自然資本と地域・人間・社会をつなぐ―社会的共通資本の新たな展望イベントレポート
近年、「プラネタリーバウンダリー」という言葉に象徴される地球環境の有限性が認識され、生態系の保全・生物多様性への関心が高まる中、「自然資本」という考え方を農業、健康、地域再生、都市等のさまざまな領域に結びつけて展開し、社会の持続可能性を高めていくことが重要といわれています。一方で、日本では、人口減少や一極集中が進む中、地方都市の空洞化や耕作放棄地の拡大など、ストックの未利用(アンダーユース)を原因としたさまざまな課題も生じています。そんな中、これらの社会課題解決に向けた一歩となる特別セミナーが、2023年9月20日、京都大学人と社会の未来研究院 社会的共通資本と未来寄附研究部門主催により開催されました。
セミナーでは、世界的な業績を挙げた経済学者である宇沢弘文氏が提起した「社会的共通資本」の理念を踏まえつつ、ソニーコンピュータサイエンス研究所のトランスバウンダリーリサーチ リサーチディレクターの舩橋真俊氏や日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ プロジェクトマネージャの渡辺 康一氏をはじめとする豪華な登壇者が、上記のようなテーマに関する研究や社会実装の現状、および今後の展望などを報告。最後に、登壇者全員によるパネルディスカッションがおこなわれました。
【登壇者】(登壇順)
広井 良典:京都大学 人と社会の未来研究院 教授
舩橋 真俊:京都大学 人と社会の未来研究院 社会的共通資本と未来寄附研究部門 特定教授、ソニーコンピュータサイエンス研究所 トランスバウンダリーリサーチ リサーチディレクター
鈴木 吾大:京都大学 人と社会の未来研究院 社会的共通資本と未来寄附研究部門 非常勤研究員、ソニーコンピュータサイエンス研究所 リサーチアシスタント、一般社団法人シネコカルチャー 研究員
河岡 辰弥:京都大学 人と社会の未来研究院 社会的共通資本と未来寄附研究部門 非常勤研究員、ソニーコンピュータサイエンス研究所 リサーチアシスタント、一般社団法人シネコカルチャー 研究員
渡辺 康一:日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ プロジェクトマネージャ
田部 洋祐:日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ 主任研究員
宮越 純一:京都大学 オープンイノベーション機構 日立未来課題探索共同研究部門 民間等共同研究員、日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ 日立京大ラボ 主任研究員
占部 まり:宇沢国際学館代表取締役 内科医、日本メメント・モリ協会代表理事
【趣旨説明】オープニングトーク(広井 良典)
「自然資本と地域・人間・社会 社会的共通資本の新たな展望」
広井 良典:京都大学 人と社会の未来研究院 教授
皆さま、こんにちは。お忙しいところ本日は本セミナーにご参集いただきましてありがとうございます。それでは、私のほうからイントロ的なお話をさせていただきます。
生物多様性〜自然資本への関心の高まり〜
地球環境問題というと、これまで「気候変動」や「地球温暖化」に圧倒的な関心が寄せられてきましたが、近年は「生物多様性」「生態系保全」などへの関心が高まっています。
「プラネタリー・バウンダリー」との関わり
その背景のひとつにあるのは、スウェーデンの研究者ロックストロームが提起した、“プラネタリー・バウンダリー”。この概念では地球の健康状態を9つの指標で表していますが、その中で赤信号が灯っているのは、「気候変動」「成層圏のオゾンの破壊」よりむしろ「遺伝的多様性」「生物化学的なフロー」のような生物多様性や生態系に関するものです。
新型コロナ〜「人獣共通感染症」の背景〜
また、人と動物の共通の感染症(SARS、MERS、新型コロナウイルス)が、近年増加していますが、これらが森林の減少と大きく関わっているということがさまざまな研究から明らかにされています。つまり、森林の減少により、ウイルスを持った動物の密度が高まり、それが森林からあふれ出て感染症が起こるというわけです。
「生物多様性国家戦略」の策定(2023年3月) 「ネイチャーボジティブ経済」へ
私自身も委員として参加してきましたが、2023年3月に環境省で策定された「生物多様性国家戦略」の中でも“ネイチャーポジティブ” “ネイチャーポジティブ経済” “自然資本”などの言葉が強調されています。また、国土交通省の「国土審議会」でも、“自然資本” “グリーン国土”の言葉がかなり強調されています。
「自然資本」というコンセプト
この“自然資本”というコンセプトは、『スモール・イズ・ビューティフル』で有名な経済思想家のシューマッハが、この本の中で“Natural Capital”を唱えていたり、新古典派的な経済学とは別のエコロジカル経済学を提起してきたハーマン・デイリーも同じような考え方を示しています。最近では、「国連ミレニアム生態系評価」や、経済学者のダスグプタが、イギリス政府の求めに応じて出した報告書、いわゆる『ダスグプタ・レビュー』の中でも、“自然資本”というものが強調されるようになってきています。
日本の総人口の長期トレンド
一方、日本に目を向けると、2008年に人口ピークを迎えて以降、本格的な人口減少社会に移行しており、東京一極集中が進む中で自然資本、自然のアンダーユースの問題が顕在化しています。
AIを活用した、持続可能な日本の未来に向けた政策提言
これまで日立京大ラボと、AIを活用した日本の未来シミュレーションという研究をおこなってきましたが、2050年に向けて2万通りのシミュレーションを実施したところ、東京一極集中に象徴されるような都市集中型に向かうか地方分散型に向かうかが、日本社会の最大の分岐点で、地方分散型にシフトしていくことが日本社会の持続可能性を高めることにつながるという結果が示されました。この話も本日の自然資本の活用のテーマと重なってくる内容であると思います。
「生物多様性国家戦略2023-2030」より
先ほどの環境省の国家戦略の中に、こういう一節があります。「近年我が国では本格的な少子高齢化・人口減少社会を迎えており、特に地方では農林業者の減少等により里地里山の管理の担い手が不足し資源が十分に活用されないことが、国内の生物多様性の損失の要因の一つになっている。同時に、海外の資源に依存することで海外の生物多様性の損失にも影響を与えている。すなわち、本来活かすべき身近な自然資本を劣化させながら、その変化を感じ取りづらい遠く離れた地の自然資本をも劣化させている」。例えば、日本は森林大国といわれますが、木材の自給率は40パーセントぐらいで、国内の自然資本資源をうまく活用せずに、海外の輸入に頼り、結果的に海外の森林環境を劣化させているという状況があります。
「社会的共通資本と未来」寄附研究部門発足
こういった現代的な課題をどう克服していくか。去年、世界的な業績を上げた経済学者の宇沢弘文氏の「社会的共通資本」の理念を踏まえて、ソニーの舩橋氏らの研究グループ、そして日立の方々とも連携する形でプロジェクトがスタートしました。
社会的共通資本〜自然資本への視点 −鍵としての「時間」−
このテーマを考える際の私の基本的な視点として、一番上に「市場経済」、次に「コミュニティ」、その土台に「自然(環境)」があるピラミッドを考えてみましょう。時間軸で見ると一番上の「市場経済」はとにかく短期で物事を見ていくので、スピードの速いことが良いとされます。しかし、「コミュニティ」、「自然(環境)」と下のほうにいくほど、時間はゆっくり流れ、長い時間軸が大事になってきます。この図において上方に向かっていわば「離陸」していったのがこれまでの資本主義社会の在り方で、これをもう一度、「コミュニティ」や「自然(環境)」につなげていくことが、社会的共通資本の思想につながるのではないかと考えています。
鎮守の森 コミュニティ・プロジェクト
おまけとして、私自身がここ10年ほど進めてきた鎮守の森コミュニティ・プロジェクトをご紹介します。関心のある方は、「鎮守の森コミュニティー研究所」をWEB検索してご覧いただければと思います。先に挙げたようなテーマを考えていくにあたり、鎮守の森、八百万の神に象徴されるような、文化的・精神的な要素、自然観、これを生物多様性の保全につなげていく必要があるのではないか、ということが先ほどの生物多様性国家戦略においても記されています。
〈情報から生命へ 「ポスト・デジタル」の展望〉
科学の基本コンセプトの進化
今、しきりに「デジタル」と言われていますが、恐らくGAFAなどの後追いだけでは未来の展望は開けません。「デジタル」の先を展望した未来社会の構想が重要ではないかと私は思っております。科学の基本コンセプトの流れをたどると、17世紀に科学革命が起こり、物質→エネルギー→情報と進化してきて、今は「生命」が基本コンセプトとして浮かび上がりつつあり、その入り口に今、私たちは入ろうとしています。
ポスト・デジタルと「生命」の時代
ミクロからマクロまでを含めた、この「生命」というコンセプトを軸に、いわば「生命関連産業」あるいは「生命経済」と呼べるような領域、具体的には①健康・医療、②環境、③生活・福祉、④農業、⑤文化において、これから経済的にも非常に重要な意味を持ってくるのではないでしょうか。本日ご報告していただく研究を踏まえて、こうした未来社会のビジョンを、社会的共通資本の理念をよりどころにしながらつくっていきたいというのが、このプロジェクトの趣旨となります。
