』(有斐閣、2019)55頁)。
校則の機能について、憲法学者の木村草太教授は以下のように述べています。
一般的には、校則は、①学校による直接強制、②出席停止・退学といった懲戒処分、③単位認定・卒業認定からの排除といった強権的な措置を根拠づける規則だと思われる。しかし、法的に見たときに、①~③は学校が一方的に決定できるようなものではない。
第一に、①学校による直接強制について。(略)髪染めや服装等についても、学校が児童・生徒に直接強制できる旨を定めた法律が存在しない以上、仮に、校則に茶髪禁止や制服着用が記載されていたとしても、生徒の意思を無視して強制的に髪を染めたり、強制的に服を脱がして制服を着替えさせたりすることは違法だろう。(略)
第二に、②懲戒処分について。学校教育法11条…にある通り、懲戒処分の基準は、各学校や校長ではなく、文部科学大臣が決定する(注5)。懲戒処分の根拠が法律にある以上…学校や校長が一方的に決定できるものではない(注6)。
第三に、③単位・卒業の認定基準について。これは、教科の内容にかかわるもので、学習指導要領によって決定される。(略)指導要領の内容を適切に終了したにもかかわらず、髪型を理由に単位や卒業を認定しないとすれば、学校教育法違反だ。
(注5)これを受け、学校教育法施行規則…は、懲戒のうち、特に重要な退学・停学・訓告の三種類を列挙し、これを校長の権限とする…。これらの懲戒処分は、校長が自由裁量で行うわけではなく、相応の理由が要求される。つまり、単に校則違反だというだけで、懲戒処分が適法になるわけではない。(略)
(注6)もちろん、当該児童・生徒が学校でどのように過ごしていたか、また、どのような教育がその児童・生徒に相応しいかは、実際に現場で当人と接していた教員でないと分からない点があり、教育者としての専門的・技術的な裁量に委ねるべき部分も大きい。このため、校長の懲戒処分に関する再料は広く認められる傾向がある。(略)
校則違反は懲戒処分というかたちで問題になることが多いですが、懲戒処分との関係では、校則違反にあたるかどうかは本質的な要素ではなく、校長は対象生徒が行った問題行為の具体的な内容に照らして必要かつ相当な懲戒処分を実施することが可能であり(退学処分の要件を定めた学校教育法施行規則26条3項は非常に抽象的であり、具体的な判断基準たりえない。)、その法的な有効性は、その処分が本当に「必要かつ相当」といえるかどうかを判定すれば足りるというべきように思われます。
神内聡『スクールロイヤー 学校現場の事例で学ぶ教育紛争実務Q&A170』(日本加除出版、2018)308頁は、校則に明示されていない理由付けによる退学処分も(適正手続保障の観点からなるべく明記しておくことが望ましいものの)可能としていますが、上記の校則理解によれば、自然な帰結といえます。
学校教育法施行規則26条
③前項の退学は、市町村立の小学校、中学校若しくは義務教育学校又は公立の特別支援学校に在学する学齢児童又は学齢生徒を除き、次の各号のいずれかに該当する児童等に対して行うことができる。
一 性行不良で改善の見込がないと認められる者
二 学力劣等で成業の見込がないと認められる者
三 正当の理由がなくて出席常でない者
四 学校の秩序を乱し、その他学生又は生徒としての本分に反した者
他方、懲戒処分を争う側としては、処分の重さの妥当性以前の問題として、そもそもその行為を問題視すること自体がおかしいのだという主張を行うことが考えられますが、これは、校則自体の不合理性を問うことにほかなりません。校則違反を理由とする懲戒処分に関する裁判例で、懲戒処分の違法性を検討する前に校則自体の合理性が判断されるケースが多いのは、「そもそもその行為を問題視すること自体がおかしいのだ」という議論に対応するものとも理解できます。
このように校則と懲戒処分を切り分けて考える見方を前提にすると、校則は単なる心得であって、これによって具体的な不利益を被るわけではないのだから、校則自体の取消しを求める裁判は認めない(懲戒処分を取消しの対象とすれば必要十分である)とする上記最判の立場は1つの自然な帰結です。
他方、懲戒処分がなされる前であっても、校則があること自体によって重大な不利益が生じるのだという考え方もできます。遠藤美奈教授は、外見に関する校則について、次のように指摘しています。
校則の法規範性について判例には違反行為に対する処分等の定めの有無を判断基準としたものがあるが、定めの有無にかかわらず現実には指導そして懲戒の威嚇をもって強制が行われている。とりわけ他者の侵入を通常は許容しない身体周辺部への規律や、自分の性自認とは異なる外観の制服による強制を通じた画一化は、学校教育においても保護されるべき憲法的価値であるはずの、身体の全一性や人格の核心部分を侵害するものである。そうした強度の高い画一化は、それを耐えがたく思う子どもたちに何をもたらすのか。「わたし」という存在の心身両面を押し殺して校則に従うか、校則を遵守できない場合は抵抗するか学校生活から撤退することになる。ここでの問題となるのは、校則遵守により画一化された外見をもつことが、児童生徒としての扱いから排除されない条件となることである。
校則違反を指導しない自由?
教室設例かもしれませんが、ある校則について疑問を持っている教員が、当該校則に違反している生徒を発見した場合に、是正指導をあえて行わない自由はあるかという問題も一応検討してみたいと思います。
以前のnoteで簡単に触れましたが、違法の疑いがある職務命令に服従する義務の有無については議論があるところ、重大かつ明白な違法がない限り服従義務を負うとした古い裁判例があります(東京高裁昭和49年5月8日行集25巻5号373頁)。
このような教員としては、その校則を廃止するよう校長に掛け合うのが正攻法に思われますが、功を奏せず、その校則に沿った生徒指導を行うよう言われてしまった場合、明らかに人権侵害という場合(ブラック校則として名高い、下着の色の指定など)を除き、服従義務はあるということに理屈上はなりそうです。なお、服従義務に違反して生徒を見逃したからといって、それが実際に問題になる可能性がどれだけあるかという点は措いておきます。
おわりに
校則をめぐる法律問題について検討してきましたが、眼前のブラック校則と戦うという実践においては、裁判よりも、ここ数年で全国的に広がっている校則見直し運動のほうが重要かもしれません(認定NPO法人カタリバ編『校則が変わる、生徒が変わる、学校が変わる』(学事出版、2022)など)。
校則見直しを検討するにあたっては、世の中の校則は実際どのような定めになっているのかを知っておくことが有益です。この点、第二東京弁護士会は東京23区内の全中学校の校則を調査し、2024年2月、詳細なレポートにして公表していますので、ぜひご参照ください。