「赤いピルの誤謬」あるいはアメリカ娯楽映画の悪いところと今後に期待しているところ
昨日、以下の記事を載せて映画『マトリックス』に対するツッコミを入れさせていただきましたが、
その続きといえば続きな話。
私は映画『マトリックス』シリーズは大好きですし、
こんな小うるさいツッコミにあまりこだわっているわけでもないのですが、
「赤いピルと青いピル、どちらかを選べ」のところは、やはり気になる。
まして、アメリカでは陰謀論者とか、右寄りすぎる人とか、左寄りすぎる人とかが、ネットで意見が合わない人に「お前はフェイクに騙されてる!赤いピルを飲んで真実の世界に気づけ!」と言う時のようなスラングとして、「赤いピル」というコトバが使われていると聞けばなおさらです。
まず、
私はアメリカの娯楽映画が大好きです。『マトリックス』も『バットマン』も『スターウォーズ』も大好きです。
だが、どーしても気になる構図は、
Aという勢力と、Bという勢力が対立している時、主人公が、「Aという勢力が悪事をしているところ」を見てしまったら、自動的に「Aが悪なら、それと戦っているBのほうが正義だ!」と結論して、そちらの味方についてしまう展開が多すぎること。
嫌なことを言うようですが、
どうして、
対立しているAもBも「両方が悪だった」というケースがあり得ることを考えないのだろうw?
いや、現実の世界で争いや対立が起きてる場では、「片方が完全にクロで、もう片方が完全にシロ」だなんてことがないのが普通でしょう。
もちろんアメリカの娯楽映画でなかなかそんな複雑なハナシにならない理由はわかってます。そんなハナシまで始めちゃ映画の時間が足りなくなるからですねw
だから、エンタメを貫くには、「片方が悪でした!よって、もう片方は無条件の善でーす」とわかりやすくするしかないですよね。シナリオ作法として、しかたないですよね。
、、、。
ところが!!!!
最近の『バットマン』もそうだし、『マトリックス』もどんどんそうなってきているが、「完全な正義も完全な悪もない複雑な世界で、それでも何か信じられるものがあるのか?」っていう複雑なテーマにどんどんなってきている!たかが娯楽映画でそこまでの「問いかけ」をぶつけてくるようになっている!
「そんなシリアスなのは嫌だ、アメリカの娯楽映画なんて、昔ながらの善悪二元論でいいじゃないか」って意見もわかる。
だが私個人は「ヒーローと悪役」なるものの描き方がどんどん複雑で微細な表現になってきていることを歓迎しますよ。そのおかげで、最近、二時間半とか三時間とかの映画が増えてきていることも、描く内容の複雑化とともに長尺化は当然と思ってる。
そして個人的には、
世相が混迷している現代ならばこそ、きっと、アメリカ娯楽映画の中からそろそろ、娯楽としても優れていて、かつ、従来の「善悪」基準なるものに再考をつきつける深さがあって、それでいて、かつ、「そんな時代でも守るべき何か」をドンっと訴えてくれるすごい作品が出てくるのではないかと期待をしているところなのです。
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