【講演1】社会的共通資本と拡張生態系(舩橋 真俊)
舩橋 真俊:京都大学 人と社会の未来研究院 社会的共通資本と未来寄附研究部門 特定教授、ソニーコンピュータサイエンス研究所 トランスバウンダリーリサーチ リサーチディレクター
本日は、「自然-社会共通資本」についてお話ししたいと思います。
この「自然-社会共通資本」というものは、「拡張生態系」という生態系側の研究と「社会的共通資本」という経済学側の考え方とを融合・拡張したもので、現在我々はこの考えの社会実装に向けて動いています。
産業の工業化・自動化
我々は自然の中で生きていたころと違い、現在では工業化・自動化、科学技術というものを手に入れています。しかし、それにより全体最適に成功しているかというとそうではありません。周囲の自然資源を収奪し、人間の健康という資源まで劣化させ、一方では一部の人々のみに富や良質なサービスが集積している状態を作り出しています。
こういった自然や人間の健康を損なう悪循環を社会経済としてどうするか。自然回復、さらには、それを超えた拡張という意味でも方法があるのではないか。というのが、私たちが取り組んでいるテーマです。
エコロジカル・フットプリント
人間が地球生態系に及ぼす環境負荷を、その自然回復に必要な生態系の量で表す「エコロジカル・フットプリント」と呼ばれる指標があります。例えば、森林を伐採したり海で漁をおこなうと、元のように樹木や魚介類が育つまでには時間がかかり、土に生ゴミを捨てるとそれが分解されるまでにも時間がかかります。そういった時間および回復プロセスを支える生態系の面積、それらを基に算出されるのが、この「エコロジカル・フットプリント」です。これを見ると、今現在1年間に人間が使用する自然資源を完全に元に戻すのに、地球約1.7個分の再生能力が必要だという状況になっています。
こういったことを先ほど紹介があった、『ダスグプタ・レビュー』でもシミュレーションしていますが、資本主義の急勾配に乗って加速していくと、結局、自然環境が劣化して文明が崩壊する、いわゆる成長の限界に突き当たるのは明らかです。
しかし、それをどう解決していくかという議論になると、今の資本主義社会は“イノベーション”としか言っていません。果たしてイノベーションでこの状況が乗り越えられるか。ある程度は可能かもしれないが、地球1.7個分の再生能力が必要な状況をイノベーションだけで覆すのは、現在の成長効率ではまったく不可能で、今の3倍ぐらいに加速する必要があります。これはダスグプタ自身も実現不可能であると言っています。
経済圏の中のイノベーションより本質的な解決策として我々が着目しているのは、人間活動だけでなく自然環境までコンテクストを広げて“経済成長”と“自然環境への負荷”を切り離す「デカップリング」というシナリオです。
その元になっているのが拡張生態系ですが、簡単に説明すると、今まで一方的に人間社会がおこなってきた自然資本の収奪について、その一方向の収奪をやめて、我々の経済活動が生態系の資源を回復させたり環境容量を拡張するような双方向のサイクルをつくり、人間社会の平等だけでなく、あらゆる生き物によって構成される生態系とも相互循環する関係を構築していこうという考え方です。
シネコカルチャー
これが拡張生態系の大元の考え方ですが、実際に、例えば拡張生態系を食料生産に応用する「シネコカルチャー(協生農法)」という方法を用いると、砂漠化してしまった土地を、3年ほどで多様な有用植物が資源として取り出せる状態にできます。これはお金に換算しても非常にインパクトがあり、このシステムを敷衍するだけで貧困からの脱却が見込めるため、現在、現地政府の支援も受けてアフリカで大々的に広めているところです。
自然生態系と拡張生態系
宇沢氏の時代には、まだ生態学に関する知見は今ほど進んでいませんでした。「自然資本」というのは、結局、自然資源を人間社会の中で役に立つ資本として見たときの言い方ですが、生態系自体のメカニズムや活用という観点で見ると、実は人間活動が自然資源に寄与する場合もあります。例えば、人間が荒らし砂漠化してしまった土地をシネコカルチャーで回復できたり、分散居住などで人間の住居が自然環境と適度な密度で混じり合うことで、実は経済活動がポジティブに生物多様性を高める方向に連結できる接点が増えたりします。こういった人間活動を総合的に使って、単に自然任せで放置したよりも生物多様性および生態系機能を高めるというものが拡張生態系です。
自然-社会共通資本
こういった拡張生態系の領域と、社会の中でのコモンインフラとしての社会的共通資本が、きちんと相互循環していくものをつくっていくことが大事で、これを「自然-社会共通資本」と呼んでいます。この辺りのもう少し詳しい話は、昨年のキックオフシンポジウムでおこなっており、YouTubeにも動画が公開されているので興味のある方はご覧いただきたいと思います。
https://note.com/sccf_ifohs/n/n94a7105eeb1f
International Forum in Jakarta, Indonesia
こういった問題意識は世界共通であると同時に、日本ではまだ顕在化しないものがたくさんあります。そこで我々はどんどん海外に出て現場を見に行くということをしています。
今年はジャカルタでシンポジウムを実施しました。ジャカルタのチキニというスラムを実際に見に行ったり、オランダ占領時代からレアメタルの採掘が盛んだった金の鉱山へ生態系破壊の様子を見たりしています。今、インドネシアではベンチャーやスタートアップが非常に盛んで、彼らも社会的共通資本というものに大変興味を持っているため、日本ではなかなかできない対話ができました。こちらも動画公開されているので、ぜひ見ていただきたいと思います。
Sony EXPO2023@上海
それから、ソニーグループの方では、アフリカでシネコカルチャーをやっていますが、中国でのニーズがどんどん高まっていて、プロ農家も含めて実装が進んでいます。先日、Sony EXPOが開催されましたが、なぜかシネコカルチャーがフィーチャーされていて、現地ではソニーと表示されたトマトが配られるというような光景が見られました。ソニーが農業をやって野菜を配るという状況は、日本ではなかなか見かけませんが、中国はトップダウンの意志決定が強く、現場の裁量も大きいため、ある意味非常に行動力があります。別の場所では、ソニーミュージックで今世界的に売れ始めている歌手が、シネコカルチャーについての専門的な質疑応答をオーディエンスと繰り広げていました。
いわゆる2000年以降に生まれたアルファ世代に、ソニープロダクトを選ぶ際の評価基準は何かと問うと、97%がサステナビリティーに関する取り組みを挙げます。これは日本とはまったく意識が違う状況だと思います。ソニーにとっても、こういうフロンティアにどんどん進出していくことは有効でしょうし、アフリカに関しても、すでに32カ国ほどのシネコカルチャーのネットワークがあって、実際、8カ国では地域と連携した農園が立ち上がっているという状況になっています。このように、世界の変化は非常に早いので、より多くの人々が利点を享受できるようにリードしていきたいと思っています。
こういったことは、当然、京都大学だけでも、またソニーグループだけでもできることではないため、各種非営利組織や大学、日立さんなどとも協力して、この自然-社会共通資本というものを拡張実装していきたいと思っています。このような文脈で、本日この後のパネリストの話を聞いていただければと思います。
【講演2】拡張生態系の実装と評価(鈴木 吾大)
鈴木 吾大:京都大学 人と社会の未来研究院 社会的共通資本と未来寄附研究部門 非常勤研究員、ソニーコンピュータサイエンス研究所 リサーチアシスタント、一般社団法人シネコカルチャー 研究員
私は拡張生態系について、一般社団法人シネコカルチャーとソニーコンピュータサイエンス研究所では、その状態の評価方法などの基礎的な研究を行っており、京都大学では、拡張生態系の自然資本としての価値や性質についての研究に携わっております。
本日は、拡張生態系の実装と評価というかなり具体的かつ技術的な話になります。
神奈川大磯町での取り組み
現在は、一般社団法人シネコカルチャーの本拠地がある神奈川県大磯町を活動拠点にしています。大磯町は、住宅地や農地などが自然豊かな山と海に囲まれており、それによって多様な環境条件が揃っているという特徴があります。
当法人では大磯町で実際に拡張生態系を実装して研究をおこなっており、農地ではシネコカルチャー(協生農法)を実践することで食料生産機能を持たせた拡張生態系、住宅地では都市緑地としての機能を持たせることを想定した拡張生態系緑地のモック作成などをおこなっています。
研究としては例えば、ゼロからの拡張生態系の立ち上げ実験を実施し、それらの状態評価などをおこなっており、2021年には砂漠のように植生のほとんどなかった耕作放棄地が、自然発生種に加えて有用種200種類以上を導入していくことで、毎年どんどん植生が豊かになり、2023年9月では、緑で覆い尽くされている状態になっています。こういった状態の変化を追ってデータを取得しています。
我々はこのようなフィールド実験で、拡張生態系の植生や土壌について、生物学的、物理学的、化学的でデータなどを収集して、これらを拡張生態系の評価系の構築に役立てています。同時に、大磯町は自然生態系が豊かであることから、周辺自然生態系のフィールド調査もおこなっており、これも後ほど出てくる拡張生態系の価値の評価に役立てています。
