ぬえの経営週報<生態系理論>
この1ヶ月ほど、ふと思いついた組織のあり方が頭から離れず週末の時間や業務の隙間、飲み屋の角でずっと考えつづけている。これも社員何名かが自発的に会社を良くするためにこの業務を担うと挙手をしてくれたり、行動で示してくれたりする背中を目の当たりにし、実はちょっと嬉しくて泣きそうになった。
気がつけば自分がいないプロジェクトの公開が増えていることもあり、松倉さん不在でもぬえとしてのクオリティを守り、上げいかねばと、社長の判断だけではなく、自分の足と意思で次のステージに進むようになっている。
そこで今、ウチの話とソトの話の大きな二つのチャレンジがある。
特にウチに関しては方針は明確であり、ソトに関しては今も尚模索中だ。
ウチの話<マネジメントネクストステージ>
これまでは松倉がチームメンバーのマネジメントをしていた。しかし、人数が増えてきた&社員が育ってきたこともあり、制作チームのマネジメントの裁量を社員1名に与えている。これも自発的にやるべきだと手を挙げてくれたもの。マネジメントが難しいという相談を受け、そうやんなーとなる。
人を束ねるというのは非常に困難で組織の性格においては無理な場合もある。指示系統の上下関係で動くのはわりと大型の旧来型の組織までで僕らのような小さな組織やスタートアップは<自発性マネジメント>でなければ成立しないと思っている。
上から下ではなく、マネジメントポジションは、自分のチームにいる個別プレイヤーの個性を見極め、彼らが伸び伸びと努力できる環境を整える必要がある。僕はそれを社員個別のビオトープを作るイメージでマネジメントしてきた。
大きな組織イメージを小学生でもわかる参考画像でよく示している。
僕たちは、こうじゃなくて…
こうやねん、と。
旧来型のMVVモデルのピラミッドで構成される組織のあり方ではなく、VMVのビジョン先行型のアメーバ的組織。僕らは同じ服を着た軍隊ではなく、個別がありのままでその職能を発揮し、時には反発し、それでもなんだかんだ成立させてしまうチームでありたい。
そのイメージで捉えてもらうと、マネジメントなんてできるわけがないことがわかりやすいのではないか。個別の社員の生き方・価値観・性格を見ながら彼らがここにいたいと思えるビオトープをつくる。
その上で、個別それぞれ成長速度が異なる。
会社は家族ではない。利益を上げ、社会に寄与し、結果を持って豊かさを得る。僕らような小さな組織は仲良くあることが無意識で大切と思う節があるが、僕はそこはどうでもいい。このチームにいる力はあるのか?しかない。
仲良し集団を作りたくて会社を作ったわけではない。これは地球上にあるすべての組織がそうなんじゃないかと思う。その上で勝手に仲が良くなっているのはいいことだと思う。同じ視座でやりきった関係性は常に良好だ。
初めてマネジメントをするとき、全員をひっぱりあげ、みんなで前に進むとどうしても思ってしまう。それは優しでもあるが同時に傲慢でもあり、弱さでもある。ついてこれない人間の速度に合わせていると会社は潰れる。マジで。その優しさが仇になり組織全体に停滞の空気が流れる。アホほど忙しくても殺伐とするが、それはそれでいいと思う。ちょっとした殺意が湧くくらい作ることや自身の仕事に自負と責任を持って動いた方が絶対いい。
なので退職リスクとかは実は全然考えてない。
むしろ、圧倒的に実力主義でしか評価しない組織にしているため、つえーやつの背中を見て鼓舞される相乗効果メリットの方が大きいと考えている。採用の時、その人が何をやってきたかではなく、まだ育ち続けるかどうかの人間性だけを見ている。かつ独自の世界観を持っているやつ。その時点で個別マネジメントなんて思考はなく、育つ環境をどう構築できるかのビオトープ・マネジメント的な思考をしつづけている。
この松倉独自のマネジメントの考え方を社員に伝えるタイミングが来たんだなぁと感慨深い。この方法があっているかどうかは松倉の責務だが今のところ正解だったと思っている。各組織さまざまな組織内の課題を抱えている。今うちはマネジメント権限の譲渡というところで、権限を与えるだけではなく思想も渡さないとダメなんだなってことに気づいて教え込もうとしている。
転職組が多いが、過去の組織とは比べ物にならないほど小さい上にややこしい組織だ。かつての手法は一切効かない世界で挑戦しなければいけない。でも、その向き合いは必ず自身にも成長をもたらす。その成長を目の当たりにして遅れをとっている人間は良い焦りを得る。その連鎖が組織を強くしていく。言葉をぶつけて、意思を示して、進んでいこう。
ソトの話<生態系としてのクリエイティビティ>
