見出し画像

【全文公開記事】今日も、生きる。

雨音で目が覚める。
昨夜は22時には就寝し、ぐっすり眠りほうけた。
渋谷でトークイベントを行い、4500円のカプセルホテルで就寝。
朝6時に起きて、7時台の新幹線で京都へ舞い戻り、我らがスタジオのコンコン5周年にギリギリセーフ。酒を飲み、そこでもトークをし、テントサウナに入り、イベント中に昼寝をし、クロージング後、大宮の飲み屋で旧友らと酒を飲み交わし、そこでも眠り、起きてスナックに移動し、2時半までお坊さんたちとカラオケ合戦。ボロボロの体で家につき、そのまま気絶するように就寝。

目まぐるしい。遊びと仕事が大渋滞している。
溜まった疲れを昨夜は銭湯で流し、10月1日より変わった入湯料510円を支払う。常連たちとサウナトークをし、湯船に使ってテレビを見上げる。反町隆史がBBQを楽しそうにしている。もう56歳なのか。鬼塚。いや、自分にとってはビーチボーイズか。夏ももう終わる。

人生、山あり谷ありだというが、かつての人は令和の今を想像しているわけではないので、この高低差+速度たるや車酔いしてしまうのではないか。なんなら商売の流れも山あり谷ありなので、無意識で開封した税金納入の金額に5秒ほど手が止まる。こっちの方が吐きそうだわ。

このような暮らしを10年以上続けていると乗り物酔いというか、人生酔いみたいなものがなくなってくる。大変そうなのにいつも酒飲んでて楽しそうだと言われる。大変やで。安心して。みんな大変。今だってまだ前歯ないしさ。どっかある瞬間に啓示のように人生の捉え方が変わった。

自分の人生に期待すな。ただ幸福を追求せよ。

って酔っ払った脳みそがそう言っていた。
僕らはなぜか知らないが生き続けると思っている。
もしかしたら、今日、何かの事故で死ぬかもしれないし、そんなこと何もわからないのに、闇雲に自分の生を信じている。

行きつけのスナックで壁に寄りかかり、酔っ払った頭でもう死んでしまった友達のことを思い出していた。なぜだろう。あ、イエモンの『バラ色の日々』を誰かが歌っていたからだ。そして、友達はこのカウンター側に立って熱唱していた。そうだそうだ。懐かしい。似合ってたなスナックの風景。俺より若いのにポックリ逝きやがってと薄めの焼酎を飲み干した。

僕は僕の人生に期待をしていない。厳密にいうと自分の未来に一切の期待を抱かないようにしている。今この瞬間に生きる認識しかない。過去もどうでもいい。人生は辛いことの方が多い。そう誰かが言ってた。果たしてそうだろうか。それは死に際までわかるまい。だとしたら、今この瞬間を仕事でも暮らしでも自分の幸福を追求して最高輝度でお届けしたい。ぶっちゃけ自分の人生にできることなんて、まじでそのくらいだ。

自分の人生を誰かのせいにするでもなく、他所のせいにするでもなく、自分で発光し続ける。発酵でもいいかもな。その意識だけで生きている。そのうち、自分の光らせ方を覚えるだろう。必ず何か大変なことは起こる。けど、それに怯えて暮らすのではなく、過度な期待を未来に持つのではなく常にこの目の前の今にどうバキバキ輝かせれるかだけを繰り返していたら、死に際にいい人生だった、楽しいことしかなかったって言えるんじゃないかな。

おそらく多くの悲しいことは急に起きるし、
これもおそらく多くの不幸は避けようがない。
それが起きてしまった時。その悲劇が起きてしまった時、僕はいかに喜劇に変えていけるかという思考で生きている。

焼肉屋で速攻冷麺頼んだっていい。だって自分の幸福を追求するために生きてるんだもん食べたいものを食べようよ。
明日大事な会議があったって夜まで飲むよ。だってこの夜を一生忘れられない夜にしたらいいんだから。

なんしか、未来とか人生とか考えるのは年に1回くらいでいいと思う。
それ以外の364日は、今日どんだけ楽しくできるかで生きてく方が肩の力が抜けて生きやすいのではないかと思う。

死んでしまった友達も、そんな生き方だったなと思う。
まだまだ話し足りないことだらけだけど、いずれ会えるだろう。
そんな悲しみも日々で起きるし、ポッケにしまって今日も生きている。
いいこともわるいことも全て自分のものだ。
それをどう見るかは自分次第。テメェ次第だろう。
さー今日も生きるぞ。

ここから先は

0字
このマガジンを購読すると時々心が楽になったり、スーパーどうでもいい日記もあるんですが回り回って松倉のビールに変わったりお会いできたらビールを奢ってお返しします。

🍺ビールに代わる日記🍺

¥500 / 月 初月無料

プランナーとして考え続ける日々や経営しながら苦悩する日々をつらつらと書いていきます。読者の質問には全て答えていこうと思っています。 頻度:…

いただいたお金は子どもに本でも買おうかと思ってます。