人間活動によって環境が回復・拡張する社会
私は拡張生態系の社会普及とはあらゆる人間活動によって環境が回復、拡張する社会を実現することであると考えています。大量生産や大量消費で特徴づけられる現代社会では、社会的共通資本の一つである自然資本を収奪的に利用することによって、そのストックを減らしている一方で、その結果として生じる環境負荷などを外部化することで生態系の崩壊を招き、その先にはしっぺ返しとして生態系の疾病予防機能の低下による人間社会での疫病蔓延などが起こっていると言えます。
社会的共通資本の考えでは、これらの限られた自然資本を市場に回すことによって買い叩かれることを避け、これらの管理や再分配を持続可能な形で適正におこなう仕組みづくりが必要だとしていますが、一方で拡張生態系では、自然資本の再生産率を高めることで、一般に制限があるとされる分配できる自然資本のパイの大きさそのものを増やす発想に基づいているため、社会的共通資本の考えとの間でのシナジーが生まれると期待しています。
これらの実現には、あらゆる人間社会の活動が拡張生態系実装につながる社会構造や仕組みづくりが必要と考えおり、そこで重要になるのがインセンティブの設計です。
インセンティブの設計に重要な要素
(1)「自然資本への影響の定量化」
・人間活動を評価する技術
・生態系機能を定量化/シミュレーションする技術
(2)「自然資本の再生産への貢献をした団体・人への報酬付与の仕組み」
・制度設計(行政、投資家、DAO)
・報酬付与のシステム設計(農産物、寄付、保険、NFT)
(3)「自然資本の再生産に貢献する人口を増やす」
・企業家やNPOなどの活動を客観的に評価
・奉仕的な活動をおこなう人に報酬を付与する社会措置の構築
この(1)(2)(3)を順に実現していく必要があります。
現在、我々は(2)のための(1)の開発を手掛けており、この後、紹介させていただきます。
自然資本への貢献をした団体・人への報酬付与の仕組み
その前に(2)を改めて詳しく紹介させていただくと、自然資本への貢献をした団体・人への報酬付与の仕組みは、大きくは行政と投資家、DAOと場が分けられます。
それぞれ、行政では環境税の再分配やカーボンニュートラルに対する取り組み、投資家はグリーンボンドやサステナブルボンド、持続可能ビジネスへの投資、DAOは、個人レベル以上のより広い範囲に適用可能で、NFTの発行や寄付、あるいは農産物そのものを報酬として供給することも可能です。
いずれにせよ、自然資本への影響の定量評価によって、報酬を付与することが必要になってきます。
拡張生態系に基づくグリーンプロジェクトの評価の特徴
次に、自然資本への影響の定量評価において、拡張生態系の評価が既存のものと比較して、どう特徴づけられるかを紹介します。
例えば、拡張生態系に基づくグリーンプロジェクトが立てられたと仮定して、これに対してグリーンボンドなどが投資されるまでのプロセスをベースに既存のグリーンプロジェクトと比較をしてみます。グリーンボンドの発行・評価のプロセスを発行/評価/結果で見ると、既存のグリーンプロジェクトの発行段階では、その目標設定が「生物多様性向上を目的とした環境デザイン」などとされ、これに対して評価段階で、「一部の指定された生物種に対するハビタット指標」などが評価指標として設定されることがしばしばあります。その結果として、「対象の生物種が保護できるプロジェクトにはなるけれど、一方で生物多様性向上の社会的インパクトのの本質である生態系機能や生態系サービスの改善に必ずしも繋がるとは限らない」ということも可能性としてあり得ます。
同様に、拡張生態系に基づくグリーンプロジェクトの場合を仮定するとと、発行段階での目標設定が「生態系機能/サービスの向上、そのための種導入や環境デザイン」としており、また、既存のプロジェクトで「生物多様性の向上」を最終目標と位置付けているのに対して、手段の一つとして位置付けているところが特徴的です。これを評価するには、「定量的な生態系ネットワーク構築度の度合いと生態系機能/サービスを示す指標」が必要であり、生物多様性とそれに基づくその生態系機能やサービスを一連のプロセスやシステムとして捉える必要があるため、既存のプロジェクトよりもシステムレベルでの評価が必要になってきます。そうしてやっと、「生態系機能/サービスの維持や、向上していることが評価できる」ということが言えるようになります。
以上、この両者の比較を端的に言えば、既存のプロジェクトは部分最適的なプロジェクトで、拡張生態系に基づくプロジェクトはは全体最適的と言えるでしょう。
拡張生態系の評価の概要
次に、その評価方法の具体論に入ります。拡張生態系の原理は、自然状態以上に高めた生物多様性と生態系機能の間で自己組織化サイクルを回すことに基づいています。そして、結果としてそこから得られる生態系サービスの向上までの、一連のプロセスを可視化できるように指標化する必要があります。ここで重要なのは、何をもって生態系を拡張できたか、その基準を設定することですが、我々は比較的、実現可能性が高くてかつ、効果的な方法として、周辺の自然生態系を基準として、これより指標が改善されているか判別することで、拡張生態系としてのクオリティーを推定することを目指しています。理由としては、生物多様性や生態系機能には、地域や気候帯などの環境条件への依存性があるため、条件ごとにベースラインを変える必要があります。このようにベースラインを変えた、簡便に比較ができる方法がより一般的なワークフローの仕様として必要であると考えています。
生物多様性指標(事例)
生物多様性と生態系機能の間の自己組織のサイクルが、うまく回っていそうそうか判別するための指標としては、生物種同士の相互作用のデータを使って評価する手法がすでにソニーコンピュータサイエンス研究所で開発され、論文としても発表されています。ここでは調べたい対象の生態系に存在する生物種やそれらと相互作用することが知られている生物種との間の相互作用のネットワークを構築して、これの複雑度合いを評価します。、評価値は最終的に1軸の値として出るようになっています。つまり、対象の生態系の生物種リストが与えられれば、1軸の指標値が出せるような仕組みになっています。
生態系機能・サービス指標(事例)
次に自己組織化サイクルが回った結果として生態系サービスが向上するか判別する指標について、こちらもソニーコンピュータサイエンス研究所ですでに発表しているものがあります。どの生態系サービスにどの生物種が関係しているかというデータを使っており、それらを使って調べたい対象の生態系に対して、どのサービスがどれくらい期待されるのかあるのかを定量化して示すことができます。これを例えば、周辺の自然生態系に対して拡張した生態系が、どれだけ相対的に上がっているかを評価することができます。
複数指標を用いた評価の重要性
以上のように、生物多様性と生態系機能の間の自己組織化サイクルに関する指標と生態系サービスの度合いを示す指標を紹介しましたが、我々はこれらを組み合わせて同時に評価を行う評価系が必要だと考えています。その理由を説明するために、慣行農法とシネコカルチャー(協生農法)、自然植生(自然生態系)の3つの生態系の分布を複数指標でマップしたパターンを示します。、これらの生態系サービス(ここでは、食料生産に関わる生産サービスと設定)と生物多様性指標をそれぞれ見ると、慣行農法は生態系サービスが高いのに対して、自然生態系は生物多様性の指標が高くなっています。一方で拡張生態系は、これらの両者を実現することを目指しているので、両者を同時に比較することで、拡張生態系の特徴づけがデータの中に表れてきます。このように拡張生態系が拡張されているかを調べるには、こういった生物多様性指標や生態系サービスなどの複数の指標を同時に使った、多面的な評価系が必要ということが言えます。
生態系サービスの炭素固定
生態系サービスとしては様々なものが知られていますが、我々が現在、特に重要視しているのは炭素固定に関わる生態系サービスです。炭素固定自体は、生態系における物質循環の中でも基本的で大切なプロセスで、生態系サービスという観点でも、気候の調整サービスなどとしてよく知られています。近年、その炭素固定のクレジットが普及していることもあり、拡張生態系に基づくグリーンプロジェクトの社会的価値を示す指標としても、今、大変期待できるのではないかと注目されています。拡張生態系の炭素固定の能力を評価する上で、我々はストックとフローという二つの観点で見ることを重要と考えています。
炭素固定におけるストックとフローの評価
ここでいうフローというのは、調べたい対象の生態系とその境界の外部との間の、炭素の吸収量と放出量を合算した収支を示します。生態学の分野では古くから研究されている対象で、空間・時間において様々なスケールで調べられていますが、我々は対象の生態系について年次ごとに評価することを想定しています。一方でここでいうストックというのはあるときの対象の生態系に貯留されている炭素の量を指し、フローとの関係はあるときまでのフローの累積量に相当します。森林プロジェクトなどで評価される炭素固定は、このストックが評価される傾向にあり、炭素クレジットの指標としても使われることがあります。拡張生態系、特にシネコカルチャー(協生農法)では、森林プロジェクトで評価されるようなストック機能に加えて、積極的に生態系で生じるの産物を利用するため、大気中から固定された炭素が社会に還元されていきます。このフローの観点も拡張生態系の社会的価値を示す上で極めて重要です。
炭素フローの評価事例
