「完璧な小説」と評された作品に出てくる奇妙な機械とそれに追いついきつつある「現代テクノロジー」という真のオバケ【アルゼンチンオバケの話#9】
アルゼンチンの作家ビオイ=カサーレスが書いた『モレルの発明』は、かのホルヘ・ルイス・ボルヘスに「これは完璧な小説である」と言わしめたラテンアメリカ文学の大傑作!
、、、なのですが、今日、この小説のことを語るのはどうも居心地が悪い
奇想小説、ということになるのでしょうか。
本作に登場する(たぶん太平洋上の)無人島に仕掛けられた「機械」のアイデアは、
1940年という本書が書かれた時期を考えると驚嘆のアイデアなのですが、
真に恐るべきことは、現代(2020年)の読者がこれを読んだとき、「あれ?でも、この小説に登場する機械にかなり近いものが、現代のテクノロジーでも実現できるんじゃない?」と思ってしまうこと
ラテンアメリカ文学の奇怪な冒険物語のオチに、現実のテクノロジーが追いつきつつあるということの驚き
そしてよく考えれば、この物語の語り手が最後に仕掛ける「過去の書き換え」および「実人生の自分とフィクションの自分のすり替え」という大胆不敵な行動も、
現代のテクノロジーで、もしかしたら、もっと小規模なレベルでは、すでに頻繁に行われていることなのかもしれません。
フィクションの自分の前にリアルな自分が無効化されること
フィクションを生み出す現実そのものも、いつのまにかフィクションの一部に取り込まれること
そんな、二十世紀ラテンアメリカ文学的な「メビウスの輪」感覚のテーマに、いつのまにか現実が追いついているのでは?