“誰かと共に何かをやり続けるときの役割と理念の円”についての思考
緊急事態宣言が解除され、今日からおいかぜは通常勤務です。
久しぶりに事務所に集まった元気そうなみんなの顔を見て、ホッとした気持ちになりました。リモートの打ち合わせなどで顔を見たり話したりはしているけれど、同じ空間にいて存在を感じることの意味や情報量の多さたるや。このまま何事もなく平和な時間が続きますように。そう願うばかりです。
さて。
会社を経営していると、それなりの人数の組織を率いていると、集まることや賑やかなことが好きだと思われそうですが、ボクは1人でいることがとても好きです。もちろん集まったり賑やかなことも好きなのですが、本来的には1人が好きってことです。自分のペースと自分だけの世界で、何かを作り上げていく喜びや楽しさってのは何物にも代えがたい。そういう人って、けっこう多いんじゃないでしょうか。
思えば小学校の時にハマったスケートボード、中学生・高校生・大学生と没頭したテニス、10代後半から今も続いている雪山へスノーボードをしにいくなんてのも、すべて個人競技なんですよね。最近このことに気付いて「あぁボクは1人で何かをすることが好きなんだなぁ」って。
そんなボクでも、人生において誰かと何かを一緒にやることがあります。そしてありました。二人三脚、チームプレー、いろんなパターンがあるけれど、今日はボクが経験した「会社を一緒に経営すること」を例に「誰かと共に何かをやり続けるときの役割と理念の円」についてお話しをしたいと思います。
1、重なり合う役割と理念の円:阿吽の呼吸
会社を始めるとき、事業をつくるとき、全く同じ役割、同じタイプの人間同士が経営をすることもありますが、往々にして、何かそれぞれが違った得意分野を持った人間同士で一緒に会社を興すことが多いと思います。
片方がここを守るなら、もう片方はあそこを攻める。
誰かがあれを守るなら、他の誰かはこれを攻める。
といったように、それぞれが違った得意分野を持った人間同士が共同で経営するということは、それぞれの役割という円があって、その円がうまく重なり合い、その重なった箇所がシナジーと呼ぶに相応しい、そんな状態です。それぞれが得意なフィールドで闘いつつ、苦手なことを補う、そんな状態でスタートアップして、うまくいっている会社や事業がたくさんあります。
また、その重なり合うところは、実際的な役割や仕事はもちろんですが、理念やビジョンや実現したい夢といった、精神的なこともあります。何のために「共に何かをやり続ける」かという、共にいる・やる意味や意義を共有しているはずです。
創業期、この「役割と理念の円が重なり合う」からこそ、事業にドライブがかかり、スピード感をもって会社を前に進めていくことができます。
それは、まさに「阿吽の呼吸」と呼ぶに相応しい状態です。
2、「素晴らしきコンビネーション」とは「身体性が生み出す馴れ合い」である
「阿吽の呼吸」とは言語を飛び越えた身体性が生み出す「素晴らしきコンビネーション」。そのコンビネーションがいかに大事か、言うまでもなく、いつまでもその関係性が続いていけば、持続可能な繁栄は約束されたも同然です。
ただそうはいかないのが経営の常、人間関係の真理かもしれません。
「素晴らしきコンビネーション」を裏に返すと「身体性が生み出す馴れ合い」とも取れます。「阿吽の呼吸」はあくまで、それぞれの「役割と理念の円」が重なっている状態が維持されている必要があります。経営者たちが袂を分かつ話、会社経営の人間関係の醜聞などが古から尽きないのは、「素晴らしきコンビネーション」がどこかのタイミングで「身体性が生み出す馴れ合い」に変質することがあるからなのです。
3、あるボクの経験について
この思考の一例、「素晴らしきコンビネーション」が「身体性が生み出す馴れ合い」に変質した例として、ボクのある経験をここに書き留めておきます。
おいかぜは創業から10年間は2代表制の共同経営で会社を経営していました。
2003年9月に創業。ボクが26歳、共同経営者が25歳の時です。ボクはサーバエンジニア兼ウェブクリエイター、彼はデザイナー兼ウェブエンジニア、2人のスキルセットはよく似ていて、創業当初はそれぞれで仕事を請け負って、それぞれで案件を担当して納品していました。フリーランサーが2人集まったような状態です。2人で一緒にやるような案件がある場合、ボクがディレクター、彼が作り手としてデザインとエンジニアリングを担当していました。時間が経つにつれ、人が増えていくにつれ、ボクはより経営管理やコミュニケーションを中心とした仕事が増え、彼はよりデザインやエンジニアリングに寄ったプロダクション業務を担当するようになりました。それぞれの資質を考えたとき役割分担としては、とてもうまくいっていたと思います。
そしていつか、エンジニアリングを主軸としつつも、デザインや空間設計までできるようなトータルでクリエイティブな会社にできたらいいなという想いを共有していました。「おいかぜ」という名前を会社名にしたのは、そういう理由が強くありました。
その時期のボクと彼は、それぞれの役割と理念の円がうまく重なり合い、その重なった箇所がシナジーと呼ぶに相応しい、そんな感じだったと思います。辿り着きたい理想を共有し、お互いが得意なところで、お互いな不得意なところを補い合うような関係です。
会社の立ち上げから5年くらいが過ぎた頃から、ボクたちは創業時のような密なコミュニケーションができていませんでした。忙しさからか、はたまた関係性の変質か、深く考えることなく日々が過ぎていたと思います。その頃ボクは誰かに自分たちの共同経営としての関係性を話す時に「漫才コンビが楽屋や仕事では仲が良いけどプライベートでは一緒に遊ばない。そんな感じかなぁ」と話していたことをよく覚えています。