どうやって炭素フローを評価していくか、簡単な事例を紹介します。先ほどと同じように慣行農法と自然植生(自然生態系)、シネコカルチャー(協生農法))の3者を比較すると、フローには、収穫や成長見込みなどの炭素の吸収に相当する要素もあれば、肥料農薬投入やそこにかかった化石燃料のエネルギーなど、炭素排出に相当する要素もあります。これらを全部合算した結果として、年次炭素フローというものが最終的に算出されます。これらを例えば、慣行農法とシネコカルチャー(協生農法)で比較してみると、どちらも収穫によって大気の二酸化炭素が固定されて吸収されますが、炭素排出される肥料投入などを加味すると、慣行農法では最終的な収支が炭素排出有意になります。一方で、シネコカルチャー(協生農法)では、無施肥、無耕起、無農薬という原理原則の下におこなわれるので、こういった負荷はかからないため、収支は炭素吸収有意になります。
三者の収支それぞれの結果を見ると、慣行農法は炭素排出、シネコカルチャー(協生農法)では炭素吸収にそれぞれ有意になっており、自然生態系ではわずかに吸収有意になるけどほとんど変わらないという特徴が現れます。
生態系拡張しているかを生物多様性指標と生態系サービス(機能)の多面的評価の事例
ここまでご紹介したように、生態系サービスと生物多様性指標を使って実際に評価系をつくってみると、慣行農法と自然植生(自然生態系)、シネコカルチャー(協生農法)で、どれだけ拡張されているかどうかを判別する方法として、自然生態系よりも有意に大きい閾値を引いて、それより右上にあると拡張生態系らしい生態系であるということが判別できるようになります。
20年後までの炭素フローシミュレーション
一方でこのストックを調べてみますと、自然生態系は樹木が多いのでストックが多い点で拡張生態系や慣行農法よりもアドバンテージがありますが、そのストックがフローの蓄積であるという観点で見ると、シネコカルチャー(協生農法)は、13年でその累積量が自然生態系の炭素固定量を超えます。そこでフローをベースに既存のストックベースのカーボンクレジットをコンバーティブルに評価することができると言えます。ただこのような観点自体、まだカーボンクレジット業界で取り入れられていないため、今後、研究を深めて、社会実装を進めていくことが極めて重要であると考えています。
まとめ
拡張生態系の質を評価するために、生物多様性と生態系サービスのそれぞれの観点に基づいた指標づくりと、これら両軸を使った評価系の手法を開発中です。
拡張生態系プロジェクトの社会的価値の観点では、生態系サービスのうち、炭素固定を評価する仕様に今、注目しています。
拡張生態系の炭素固定を評価する上では、従来のような炭素ストック評価に加えて、炭素フロー評価もおこなう必要があります。
【講演3】地域圏プラットフォーム構想と自然環境シミュレーション(渡辺 康一)
渡辺 康一:日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ プロジェクトマネージャ
日立製作所研究開発グループ基礎研究センターの渡辺と申します。今回、地域プラットフォーム構想と自然環境シミュレーションという形でご紹介させていただきます。
〈1章 日立および研究開発方針〉
日立のめざす事業の姿
日立のめざす事業の姿は、「人々のQoLの向上」「顧客企業の価値の向上」で、社会価値、環境価値、経済価値の3つの価値に着目して事業を進めていこうと考えています。特に3つの領域、「環境」「レジリエンス」「安心・安全」という形で、現在、会社として進めています。
その中で、我々の研究開発の方向性は、地球規模の社会課題をもう一度見直し、気候変動、資源不足、高齢化などの問題に対して、最近のCOVID-19の影響なども考えた上で、研究開発の方針も製品/SIから顧客協創という形から、価値起点のイノベーションを起こそうという流れになっています。
日立研究開発グループが考える2050年の社会価値
そこで、日立の研究開発グループは「2050年からのバックキャスト」をキーワードに、まず2050年の社会課題を考えて、「環境」「レジリエンス」「安心・安全」の三つの産業分野の将来像に向けて進んでいこうとしています。我々が設定している2050年の社会課題としては、環境では「環境中立社会」、安心安全では「現役100年社会」、レジリエンスでは「デジタルと人・社会の共進化」というもので、本日の課題にもこの三つが大きく関わっていると考え、研究開発を進めています。
オープンイノベーション加速に向けたエンベデッドラボ創設
これに関しては、日立だけで進めていくのは難しいので、2016年に大きな変革をおこないました。前出の社会課題解決のために、国内外のリーディング大学と組むというもので、そちらに人を置いて研究するという形に大きく舵を切っています。東大ラボ、京大ラボ、北大ラボ、神戸ラボ、そして昔からあるケンブリッジラボ。特に、日立京大ラボは「人と文化の理解による将来の社会課題解決」をテーマに、文理融合を掲げて研究を進めています。
〈2章 地域圏プラットフォーム構想〉
ここを話すに当たって、まず、日立京大ラボの概要を少し説明します。
日立京大ラボの概要
先ほども述べましたが、未来の社会課題の探索とその解決に向けて、京都大学の中にラボを設置しています。特に共同研究としては、「ヒトと文化の理解に基づく基礎と学理の探求」を推進しており、メンバー一同、苦しみながらも成果を出してきています。
ここの中で「2050年の社会課題の探索」「ヒトや文化に学ぶ社会システム」について、AI、人工知能を取り入れた研究を進めています。
その中の研究内容を3つほど紹介したいと思います。
多元価値シミュレーション
一つ目が多元価値シミュレーションです。マルチエージェントシミュレーションと名付けていますが、これは、太陽光や水力発電所などをモデル化してマルチエージェントとしてのシミュレーションを実施し、さまざまなステークホルダーに関わる多元的な価値指標を導出するシミュレーターです。例題として、地域の再生エネルギーを取り上げ、地域の政策に対して対応の選択肢とトレードオフを提示してみると、2万通りのシミュレーション結果から、それぞれ、「域内の配分率が高い」「再エネ自給率が高い」「CO2の排出量が少ない」「コストが安い」などに対してランキングをつけ、その際のバランスはどうなっているかなどを可視化できます。
ESGアセスメント(社会的インパクト評価)
二つ目がESGアセスメントです。社会的インパクト評価と呼んでいますが、多元価値シミュレーションと主観的ロジックモデルの結合によってインパクトを数値化するというものです。これによってESD投資や社会的事業計画において、多元的な評価を与えて判断いただくというようなことができるシミュレーターとなっています。
合意形成支援
三つ目が合意形成支援というものです。周囲の集団の意思の可視化によって、少数派であるとか利己主義であるとかを明示化し、ファシリテーションに利用できるものとなっています。グラフモデルによってコンフリクト状態を解析し、合意への道筋とか可能性を提示することができます。例えば今、社会価値、経済価値、環境価値に関して少数派、多数派はどの辺にいるのかということを見た上で、公営化プロセスに対する提示ができるというものになっています。
地域活性化に向けた地域圏プラットフォーム構想
これらの技術の延長上をうまく使い、地域活性化に向けた、地域圏プラットフォーム構想というものを、今、日立京大ラボを中心に考えています。これは、簡単に言うと、都市と農村をうまく結び、地域圏を連携させていこうという取り組みで、階層が(1)から(4)に分かれています。日立京大ラボの範囲では、基本は(3)、(4)をメインに取り組んでいます。(2)の「自然」というところに関しては、この後に紹介する自然環境シミュレーターというものを基礎研究センター内で開発しており、また、(1)の「モノとカネ」については、この後、弊社の田部が話す自然資本勘定という研究をおこなっており、この4階層についての研究開発を進めていくことで、地域圏プラットフォーム構想を実現しようとしています。
サイバーと人間社会の協同システム(Social Co-OS)
2章の最後になりますが、日立京大ラボが進めてきた、Social Co-OSというサイバーと人間社会の協同システムがあります。これに対して、地域圏サプライチェーンを入れた上で、先ほどの地域圏プラットフォームの4階層に関するシミュレーションなどをおこなうことにより社会実装していき、地域圏プラットフォーム構想を実現していきたいというふうに我々は考えています。
〈3章 生物多様性実証に向けた自然環境シミュレーター〉
3章として、生物多様性実証に向けた自然環境シミュレーターを紹介します。
生物多様性国家戦略 2023-2030において設定する状態目標・行動目標に関する指標
日本の生物多様性における国家戦略で、状態目標、行動目標に対する指標をつくっており、ポイントとしては、生物多様性と気候危機という問題に対して、“ネイチャーポジティブ”を実現していかなければならないと挙げられています。その実現に向けて、「生態系の健全性の回復」「自然を活用した社会課題の解決」「ネイチャーポジティブ経済の実現」「生活・消費活動における生物多様性の価値認識と行動」「生物多様性に関わる取り組みを支える基盤整備と国際連携の推進」という5つの基本戦略が設定されており、我々もこれを意識した上で、自然環境シミュレーターや自然資本勘定という概念に取り組んでいかなければと考えています。
