「日本の男性正社員はいい思いをしてきたから苦労して当然」と言われたこととスターリン時代のこと
インターネットを見ていろいろな意見に触れ、自分の意見を持つのは良いことです。
ただし、バシッと格好よいことを言っている意見は、格好よい分、何か切り捨てている視点があるのでは?と気をつけることも必要でしょう。
そういう「他人の言っていたことへの感化」が妙なことも引き起こします。
たとえば私、先日、「今までの日本は、男性正社員が特権階級として、いいところをすべて独占していた。ここから変えていかなくちゃいけない。今まで大手企業で正社員をやっていた男性たちからは、これからは今までよい思いをした分を返してもらわなければ」ということを累々と言われました。
その人は、私もまた、上場企業の男性正社員として長らく生きてきた人であることを知っている筈なのですが、、、まあ、そこは、良いとしましょう。
そこは良いとしたうえで、私が感じたことを述べます。
まず特権階級と言われたところで、私のほうにはその実感はない、という現実があります。これは「言われてみれば」と思い当たるフシすらない、という正直な気持ちです。
どちらかといえば私も老後資金まで考えると余裕はありません。老後はそうとうに厳しいやりくりになるだろうな、と覚悟しています。
というのも、男性働き盛り正社員だからって、そんなに高い給料は貰っていません。見た目、高い給料額に見られているのかもしれませんが、その分、凄まじい勢いで天引きを食らっています。
また、「少なくとも正社員なら長期雇用で安定している」という話についても、長期雇用契約な分、会社というものからの無理難題を日々食らっているというのが実情です。これは、残業や休日出勤や、無理な目標達成のために神経をすり減らして駆け回ることが好きだからでもなんでもなく、そうしないと会社そのものひいてはその向こうの社会システムが回らないからです。
にも関わらず、なぜ私が「悪」とされる側に立たされ非難されているのか?
ロシア語学習者として、ひとつ、思い出したことがあります。ソビエト連邦の富農政策です。
富農政策とは何かというと、1929年から実施されたスターリン政権の政策です。その目的は、「ひとつの階級である富農層を撲滅」し、彼らによる「不当な搾取」を終わらせることにありました。
こう聞くと、なにやら「富農」と呼ばれる金持ち層が存在し、利権を独占しているように見えます。しかし実際には、そんなわかりやすい、時代劇の「悪の地主」みたいなものがターゲットではありません。
これは単純に、「農民層の中で、比較的、収入の高い人を特定し、その人たちの財産や土地や機械を没収して、ゼロベースから人生をやり直しさせる」というものです。ゼロベースから、というのは、もちろん、「開墾もされていない貧しい土地に強制移住、そこで強制労働に奉仕」のことです。
その「富農」の発見の仕方ですが、なんのことはない。各自治体に、「君のところは何人、富農を特定してリスト化しなさい」と、共産党からノルマを割り振られることになります。
「富農という階級の定義があり、それに該当する人を探す」のではありません。「各自治体の、比較的お金を持っている農民の何%かを相対的に特定」のほうです。農民総全体が貧しかったので、「その農民走の中では比較的収入がある」としても、もっと大量にいる(!)ソ連の公務員より、ずっと貧しい層だった筈なのに、です。
例によって、たくさんの人が亡くなりました。
(※このあたりの歴史記述は、以下の文献に依っていることは、典拠としてお断りしておきます)
何が言いたいかというと、社会全体が悪いムードの時には、「富農」であれ、「企業の男性正社員」であれ、イメージ的に「ラクをして不当に儲けている」ような名称をつけられた人々がスケープゴートにされやすい、かつ、それは歴史を知っている人からすると「いつもの手」でしかない、ということです。
「いつもの手」でしかないのですが、しかし、この手は人々のネガティブな苛立ちに対して犠牲を差し出す、うまい構造なので、いったんこのレッテルができあがると、「汚名」から解放されるのは難しい。これもまた、いつものこと、という点です。
おそらく、私がこのような場で何を言っても、「企業の男性正社員がすべてを独占してきた」と言われ続けることは必定ですが、
私のほうから言わせてもらうと、私としては別に特権を独占してラクをしたい気で生きているわけではなく、
働ける層である私などがバリバリ働いて、税金や保険料をたくさん払うこと(天引きでガンガン持っていかれること)は、家族のため、地域のため、社会全体のため、と思っての責任感・義務感でやっているところが多分であるという点。
そして、それが共産主義系の人からは「まさに資本主義に奉仕している悪だ」と見えているだろうことは百も承知で、その野次に耐えながらやっている心持ちである点でしょうか。
そして、ここで私自身が↑示したように、「もし、もっとよい働き方や、社会との還元関係のありかた、つまりもっとよいカタチでの富の再分配の仕組みがあるならば、私だって飛びつきたい」ということとなります。
よしんばそれで給与天引きされる額が増したとしても、階級対立を煽られて(そのような「階級」はいつも相対的基準だと思うのですが)社会が分断されるよりマシと、納得感があるなら従うぞ、ということです。
いずれにせよ「周りのためにも、ひいては自分のためにも、日本をもっと住みよくしたい」というのが私の働き方のベースであり。そういう思いでいちおう男性正社員として生きていますので、できれば「あいつらのせいで日本はこうなった」などという攻撃などされずに働きたいな、、、というところです。