12年ほどクリエイティブ業界で会社をやってきた中で、2年ほど前にぬえという組織の完成形が見え(今はその道中60%くらい)、ふとつまんねーな、と思った。そっから先、組織&利益拡大のよくあるシナリオに突入するからだ。それはもう先人たちがやってきて良い結末も悪い結末も見てきた。割と悪い結末が多かったように思う。
ちょうど12年前、僕らと同じような意思で無数の小規模クリエイティブ・ブティック的なものや独立したフリーランスが増えて年なように思う。この年月で組織に戻る者もいれば、会社がうまくいかず解散したものも、成長して拡大していったところもある。
トップダウン型のクリエイティブ産業は成立しないという結論に至っている。ホールディングスや制作ジャンル特化型のチームを複数抱えて自発的組織経営のように言い方が悪いが子飼い状態で上手くいかなければ解散させ、また新しいチームを作ってリリースするみたいな流れ、死ぬほど見てきた。
そもそも作ることに狂乱している僕らからすると、誰かの親元で飼われる状態というのは好まない傾向が強い。特に選手権監督のようなプレイヤーであればなおのこと。それなりの規模で社内ベンチャー的なクリエイティブ組織を編成しても、いずれは結果を出して、飼われていることを嫌い巣立っていく。落ち着きのない子とかつて言われたような人たちが、なんとなく今小さなクリエイティブ会社を経営している。僕も然り。
とはいえ、作ることに特化している人生だった人間に会社や金回り、営業活動みたいな業務が生まれる。尖った良いデザイナーだったのに手を動かすより、本来やるべきではない仕事に時間を奪われたり、営業が苦手なだけで仕事の数が減って力が振るえなかったり、上手く立ち回れる才能があればいいが正直無駄も多い。作りたいやつは作り続けていた方が幸福だ。
5年に1回の頻度で会社の危機は訪れると言われている。うちもあったし、周りの仲間の会社にもあった。その時、なんて僕らは脆弱なんだと悔しくなった。今年に入ってからも経営が傾き出した話を数件聞いた。明日は我が身と思う反面、このクリエイティブ産業の今の状態が一社単位でみれば健康かもしれないが全体で見ると不健康なんじゃないかと思ったのだ。
小さな組織は、日々の業務に圧迫され、新卒採用や育成の時間すら割けない実態がある。最も伸びるタイミングにその会社のことしかしれない弱点もある。これは将来的に産業自体の先細りが約束されていると思う。会社そのものが長く健やかにあり続けてくれることも大切だが、次のこの産業に挑む人たちが生きにくい状態を僕らの世代で作ってはいけない。
最初は、周りのジャンル違いの会社仲間を集めてホールディングスにでもするかと思った。しかし、あんまりこれは面白くない。かつての先人たちがやり、失敗したのを見ている。組織的な力関係で統治させるのは向いていない。
かつてブランドロジックでアメーバ型のVMVを開発したことがある。
これをそのまま経営側に移植できるんじゃないか?と気づいたのだ。
さらにこれに加えて日本中にいるフリーランスクリエイターも巻き込み、アメーバ型のエージェンシーでもあり、プロダクションでもあるネットワークが作れるのではないかと考えている。これに伸るか反るかを今反応を見ているが。
組織単独の生き残りではなく、これまたマネジメントでもいったビオトープマネジメントを個別組織単体でも構築したネットワークを形成する。
ぬえはディレクター集団であり、営業を入れ、事務を入れたのはこのスタンバイでもある。営業なんてするより制作時間に当てた方がいい会社やプレイヤーがいる。俺らが仕事もってくる。事務作業が苦手な会社やプレイヤーがいる。それも俺らがやっつける。作ることに向き合ってくれ。と思うのだ。
よく地方に行くと職人さんや生産者さんが孤軍奮闘してブランドを作り、販路を広げようとしている。それに対し、まずは地域の生産者たちのリソースを集めて街全体のブランドに資本を集め努力した方がいいとアドバイスしている。たった1組織の力で日本中・海外にリーチするのはあまりに難易度が高く非効率だ。
これと同じことを俯瞰したクリエイティブ産業を見た時に感じたのだ。寄れるところがあれば寄った方が相互作用がえぐいのになって。
このソトの話は一人脳内で淡々と考えながら、資料化を進めている。
この企画がどう捉えられるかはわからない。まわりの同業、野良犬みたいな育ち方してるから。自分もですが。でも僕らがいなくなった先の業界で見たことないアウトプットが日本から世界に出まくっている状況の方が老後楽しいだろうなと思う。その土を耕すのが今の自分たち世代の責務じゃないかと思っている。