生物多様性の評価指標 MSA(平均生物種豊富度)
生物多様性の評価指標として、ソニーさんもいろいろ考えておられるが、今、MSAというメジャーな平均生物種豊富度というのがあります。こういうものにうまく我々の予測が利用できないかと考えています。これは、湖のMSA、河川のMSA、沼地のMSAなど、領域によって算出できるところが特徴なので、場所によって使い分けることを含めて、我々は今、シミュレーターの開発を進めています。
自然環境シミュレーター
自然環境シミュレーターについて、基本的には、土地開発、気象、土壌、河川流量・水質などの各種情報を統合して、対象地のMSAをモデルに基づいて推算して可視化するというのが目的になっています。土地データとしては、衛星データやドローンなどによるデータ。また、生態系データになると環境DNAというものがあります。これは川や沼からの土壌といった環境の中に存在する生物由来のDNAを測ることによって取得できます。また、水質観測は、省庁等が持っているデータを合わせていくことができます。これらを元に、まずは自然環境シミュレーターとして、重要となる、窒素やリンの可視化、そこからMSAの推定をし、最終的には地域の保全計画を守るためにはどうなのか、このままいくと将来的にはMSAは減少するのか、大きくなるのかを予測したり、地域の活性化に関しても、共存できるかというところも含めて、進めていきたいと思っています。
【講演4】自然資本勘定に基づく持続可能社会への提言(田部 洋祐)
田部 洋祐:日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ 主任研究員
「自然資本勘定に基づく持続可能社会への提言」という大それたタイトルですが、本日は自然資本勘定というものをなるべく分かりやすくお伝えできればと考えています。
本日のあらすじ
特に、自然資本勘定というものの考え方には非常に自由なところがあり、考え方によっては、社会にいろいろな価値を生み出す源泉となる可能性があることを本日お伝えできればと思います。また、自然資本勘定と持続可能な社会の関連についてもお話しできればと思っています。まず、背景となる自然資本の減少という問題についてお話をさせていただきます。
自然資本の減少という問題
Inclusive Wealth Report 2018に、1992年を原点として1人当たりの富がどのように変化しているかを示したグラフがあります。これを見ると、生産された資本(財/サービスなど)や人的資本(教育/健康など)は1992年から増えているが、一方で自然資本(森林/漁場/、鉱物など)はどんどん減っているといったことが報告されています。この結果、何が起こるかというと、環境破壊による公害や、さらに近年では気候変動、生物多様性の損失、いろんなところに影響があると言われています。また、この1人当たりの富として自然資本が減っていくことで、この自然資本をメインに生活されている方が非常に影響を受けるという現代的貧困が広がっているといった問題もあります。
自然資本の減少は、経済の成長を最優先に、地球環境にある資源を無計画に利用してしまったことが、要因になっています。豊かな自然を保ちつつ、経済成長するにはどうすればよいのでしょうか。このような問いに対して、我々は宇沢氏から、社会的共通資本の理念を指針としていただいています。
社会的共通資本の理念と生物多様性の経済学
社会的共通資本論とは、自然資本だけではなく、社会インフラや社会制度など社会を形成する要素全体を貴重な資源と考えて、どう最適に配分するかを考える学問です。凡そ考えられる社会の構成要素すべてを取り込み、その関係性の価値を明らかにする姿勢は、井筒俊彦先生の『事事無碍・理理無碍』にあるような、お互いがお互いを照らし合い存在が成り立つという仏教的な世界観とも類似しているように思います。恐らく宇沢氏が社会的共通資本論において目指されていたのは、あらゆる生物や自然環境、社会インフラや社会制度などがお互いに価値ある相関関係を持つ多様性の世界における経済学を検討されていたのではないかと私は考えています。
さて、宇沢氏のお弟子筋に当たるダスグプタ氏が、イギリスで2021年に出された『生物多様性の経済学』では、この広い社会的共通資本のうち、特に自然資本勘定について言及されています。これは、英国の財務省の報告書ですので、英国経済の将来を見据える上での指針になると予想されます。ぜひ、この自然資本勘定というものがどういう考え方なのか、持続可能な社会にどう役に立つのかといったところを学んでいきたいと思うところです。
自然資本勘定の考え方
自然資本勘定の考え方には、数理経済的なバックグラウンドがありますが、今回は概念的に自然資本勘定の三つのステップを説明します。一つ目のステップは、①「社会目標を決める」ことです。社会目標ですので、例えばGDPといった経済価値だけでなく、環境価値や、社会価値というものも定量化し、これらを組み合わせた価値を最大化することを目標とします。次に、社会目標を最大する際における様々な社会的、経済的、環境的、物理的な制約について、二つ目のステップ②「制約条件を決める」で行います。ここには、数理的なモデリングが必要となります。最後に、この①と②から、数理経済的な手法に基づいて、最後のステップで③「自然資本の帰属価格を求める」ことを行います。自然資本の帰属価格とは何かというと、自然資本が少し増えた、または、少し減ったときに、社会目標にどれだけ近づくか、遠のくかという影響度のことです。私の理解では、この3ステップで自然資本勘定が行われます。
自然資本勘定〜経済最優先の場合〜
社会目標が自然資本勘定のステップに組み込まれているということは、社会目標に応じて勘定結果が変わるということです。当然、経済優先の社会目標を立てることもできます。そうなると、制約条件としては自然がどう経済に役立つかが重要になり、社会目標を達成するためには、自然を消費して、どんどん財やサービスを生み出せば良いということになります。結果として、自然資本の使用料は、ほぼ無料に近くなり、自然資本を使い尽くして、環境が破壊されてしまうといった結果が生まれます。
自然資本勘定〜環境最優先の場合〜
一方で、社会目標を環境優先に置いた場合、美しい空気や水、多様な動植物に囲まれた世界が目標となります。これに基づいて自然資本の帰属価格が求められると、動物を増やしたり、空気をきれいにしたり、森を増やしたりすることで社会目標に近づいていくので、これらが非常に高価なものとして扱われ、結果として自然資本の保全や育成が盛んにおこなわれていく社会になります。
自然資本勘定〜バランス目標の場合〜
最後に、経済も、経済も、社会も大事に考える社会目標についてです。この場合、社会の多様な構成要素の相互作用、相互連関が重要になり、これに基づいて自然資本の帰属価格が求められます。あらゆるつながりに価値が見出され、社会全体の連関が解明、発見されるほど、社会目標に近づいていきます。
帰属価格の利用法
さて、このようにして求められた帰属価格ですが、その利用法についての宇沢氏の記述があります。社会的共通資本の数理解析において、『帰属価格が配分プロセスにおけるシグナルとして利用されるときに、持続可能な社会が生まれる』と書かれており、シグナルとして利用されるという点が、いろいろな考え方ができ、非常に面白いところです。利用法の1例として、次に上げさせていただきます。
まず考えるのは、帰属価格を、市場価格の決定に利用することです。しかし、市場に流通しない空気などにはこの考え方が使えません。そのため、グリーンボンドなどの債券の発行に利用することもできそうです。あるいは、帰属価格が社会目標に対する影響度であることを考えると、自然資本の状態に関して情報発信するときの量の尺度として、どれだけの情報として社会に伝えるかというところの決定にも利用できそうです。更に、現状として自然がどんどん減っていく中、減った分を担保しないといけなくなりますので、保険の査定に利用できるかもしれません。
帰属価格をシグナルとして利用する方法は、まだまだ沢山あると思います。皆様と一緒に帰属価格の利用法を考えて、社会目標に近づいていく社会を一緒に作って行ければと思っています。
自然資本勘定の社会影響について:自然資本勘定をおこなわない場合
次に、自然資本勘定が、どう社会に影響するかを簡単なモデルを使ってお話できればと思います。ここでは、自然を利用して財やサービスを生み出し、その際に温室効果ガスや廃棄物を出す生産者を考えます。また、その生産者が生み出した財やサービスを購入する消費者を考えます。自然資本勘定をおこなっていない場合は、自然の経済利用価値のみが勘定され、その他の効用が勘定されていないので、生産者は非常に安く自然を利用でき、消費者は安い物をたくさん買うことができます。保全者は自然を保全・育成していますが、その対価は低いのでインセンティブが働かず、結果として自然が破壊されていくことになります。
自然資本勘定の社会影響について:自然資本勘定をおこなう場合
次に、自然資本勘定をおこなった場合どうなるか。ここでは自然には、温室効果ガスや廃棄物を徐々に吸収分解していくという機能があるとします。また、温室効果ガスや廃棄物は少ない方が社会目標に近いという合意形成が成されている社会を考えます。結果として、社会目標に対する自然の影響度が高くなりますので、生産者は自然資本勘定に基づいた適切な価格で、これまでより高いお金を支払って、自然を利用することになります。これにより、生産する財やサービスが高くなりますので、消費者は買い控えをしたり、より自然に優しい代替の財やサービスを消費していくことになります。また、保全者に関しては、自然の保全・育成に対して適切な対価を得る流れができていきます。
