サラリーマンとして生きてきた私を襲ったビジネススキルの凶悪な副作用
育児が忙しく、妻と家事を分担するようになってから、半年ほど経ちました。
半年ほど「家事をしっかりやる夫」をやってみて、とつぜん気づいたことがあります。
家事をやっている時の俺、狂ってるや・・・
と。
家事についても効率の鬼になっていたのです。
・やることはバックログに(!)TODOリストと入れて管理。
・洗濯の時に、できるだけ洗濯機も一緒に掃除するような運用を考える。
・料理をするときは、食後の食器洗いがなるべく短時間で済むように、できるだけ並行で洗える食器は洗っておく。
などなど。
「いいことじゃないか」と思うかもしれません。たしかに、こう↑文章で書いたら、そう見えるかもしれません。
でも、気付いたのです。
家事にも効率を徹底的に求めていたのは、強迫観念だと。
というのも、食器洗い機が故障して、業者を呼ばざるをえなくなった日、いろんな家事を「明日にしよう」と判断せざるをえなくなったのですが、その時、
「こういう不測の事態も想定して、二次プランも日ごろから用意していましたか?していなかったんでしょ?ですよね?どうして、食器洗い機がいつも故障しないと思い込んでいたんですか?リスクだとどうして思わなかったんですか!で?今日は食器洗い機が故障したから、『すいません』とへらへらしているだけなんですか?何かせめて、やることは思いつかないんですか?」
という、昔の上司(実在)がゴリヅメしてきた夢を見たんです。本当に。
誰も効率を求めていないのに、何をしていたんだ、俺は?と、我に返って茫然としました。
それだけじゃない。もうひとつ、大事な点に気づいたのです。
私がそうやって、「こうしたほうが効率が上がる」「仕事ではこのようにして、ヌケモレがないように管理していくんだ」とカリカリと細かく家事をやっていくこと、
妻からはまったく、ありがたがられていなかったんです。
むしろ、もっと穏やかな顔で、余裕をもってやって、家の空気を落ち着いたものにしてほしかった、というわけです。
ありがたがられていないのに、なぜ「効率の鬼」となっていたのか?
時間当たりでできるタスクが多いほうが優秀な人間だ、という一面的なすりこみかなと。
そして、それ以上に恐ろしいのは、いつのまにか、
「サラリーマンに求められている、このような効率重視のモノゴトの進め方こそがいちばんであって、それ以外の進め方は、社会に出たことのない人間の甘っちょろい進め方なのだ」
という偏狭な視線になっていたのではないかなと。
よく、ドラマなんかでは、観ますよね。「優秀なビジネスエリートが、家事をやってみたら、奥さんと考え方が合わずに対立してしまう」ハナシとか、「優秀なビジネスエリートが、田舎に帰って地方のイベント運営委員に入ったら、そこでのやり方と合わずに対立してしまう」ハナシとか。
なんてこった、私もそのパターンをなぞっていましたわ。
そしてそれが、紛れもなく、「そういうやり方をしないと、脱落する、怒られる、イヤな事を言われる、評価が下がる」という、恐怖心を植え付けられてのことだったと、気付いたわけです。
別に、効率重視を求められていないところでは、効率重視しなくても、いい。
あたりまえだ!と言うなかれ。この当たり前に、半年も気づかなかったわけです。
なんか、やっぱり・・・こういうのって、怖いことですよね。