それからしばらくして、ボクは会社をより”強く大きく”したいと思うようになり、彼にプロダクションチームをつくってほしいと相談しました。デザイナーやエンジニアを束ねるリーダーになってほしいと。そのとき彼もチームをつくることに賛成で、彼の業務をスタッフに棚卸ししていくことにも、好意的だった記憶があります。
そんな流れだったので、ボクはプロダクションチームをつくることを彼に任せた”つもり”になり、会社にとって新しいことを模索するために日々奔走していました。新卒採用や自社プロジェクトを始めてみたり、会社の変化のためにはまずボクが変化することが大事だと思って、いろいろなことにチャレンジしていました。お互い目の前のことに必死になって、あらゆることを打ち返す日々です。
一筋縄ではいかなかったけれど、プロダクションチームに少しづつ人が増えはじめ、役割分担が形になってきたころ、彼は突然会社を去ることになってしまいました。
彼が去ってから数年後に彼にその頃の気持ちを聞きました。いろいろ話しました。去る理由はいろいろあったけれど、彼はチームをつくることではなく自分自身でモノづくりをしたい想いが強く、少数精鋭の職人的な働き方を望んだ、というのがボクの解釈です。会社や組織を拡張したいボクと、少数精鋭の職人的な働き方を望む彼との間に生まれた「空白」は埋まることなく、「共に何かをやること」は終わりを迎えることとなりました。
創業当初の想いはお互いに持ち続けていたけれど、密に確認し合うことはなくそれぞれの役割ばかりが大きくなっていって、その役割の重なりも少なくなっていたのかもしれません。
4、円が重なり合わない空白:無関心地帯・無責任地帯
ボクがこの経験で学んだこと。それは、人は同じ状態で留まれることは決してなく、何かしらの変化を伴いながら前へ進んでいきます。相互を補完し合っていた重なり合う円が、その円が少しづつ離れていくことがあります。それは組織が大きくなったことで補完できない領域が生まれたのか、あるいは共に歩んでいたそれぞれの円の変化が、重なりを作れなくなってしまったのか、いろんなパターンはあるにせよ、その重なり合う円が、重ならずに離れてしまったとき、エアポケットや空白のような、無関心地帯、無責任地帯が生まれてしまうと思っています。
例えるなら野球やバレーボールでボールが誰かと誰かの間に飛んできたとき、お見合い状態になってポトリと地面に落ちる、そんなような状態です。
「そこはお前の守備範囲でしょ。」
「いやいや。ボクの守備範囲はここまででしょ。」
とお互いが自分ごとではないことにしてしまうような状態。
こういうとき、球が地面に落ちたとき、誰かが拾いにいかなければならなくて、落ちた場所が悪ければ対応が遅れることになったり、最悪致命的なトラブルになったりして、袂を分かつということにもなりかねません。
5、「共に何かをやり続けるときの役割と理念の円」についての思考
共に何かをやり続けるとき、理念を確認し続けることや重なり合う役割の円が維持されているかを確認し続けることが大切であるということは、言うまでもありません。もし役割と理念の円が離れてしまっている、無関心地帯・無責任地帯が生まれてしまっているならば、それは関係性を見直した方が良いタイミングかもしれません。
「誰かと共に何かをやり続けるとき」の良好な関係性を維持するためのボクの考えをポイントでまとめてみました。すごく有り体の結論なのですが。
1、お互いが自立していること
2、お互いが明確な役割と理念の円を持っていること
3、お互いがお互いの役割と理念の円をきちんと認識できていること
4、お互いが重なり合う役割と理念の円を認識できていること
5、お互いが将来それぞれの役割と理念の円をどうしていきたいかを認識できていること
これらを確認する術は対話やコミュニケーションしかありません。定期的に役割と理念の円を確認する機会をつくり、問題がなければ前に進み、袂を分かつときには決断をする。それしかないと思っています。
これはあくまでボクが過去の失敗から学んだことであり、成功にもとづく思考ではありません。なぜボクがこの過去の失敗を言語化するかというと、今も「共に何かをやり続けるとき」だからです。
いまおいかぜは役員3人体制で経営をしています。ボク柴田が代表で、2つの事業部(プラットフォームソリューション事業部/プロダクション事業部)のトップにそれぞれ役員がいます。ボクに代表としての権限があることは間違いないけれど、同じ視座で役割と理念の重なり合う円を共有して、一緒に会社を経営しています。
おいかぜの経営陣の「役割と理念の重なり合う円」はいまとてもうまくいっています。でもこの状態が何もせず手放しで、ずっと続いていくということはあり得ません。この思考はボクなりの、おいかぜをいつまでも良い状態で続けていくための手段の一つなのです。必要なときにヘルスチェックをする、経営のための健康診断の一つの方法です。
会社経営に「こうやったら必ずうまくいく」という方法はありません。もちろんいろんな経営論やロジックはたくさんあるけれど、過去から学び、その経験たちを今に照らし合わせながら、一つずつ前へ進むしかありません。
「共に何かをやり続けるときの役割と理念の円」についての思考
もし共同経営で行き詰まってたり、悩むことがあれば、この思考を参考にして欲しい。ボクのこの思考が「だれかのおいかぜ」になって、だれかの経営の役に立つことがあったらこんなに嬉しいことはない、そんなことを考えています。
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