「ただ生きていたいだけの雑魚」ほど厄介なものはない
序. 日本における新型コロナウイルス感染症、所謂「コロナ禍」の実態
世界中を混乱の渦に巻き込み、人々の自由な往来を妨げ、経済活動を大きく沈滞させたあの忌まわしき新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の発生から、早1年半近くが経とうとしている。
ただ、このCOVID-19という感染症が社会、とりわけ医療に与える影響は国によって完全にまちまちであり、例えばアメリカを始めとする白人国家では感染者数・重症患者数共に深刻な割合になっていて、医療崩壊が心配されるレベルに達していたりするのだが、2021年5月における日本の蔓延傾向・重症化率はというと、先程挙げた国々とは比べるまでもないほど低く、「医療資源さえ確保されていれば」医療崩壊はまず起こりようがないレベルである。実際は、先程のカギカッコの内容が実現していないから、しょうもない「医療事務崩壊の危機」に陥り、マスメディアが騒ぎ立てているのだが。
とはいえ、2020年の冬から春にかけては、中華人民共和国・武漢における高致死率のCOVID-19の蔓延と、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」におけるクラスター発生をきっかけに、実際に日本でも感染者数・重症者数・死者数が増大していた(それでも他の欧米諸国と比べると僅かな程度にすぎなかったが)。そして、コメディアンの志村けんがCOVID-19で犠牲になったというショッキングなニュースをきっかけに、多くの人が欧米諸国で実施されていたロックダウンを支持し、実際に4月から5月にかけて、緊急事態宣言という形で事実上のロックダウン政策が施行された。結果から言うとこの施策は間違っていたのだが、それでもこの感染症の実態がよく解っていなかった状況においては「悪くない」選択であったと私は考える。
しかし、この時から「医療従事者の方がコロナ治療をちゃんとやっているのだから、不要不急の外出をやめ、三密を避けて慎重に行動しろ」と、自粛政策を(誰からも指示されたわけでもないのに)喧伝する人、即ち「自粛警察(自粛馬鹿)」が増えてきた。そして、時が流れて、COVID-19の実態(現時点ではほぼ飛沫感染でしか感染しない、感染しても高齢者と基礎疾患のある人を除けば殆どが無症状で済む、死者数の殆どが平均余命数年程度の高齢者、etc)がわかってきたにも関わらず、所謂自粛警察の連中は、感染しても殆ど重症化しないであろう現役世代や若者・子供たちに対して、医療関係者の人たちは必死にコロナと戦っているんだから、不用意な行動をして感染者数を増やすな、といった極めて感情的な根拠で自粛を煽り続けている。これが今の日本である。
さて、この「自粛警察」のメンタリティとして、私のとあるSNSの友人から、「ただ生きていたいだけの雑魚がいい子ぶって自粛(経済の萎縮)を叫んでいるだけ」という指摘があった。(注:この発言は飽くまでも限られた人々にだけ公開された場でのものであり、決してブログやTwitterなどを探したりしないでほしい)私はその指摘を受けて、コロナ禍を通じて明らかになった日本社会の病巣を分析してきたこれまでの記憶を思い出し、「ただ生きていたいだけの雑魚」こそが、コロナに限らず日本社会の病巣において重要なファクターになっていることに気づいた。以下、この「ただ生きていたいだけの雑魚」について筆を走らせることにする。
1.「ただ生きていたいだけの雑魚」とはどういう存在か
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