自然資本勘定の社会実装に向けた一案
自然資本勘定を社会実装するためには自然資本勘定を行うシステムと、勘定結果をシグナルとして利用するシステムの、2つのシステムが必要になると思います。自然資本勘定システムでは、社会目標を設定して、社会目標に関連する資源の制約条件に基づいて、それぞれの地域における自然資本の帰属価格を算出します。シグナルとして利用するシステムの一例としては、パラメトリック保険のようなものが考えられます。衛星リモートセンシングなどにより求められた自然資本の減少量をインデックスとして、減少量と帰属価格とかけることによって社会的な損害を見積もることができます。これを保険の損害見積価格として、この自然種を保全している方々に保険金として支払っていくことで、自然を回復していく流れを作り出せるのではないでしょうか。
まとめ
自然資本勘定を社会に実装していくためのステップとして、まず、社会目標を考えること。それから、社会目標に関連する資源の制約条件の理解を深めること。そして、得られた自然資本の帰属価格をシグナルとして社会を動かすことを示しました。自然資本勘定を活用して、合意の取れた社会目標に歩んでいく社会を、ぜひ、皆様と議論できればと思います。
【ショートプレゼン1】自然環境および人体の健康と生態系機能(河岡 辰弥)
河岡 辰弥:京都大学 人と社会の未来研究院 社会的共通資本と未来寄附研究部門 非常勤研究員、ソニーコンピュータサイエンス研究所 リサーチアシスタント、一般社団法人シネコカルチャー 研究員
京都大学非常勤研究員の河岡と申します。本日は、自然環境と人体の健康をつなぐ生態系機能についてお話をさせていただきます。
人間による自然資本の再生産
人間社会が自然資本から一方的に搾取、収奪をする状態なのか、それとも人間活動によって自然資本がどんどん豊かになっていく文化を形成するのか。どちらの未来に向かうかは、今を生きる私たちの仕事であったり、研究であったり、そういったものがどういった方向に向かっているかに依存していると言えます。どうしても従来の、生態系機能を消費してしまう社会のモデルでは、お互いに足元を削り合い、誰が有利なポジションを取るのか、そういった争いになってしまって、環境や生態系、未来世代に負荷が押し付けられてしまいます。
一方で、こういった負荷を押し付けずに、我々がそもそも足元にある自然資本を増やしていくためには、どういう行動が必要になってくるのかというところに関して研究をしています。
どうしても日本のような豊かな生態系の空間では、なぜ生態系機能が損なわれるとまずいのかがイメージできないということがあるかと思うので、そこに関して、人の健康と生態系機能についてのお話をさせていただきたいと思います。
人の健康と生態系機能について
いわゆる従来の工業化・都市化を進めていってしまうと、生態系の機能がだんだん低下していき、結果として環境中の微生物多様性や人の腸内にいる微生物の多様性が低下することが分かってきています。西ドイツと東ドイツでおこなわれた比較研究で、経済的に豊かになった西ドイツが、リウマチやアレルギーなど、免疫関連疾患が非常に増えてしまったことについて調べた結果、腸内細菌叢の多様性が重要であるということが分かりました。日本においては免疫関連疾患でいうと、認知症ですとかパーキンソン病などの神経変性疾患が非常に深刻な社会問題で、認知症患者の保有する金融資産が140兆円に上り、それらが資産凍結してしまうリスクがあるということが報告されています。
私たちは経済的合理性を求めて、環境を仕方なく破壊してしまいましたが、非常に莫大な金額の経済的損失も、実はメタな視点で見ると負っているのです。こうした構造を乗り越えるために、どういった社会を実現すべきなのかという話をすると、人間活動によって生態系の機能が向上して、環境中、および、そこで暮らす人の腸内の微生物多様性が向上するような社会を実現することによって、そもそも、免疫関連疾患の発症リスクが低い社会を実現できるのではないかということを考えています。
拡張生態系空間の活用
実際に一般社団法人シネコカルチャーと、東京都日野市にあるiMAReという介護福祉業界の企業の方と共同でおこなった研究を紹介します。おこなったのは、拡張生態系空間(生態系機能の高い空間)でのリハビリテーションと体質の分析、個別化された生活習慣指導とテクノロジーを組み合わせることによって、免疫系が暴走しにくい状態をつくる社会装置に関する研究です。結果として、認知症の患者さんを含む高齢者のホモシステインという炎症性マーカーが有意に改善するということ、認知機能が有意に改善するということが分かってきました。緑地の半径800メートル圏内で慢性疾患、特に免疫が関わるような疾患の発症率が低いという研究結果も出ているので、こういったモデルの介護施設が増えれば増えるほど拡張生態系空間が増え、生態系機能の地域住民の健康の底上げにもつながるという世界線もあり得るのではないでしょうか。
今、少子高齢化など、社会課題はたくさんありますが、こういった事業が進むことによって生態系機能が向上していく。そういった社会装置を、あらゆる業界でつくっていく必要があると考えています。
【ショートプレゼン2】都市と農村(宮越 純一)
宮越 純一:京都大学 オープンイノベーション機構 日立未来課題探索共同研究部門 民間等共同研究員、日立製作所 研究開発グループ 基礎研究センタ 日立京大ラボ 主任研究員
施策シミュレーションの紹介
まず私の研究である「多元価値シミュレーション」を紹介いたします。内容としては、地域経済など、多くの指標をシミュレーションで定量的に予測し、その地域にとってより良い施策をおこなうための意思決定を支援するというものです。構造簡単に説明すると、ある施策、例えば再生可能エネルギーの導入などを考える際に、そこではどんな発電設備が良いのか、どのくらいの規模が良いのか、判断が難しい問題に対して、地域のモデルを作り、そこでシミュレーションをおこない、地域の経済循環率はどのくらいになるかや、CO2はどのくらい排出されるかなどを、定量的に提示させていただくといった仕組みになっております。
都市と農村の現状
ここで大きく話が変わりますが、「都市と農村」というのが、私が今テーマとして興味を持っているところで、先ほどのシミュレーションを、ここに適用できないかと考えております。都市と農村の現状を簡単に言うと、農村はご存じのとおり、都市にとっても多数の公益的機能が存在します。それこそ自然が豊かで自然資本がたくさんあるとか、それ以外にも保養的な機能も存在します。一方で、データが示す限り、多くの農村は人口減少で存亡の危機に瀕しています。これは、非常に大きな問題です。そういった現状を引き起こしている要因はたくさんありますが、その一つとして考えられるのが、今まで、講演1〜4でも出てきたような、市場経済というものが一つのトリガーになっている可能性があると思っています。
都市と農村、社会的共通資本
都市と農村の関係は単純に言うと、食の供給源として農村がその生産をおこなって、都市に消費されているという関係です。この市場経済的な関係性が、農村の力をどんどん削減している可能性があります。これを、社会的共通資本という考え方を参考にして、もう一度、見直すことができないかと考えています。例えば、都市と農村が、それぞれの問題として捉えられているものを一つの枠組みとして捉え、共通の目標、プラネタリーバウンダリーや持続可能性、幸福度などを目標として、良い関係をつくっていけなかと考えています。
より良い関係をシミュレーションで探索
とはいえ、どういう関係がいいかというのは非常に難しい問題です。都市と農村の間には複雑な人・モノ・カネの流れが存在し、それぞれに利点もあり、どれを選ぶかはとても難しいです。そのため、本シミュレーション技術を使って、その関係性を明確にしていき、社会的共通資本に則った新しい関係が探し出せないだろうか。また、新たな関係に対する、意識改革の俎上になっていくのではないだろうか、そういうところに貢献できるのではないかと考えております。
【パネルディスカッション】…自然資本と地域・人間・社会をつなぐ―社会的共通資本の新たな展望
(コーディネーター 占部 まり)
占部 今から進行役を務めさせていただきます、宇沢国際学館の占部まりです。よろしくお願いいたします。どの登壇者をとってみても、1時間半ぐらいお話しいただけそうな方ばかりなので、まとめていくのは非常に大変だと思いますが、研究内容の情報が入っておられるお三方に、取りあえずは今の発表を聞いての感想とこれからの展望等々、お話しいただけたらと思います。まず広井さん、よろしくお願いします。
広井 感想の前に全体的なことですが、私自身、それから皆さんの問題意識として、日本社会が持続可能性という意味で相当危うい状況になっていると感じています。いろんなツケを将来世代に回していて、非常に危機的な状況だと思います。それを何とかしたいというのが我々の共通認識です。幸い、ソニーと日立という日本を代表する企業がこういう形で出会うこと自体が画期的なことではないかと、手前みそではありますが思いますし、それだけ今危機感を持っており、また、希望を込めて言うと、そういう何とか新しい状況をつくっていこうという動きが、いろんな形で湧き起こりつつあります。
