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xxnashimexx
NPO法人代表の日常 正義とマチズモ
クリントイーストウッドの映画で『13時17分パリ行き』という映画がある。これはすごい乱暴に簡単にいうと少年時代、問題児だった青年がテロリストをやっつけるという映画、前半と後半のテイストが全然、違い最後まで飽きずに楽しめる。
クリントイーストウッドはアメリカンマチズモの象徴のように捉えられるが、イーストウッドの映画のほとんどが正義とマチズモ(男性優位主義)との葛藤だ。

グランツーリズモでは、朝鮮戦争を経験した主人公が自分の居場所に戸惑う。戦争の傷痕から近所のラオス人家族を疎ましく思うのだが、最後はそのラオス人家族のために立ち上がる。
最後はどの映画も正義のために立ち上がるのだが、その対象がアメリカの為ではなくなっていく。
最近の『運び屋』や『クライマッチョ』では、自分の威厳を保とうとした主人公が悲しい結末になるというもの。
正義のためにマチズモを装い、それを守ろうとして四苦八苦する。男は女性や家族を守り、そのために強くならなければいけない。そこに個人の思想はなく空虚な空回りだけが生まれる。
『3時17分、パリ行き』は、現実の話で最後は本人たちが、自分の役を演じる。問題児達が社会に認められようとテロリストに立ち向かうのだが、それを本人たちに演じさせることで、その仕組みの愚かさを表している。
周りに認められたいという気持ちは周りに利用される。特に男性の場合、周りが見えなくなってしまう。
イーストウッドは193cmある。ダーティーハリーでアメリカの男の象徴を演じた。
その責任を引き受け、自らの虚像を含め解体していく。
日本の男も変わらなければならない。未だに仕事だけすればいいと思っている。家族のこともそうだが
社会のことにも参加するべきだ。
夫婦別姓を認めてないのは日本だけ。