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その言葉の中に君がいない。

友人の会社がイベントを企画しており、久々にライブハウスに行った。
その懐かしい空間に(筆者は大学4年間ずっとバンドをしていた)涙腺が緩むほどの空気が漂っていた。25歳以下のバンドマンたちをみて、確実に僕が音楽をやっていた期間より長い時間、音楽と向き合っているのに心の中ではもっとこうしたらいいああしたらいい、なぜなら自分たちはもっとうまくこうしていたからという感情が芽生えて後半具合が悪くなった。

そう思っている自分に気持ちが悪くなったのだ。
音楽はどれもこれも素晴らしく、爆音は耳から入り脳みそに届き、鳥肌として発露していった。ただ心の中にある老婆心みたいな気持ちが具合が悪く、ステージ側にいた人間からすると、そのような感情を抱かせているオーディエンスがいるのが気持ち悪いのを知ってるから。自分が恥ずかしくなった。

どの飲み会でも武勇伝を語ってしまう人がいる。僕だってそうだ。話し終えた後に、なんか過去の話ばっか自慢してるみたいで具合が悪くなる。人は生きてると未来より過去の方が蓄積されてくるからデータベースも多い方から参照してしまうのだなと思う。過去の話は出来るだけしたくない。できれば君や僕の未来の話をしたい。どっかの夜にそう思った。ので過去を聞かれても30秒くらいでさらっと話す。それはもう過ぎたことで僕らの仕事は未来を作っていくことだから。

今、同世代たちで渋谷の施設を作っている。次の世代のための遊び場を作っている。もう僕らは40代オーバーのおじさん、おばさんだ。このメンバーたちと話していると、いつもニコニコしている自分がいる。なぜなら過去のことなど語らず未来の話をし倒すから。僕らの当たり前だったものを下の世代に押し付けることはないから。心のど真ん中で世代とか関係なく新しいことにワクワクしたいというエンジンが働いている。それが行動に出ているのだと思う。

同時に上の力も借りながら20代、30代、自分達の力で色々作ってきた経験がある人たちなのだろうと思う。かつての若造の松倉も武勇伝は死ぬほど聞かされてきたけど、いい先人たちは謙虚で長く語らず背中を押すか、そこはちょっときな臭いかなという地雷ポイントだけを残してくれていた。悪い先人たちは僕らに「すごいですねー」という発言をさせたい流れを組んでいた。そのような悪い先人に対しては、無表情で早くこいつらぶっ潰そうという反骨精神をもっていたけれど、今の時代はみんな優しい若者なので心が苦しい。邪悪な人もいるからねというのが若い世代と話す時にアドバイスしているなと思う。

今まさに仕掛けようとして死に物狂いな404 Not Foundは、邪悪な人は皆無だ。というか公園にあつまったワクワク叔父叔母の集まりで邪悪フィルターマックスで生き抜いてきた人たちで作ってる聖域だ。

今日、ここで一緒に働けるバイトやスタッフの面接を終えた。
本当、短期間の募集にかかわらず30名近い応募をいただき、かつ魅力的な人たちが溢れていた。感謝です。面接叶わなかった人もごめんなさい。個性豊かすぎるエントリーで激戦だったと思います(松倉は1/3程面接参加でお会いできなかった人ごめんなさい)

個人の主観は多分に入るが、うちの会社でも300人近い方の採用を見てきた経験からすると人間的に優れているかを僕は見ていないのだなと感じた。取り繕う羽衣は、一応40年以上生きてきてるのでサクッと見透かせる。
頑張って背伸びしてるのも何センチ底上げしているのか測れるぐらいだ。それだけたくさんの人と膝がぶつかる距離で飲み屋で話してきた。

人間ではなく、人の名前を与えられた生き物を見ている感覚になるときがある。ぬえの社員はすべてそうだ。というか採用でも年齢も性別もキャリアも聞かないエントリーシートなのでご存じの方も中にはいるかもしれない。
ごめんなさいのお祈りメールも個別にしたためる。これが24時間ほど必要となる松倉の最もハードな仕事なんだけど、それぞれの時間をもらっているので僕の時間で返したい。自分が誘ったことなので。

それでもお祈りメールのお返しにお礼やその後のキャリアが決まった時に感謝のメールや来訪をしてもらったり、もちろん返信なしの人もいるし、なかには「実は○○会社(これ読んでる人が誰でも知ってるグローバル大手)で働いてる者でした」というなんというかそもそもを理解してない返信もある。
最後のケースは、エントリーシートでうちが大切にしていることを深掘りできていないことを露呈していることに本人は気づいていないのだろう。

「なんだこの生き物」と思う人たちがいる。
人間ではなく生物。魚も牛も犬も猫もそれぞれの形状と生態と個性を持っている。かたや人間は人間であることの周辺に紐づけたタグで語ろうとする。そのタグの多くは借り物でよく聞くのはボランティアしていました。ユニクロみたいだなと思う。あ、ユニクロに失礼か。お世話になってます。

タグだらけの(残念ながら非常に多い)人の言葉は、借り物の言葉辞書からの出典で心が向かない。正直な感想でごめんな。でも、その言葉の中に君がいない。老害たちの武勇伝とベクトル違いな程度で心には届かないのだ。
自分の心で自分の言葉で生き物が話した時、決して過去のことではなく未来のことしか語れないはずだ。人間以外の生き物をやったことがないけれど、サムネイルの蛇も猫もネズミだって、今から先の生きていく未来しか思考してないんじゃないかと思う。

歳を取ってても、若者でも「過去こういうことしてて」という話は、その人を作る大事なものの話だとビジバシ伝わる。私を知ってもらう原点だからこそだ。それがサークルやっててや、学祭仕切ってて、ボランティアしていてとなると、人間の掘りが浅いとなる。大人でもそうだ。過去こういう仕事しててとかどうでもいい。なんでその仕事を選んだのかを語らない人間は掘りが浅い。

でももっとも自分を伝えれるのは過去より未来の話だ。これも年齢関係なく全人類共通だと思う。私、僕は近い未来、もしくは遠い未来にでもこれに挑戦してみたいと思ってる。そういう発言が過去の原点の説明など不要で君自身を大いに語ることができると松倉は思う。なぜなら、君自身がその未来を作るから。君が始点だから。おっさん、おばさん、若者、小学生、誰もが語れる自分のことだ。

今日も良い生き物をみた。
久々に面白いなと思った。若いのにといえば語弊があるが、生まれてこの方自分自身の興味関心でしっかり歩みを進めていることがわかる子だった。その一歩一歩が経験となり思考となり、自身のコンパスの強さをあげていく。そんな子が僕らの場所にエントリーしてくれていたことが嬉しくなった。

長くなった。
どうせ限られた人生だ。
語るなら過去より、未来。
これから作っていく明日の話をしようぜ。
過去の話は死に際で十分だ。

最後に大事なお知らせ。ぬえの新卒採用を計画しています。
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湿気が酷すぎる京都のぬえデスクにて

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