今日の全体としては、ソニーの舩橋さんたちの話は、かなり生態系に即した形で、舩橋さんの拡張生態系、協生農法を軸に、比較的、生態系に密着した研究をされていたと思います。片や日立のほうは、都市と農村という話があったり、地域圏プラットフォームという話もあったり、より総合的なアプローチからのお話で、問題意識が非常に重なっている部分があると同時に、割と補完的な関係になっていると思うんです。ですから、これをいろんな形で融合していくことで、社会的共通資本の理念に根ざした新しい社会のビジョンを、また、理論だけにとどまらず、社会実装や政策提言につなげていきたいと思っていますので、皆さまのほうからもいろんな意見をいただければと思います。
占部 舩橋さん、いかがでしょうか。
舩橋 拡張生態系について、私のバックグラウンドが生物や物理なので、自然科学的にきっちりと構築していって、地球上でそれができる所に自ら行って実装するというスタイルでやってきました。その結果、何が起きたかというと、日本が置いてけぼりになってしまい、アフリカや中国、インドネシアなどで注目を集めて、実際、ビジネスとしてもスタートしているような状況になってしまったんです。
非国民と言われそうですが、地球規模で考えると日本が立ち遅れてしまうのは、逆に言うと日本がすごく恵まれているからでもありまして、そこを何とかしたいと考えたときに、例えば、日立さんがやられている地域支援プラットフォームというのは、誰一人取り残さないという目線で見ても、どんな地域の多様性が来たとしても、このシミュレーション中で必要な情報を入れれば、いろんな提案ができるという状況を目指しているはずなんですよね。なので、ソニー側が無手勝流で、自然科学的にガリガリやってきた部分と、日立さんの包括的にきちんと多元価値を入れ込んで総合的なバランスを取ろうとするやり方は、結構相性がいいんじゃないかなと思いました。
占部 渡辺さん、いかがでしょうか。
渡辺 まず、日立とソニーということから言わせていただきますと、私が以前、光ディスクをやっていたときに、ソニーさんと一緒に規格化などをやらせてもらったことがありまして、そのときに感じたのは、日立はトップダウンの会社、ソニーさんはボトムアップの会社、だけど相性は悪くないかもしれないなということでした。
日立側からソニーさんに良い影響を与えられるか、わからない部分はあるんですけど、我々の立場からすると、考え方やアプローチの仕方が違うことを知るだけでも勉強になりますし、今後の日本にも役立つと考えているので、ぜひ一緒にやっていきたいと考えております。
占部 チャットのほうにも質問が来ておりますので、田部さんにお伺いします。「合意形成の話がありましたが、合意形成というのは一番のネックなのではないか」ということで、今の時点でドライバーのようなもの、何かけん引する力についてご意見があれば。
田部 これに関しては私じゃなく、宮越さんにお話を伺った方がいいのかなと思いますが、そういった合意形成を取るのはすごく難しい。結局、全体の合意形成が取れないと、帰属価格についても、少数の中で合意形成が取れたとしてもその少数の中での帰属価格ということになりますので、そこを力としていくにはなかなか難しいと思います。ドライバーとしてなかなか成り得ない。
ただ、みんなの意見を反映して社会目標を決めていくところですが、制約条件を物理的に決めていくところとは違って、人の気持ちが込められるというところにすごく僕はポジティブさを感じていまして、どんどん、会話を進めていくというところは委ねられているので、「これをしたい」「こうできれば」といったところで、合意形成が徐々に得られるんではないかというふうに思っている次第であります。
占部 宮越さん、補足がありますか。
宮越 いや、そのとおりだと思います。合意形成の話、日立京大ラボでも研究としておこなっているんですけど、非常に難しい、古典的にずっとある問題の一つで。何をもって合意形成かというところから、誰と合意形成するのか、どこからスタートするのかが非常に難しい。そもそも、これが重要であるという合意をどう取るのかというところからスタートしないといけないので、本来はとても難しい問題かなと思うんですけれど、その中でも定量化して見えるようにしたり、それともみんなで議論をする上で、IT技術を使ってその議論を活性化したり、その中で積極的な反対者をいかに減らしていくか、そういったところで合意というものに対して、技術を加えて支援していくというのが私たちにできることだと思います。
占部 そうすると鎮守の森がこの合意形成に、非常に示唆を与えてくださるような気がするんですけど、広井さん、いかがでしょうか。
広井 ここで鎮守の森の話に飛ぶとは思っていませんでした笑。鎮守の森について、少し場違いな話題を出したように思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、実は宇沢弘文氏も鎮守の森、社とか森の重要性ということを、社会的共通資本の本や、その他でも書かれているのです。コモンズというテーマともつながります。直ちに鎮守の森が合意形成の土台にはならないと思いますが、共通の土俵というか、議論や価値観の土台になるものを再発見することで、コミュニティーでの意思決定、合意形成がなされるということはあると思いますので、私は合意形成という点でも、伝統文化の再発見、再評価ということは重要ではないかと思っています。もちろん、単に伝統に還るというよりは、懐かしい未来という言葉があるように、現代的な視点を踏まえての伝統ということになると思いますが。
それから先ほどの合意形成というのは非常に難しいと思うんですけど、皆さんの研究でやっているのは、合意形成の土台となるような、共通の現状の問題についてのシミュレーションとか事実関係を示すことと言えると思います。つまり事実認識で人々の価値観とか判断というのは大きく変わるので、合意形成の土台となるようなものをつくっていくという、それがこのプロジェクトの、また一つの重要なポイントかなというふうに思います。
占部 舩橋さん、何かおっしゃりたそうな雰囲気ですが。
舩橋 私の場合、合意形成を議論する前に、多分、日本の問題は無気力、アパシーだと思っています。なぜかと言うと、エンゲージメントがないところで合意形成はできないんです。エンゲージメントをどう高めるかというと、一番頻繁に起こるきっかけの大部分がコンフリクトなんです。要は、利害関係が衝突して変化している状態、もしくは、犯罪が起きているような状態。そういうコンフリクトがある現場っていうのは、合意形成がものすごい必要とされていて、それゆえ、難しいんですけれども、人類史的に見ると、大体、野放しのコンフリクトの中から、ごく一部が合意形成に至って、何とか次の秩序ができ上がってきたっていう、非常に分が悪いんですけれども、統計的に見るとそんな感じなんです。
私は気が早いので、コンフリクトがあるところに拡張生態系を入れたらどうなるのかみたいな実践方向に突っ走ってしまうんですけれども。問題に対して関係者の多様な関わり方をどう引き出すかというところも社会的な運動としては重要な局面でして、例えば、日本にも高度経済成長のときに公害病っていうのがあったわけです。その現場から学んだことは実際いろいろあるんですけれども、それが今の合意形成に生かされているかというと、そうはなってない。福島原発から放射能を含んだ水を海に排出するという判断に、かつての公害病の反省が生かされていない。水俣で起きた問題を産官学が連携して隠してしまった経緯は環境社会学がかなりの部分を明らかにしてきましたけれども、そういったものが無視されたまま政治的な意思決定が進んでいるんです。それに比べると、何か利害関係を持って対峙し合った人間に、シミュレーターなり補助的な技術を介して合意形成に導くのは、相対的に言うと簡単なことだと私は思っています。なぜなら、そこには既にエンゲージメントがあるからです。
ミシェル・フーコーも、権力というのは、何かを大声で強制するものではなく、小さな声でそそのかして、知らない間にデシジョンメイキングを先延ばししたり、隠蔽したりする。これが本当の権力の姿だと言っているんですけど、そこを何とか乗り越えていかなきゃいけないんじゃないかなと思っています。宇沢さんは、数理経済学者なのに、いろんな社会問題に首を突っ込んで、そのせいで欧米から見ると活動家だと勘違いされてノーベル賞を逃したみたいな、おちゃめなエピソードがあるんですけど、そういうエスプリが本当に今、アカデミアから必要だと思うんです。我々は学問の自由とか大学自治とか、大層な権利を持っているのに、そういうところで声を上げなかったら、権力に対して真実を語る知性としての役割を放棄したことになりますし、日本のアカデミアの存在価値はなくなってしまうんじゃないかと思います。積極的にコンフリクトのある現場に飛び込んでいくなり、権力によって先延ばしにされてしまっている問題を暴いていくようなことは、技術がどんなに進んでも人間がやらないといけないと思うんです。
例えば今、AIの倫理というのは非常に問題になっています。ソニーも大企業ですので、順守しなければならないコンプライアンスは当然あります。ところが、AI倫理っていうもののでき方を見ると、「AIっていうものが今後できそうなんだけどどうやってみんなで合意形成したらいいですかね」ってことは、初めに話してはいないんです。世界中のいろんなハッカーたちによって、あちこちで個人情報の流出とか悪用とか、あらゆるサイバー犯罪みたいなことが起きてガチャガチャになって、こんなことできちゃうんだと分かったから、関連団体が倫理的な規制を設定しようとなった。専門家集団で言うと、医療のAIは野放しにしてると人命を毀損したり公益を妨げる事態に発展しかねないから、ガイドラインをつくろうとなった。そういう合意形成のプロセスになっていくんです。その合意形成に至る前のコンフリクトが生まれる現場みたいなのに、きちんと肉薄していくっていうのは重要じゃないかと私自身思っています。
占部 ここからかなり広がりそうですが、少し戻りまして、鎮守の森は、実は南方熊楠が言っているように、生物多様性の保全の装置でもあったわけですが、その多様性からくると、自然環境免疫系と多様性について、実は、神社に参拝に行くのは免疫系を上げてるんじゃないかっていうような可能性すらあるのではないかと感じたんですが、河岡さんいかがでしょうか。
河岡 これまで、日本が土着として持っていた文化、その自然信仰みたいなものと、今、我々が、ある種、市場原理主義的に資本の再生産につながらないものは基本的にカットしていこうという風潮で削られてしまった部分の価値を、それこそ舩橋さんが先ほどおっしゃっていたようなコンフリクトが起きたときに、再発見するみたいな現象が起きているんじゃないかと思います。というのも、この生態系機能を破壊することによって、免疫関連疾患がどんどん増えていくというのが、非常に日本社会において深刻な問題になってきていて。
例えば、介護保険が崩壊するんじゃないかとか、医療保険が崩壊するんじゃないかって、これはある種のコンフリクトだと思うんです。世代をまたいだコンフリクトだと思うんですけど、そういった状況になってくると初めて、生態系機能は大事だったよね、みたいな風潮になっていって、また新しい文化をつくろうっていうふうになるのかもしれない。それが例えば、先ほどご紹介させていただいた、介護施設の例であったりするんですけど。ただ、それってもともとは神社に行ったり、里山をつくるとか、みんなで蔵を共有するとか、そういうもので自然に文化的にも守られていたんですよね。マーケットの合理性によって、壊されてしまったものの価値を再発見して、守っていったり、また、現代に合った形でもう一度、再発見していくみたいなことが必要になってくるのかなと思います。
占部 そうすると、考えていくときに、自然資本というのをストックのみではなく、フローから捉えていくというものが、より分かりやすくなってくるかと思うんですけれども、鈴木さん、コメントがあれば、ぜひ。
鈴木 拡張生態系の本質の一つでもあるわけなんですけれど、地球という限られた空間の中でいかにパフォーマンスと言いますか、人間を支える、そういった地球の生態系のパフォーマンスを増やすという意味では、ストックそのものは空間的な制約があるので、そこを越えるには、中でその再生産率を高めるという、そこの部分が非常に重要であると考えていまして。そこからフローの話につなげるのが難しいんですけど。
舩橋 ストックとフローとか言い出すとわかりにくくなるんですが、要はCO2排出を減らしたいんです。ということは、化石燃料を使わない生産方式に移行したらいいわけです。それを評価するのが、ライフサイクル全体で見ると結果的にフローという考え方になるんです。例えばストックだけで見ると、食べ物ってあまり炭素固定の意味がなくなってしまうんです。農産物って、食べたらみんな空気に戻っちゃうので。自分の体重が増加した分は自分の体にCO2固定してますけど、基本はエネルギーとして消費され、呼吸とか排せつ物になって出ていってしまうので、また空気に戻っちゃうんです。でも、今の慣行の食料生産の在り方があまりにも化石燃料を消費し過ぎているので、その部分を生態系の自己組織化に置き換えたら、その分を削減できるから、慣行農法とシネコカルチャーの総合的な排出量は、生産される食料の量が同じだったとしても大きく異なるわけです。それを峻別して評価できるのがフローの見方です。
システム論的な視点で見たら明らかなんですけど、フローの考え方は今のカーボンオフセットにまったく入ってないんです。主にストックに依拠しています。だから、カーボン排出の削減を謳っているライフサイクルアセスメントを見ても、鵜呑みにしてはいけません。炭素固定の評価方法を見たときに、土壌にストックされるとか、森林にストックされるとか、家具や建物にストックされるというのが、いかに一面的かということに本当は声を上げなきゃいけないのに、何かちょっと複雑な評価法になると、皆さんだまされて、それが言えなくなってしまっているのが問題です。アカデミアは、そういうことをちゃんと暴いて、建設的な批判精神を持って、認識を拡張する責務があると思います。ストックを批判するだけじゃなくて、実はフローもあって、このフローをどうクレジット化するかが、カーボンニュートラル経済にとって本質的に重要だということを建設的に提言できるはずだと思っています。
占部 会場から質問、ぜひ、よろしくお願いいたします。
会場より 拡張生態系についてなんですけれども、人間の手を入れることによって生態系を豊かにするということで言うと、古来の日本の里山などはそういう形でやってきたので、古来の里というのは、ある意味、拡張生態系の原型なのかなと、素人ながら思ったりするのですが、今、アフリカでやっておられるとのことなので、それをまた、古来の日本に戻す、今の日本の風土は違うかもしれないんですけど、それは技術的、物理的に可能というふうにお考えでしょうか。
舩橋 拡張生態系と里山の関係についてですが、イコールではないんです。なぜ、イコールでないかを説明すると長くなるので、こういう言い方をさせてください。里山をアフリカに持っていったら、それでいいんですか。今の農地を里山にしたら、それでいいんですか。里山を、今、経済が急成長して、都市部と農村の格差が広がっている中国に持っていったら、何か意味はあるんですかということを考えてみてください。もちろん、里山において、人の手によって部分的に生物多様性が上がっているケースも当然あって、自然農法とかにもそういう側面があるんですけれども、それが生態系が持っている機能性とか自己組織化能力を対象的に捉えて、圃場の中だけでなく地域全体での未来の全体最適を求めるような活動になっているかというと、実はなっていないです。
私も里山の調査に行ったことがありますけれども、結論としては、非常に部分的で不完全で、日本のGIAHSなどでも里山という名の下、モノカルチャーをモザイク状にやっているだけの場所があったりします。これは現地に行って、多少、専門的な目で調べればすぐ分かるんです。なので、あまり里山に引っ張られないほうがいいというか、それに戻すっていう発想はまったく考えてないです。例えば、拡張生態系っていうのは、月面で生態系をつくるときにも応用可能な原理なんです。もともと里山だった所に拡張生態系をつくったら里山っぽく見えるというのはあると思うんですけれども、理論的な一貫性とか、一般性、それから適用可能性の広さという意味では別物だと思っていただきたいです。
占部 本当にあっという間に時間が過ぎてしまったんですけれども、最後に、各自に質問にお答えいただいて締めたいと思います。「自然界からの合意を何とするのか」を考え続けることが大事と思いますが、皆さんのお考えをお聞きしてみたいということで、コメントをいただけたら。
宮越 人を中心としてというか、社会からという観点から見ると共生というか、互いに持続可能であるという合意が、重要なのではないかと考えております。
河岡 あらゆるレイヤーで見たときに自己組織化が正常に動いているのか。微生物のレイヤーで見ると、腐敗するのか発酵するのか、みたいな軸があって、そこにはある種のフラクタル性があると思っています。植生で見たときも、微生物を見たときも、人の健康で見たときも、そこの健全性を担保するというのが、自然界との合意形成と言えるのではないでしょうか。
田部 『事事無礙・理理無礙』の世界観ですかね。すべてが照らし合っているというところまで至るのが、自然界と我々との合意形成が取られた瞬間なのかなと思っております。
渡辺 生物多様性のためには、正直言って、自然界と人間が分離するか共生するしかなく、僕のベストな解は共生ってあったんですけど、京都大学ラボさんの目指してるのも共生なので、ここのところでうまく指標を使って、生物界がきちんと戻ってきてるよということを提示していくというのが答えかなと思っています。
鈴木 コンフリクトが起きてしまう場面では、その相手の対象を自分のシステムの外に見てしまっている場面が多いかなと思っていまして、そこを乗り越えるには、相手方も全部、一連のシステムであると考えること、その境界をどこまで設けるかということが、非常に重要なのかなと思います。なので、人間対自然じゃなくて、全部含めた、どこまでそこを想像できるかっていうのが、自然の声を聞くという意味で極めて重要なのかなと思います。
舩橋 われわれは神ではないので、自然全体の声を聞くことはできないかもしれませんが、人間も自然から生まれた、自然の一部であるわけなんです。なので私の答えは、皆さんが持って生まれたその体や、精神や、心を使って全身全霊で考え、行動せよということです。
広井 これは私にとって、まだ答えが出てないテーマで、今も宿題というか、現在進行中のテーマなんです。人間というのは、肉を食べて、命を奪って生きているわけですし、だから自然を大事にとか、自然との共生とか、そう簡単に言えないというのは、多分皆さんも感じていると思います。私としてはその上で、今日、鎮守の森の話も出ましたけど、日本の自然信仰とか、自然のスピリチュアリティーとかを、何か一つの手がかりにして考えていけないかなというふうに思っています。
占部 ありがとうございました。非常に濃密な議論が、コンパクトにぎゅっと詰まった良い時間だったと思います。皆さん、ご協力ありがとうございました。