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僕らは対話をし続ける。おそらく、死ぬまで永遠に。

「対話」という言葉は割と日常によく出てくる。
「コミュニケーション」というカタカナの方が頻度は高いだろう。
日常に溢れる当たり前の行為にも関わらず、この行為を軽視しがちだ。
今日はそんな対話の話。

slackやメッセンジャー、メールが僕らの対話を加速させた。
人が受け止め切れる以上の物量が日々投げかけられ、昔でいう集中してるのに肩叩かれるような集中の阻害が生まれている。そんなことにも慣れてくると脳みそは学習し、ただ言葉を情報として受け取り既読にしていく。

人間の脳みそはつくづくパソコンのようなOSで動いていると思う。
生きていく上で学習をし、効率化を図り、生きる負荷を軽減しようとする。
生命維持装置のように記憶と反復を繰り返し習得していく。
そして無意識で様々な処理を僕らはしている。
そこに今、対話も組み込まれているのかもしれないと危惧している。

ある会議で気になることがあった。
その気になることをチームスレッドに書くと長文で怖がってしまうと注意を受けた。なるほど確かにと思い反省をした。声とは違って、今もこうやって皆さんが読んでいるテキストの温度は筆者が宿すのではなく読者が想像することで冷たくも温かくもなる。相互作用なのだ。

僕が社長であることも鑑みると、どう考えても自分が悪い。
これは声で伝えるべきだった。

自分の失敗を引き合いに出したが、対話とは相互の向き合いで成立するものだ。日々の暮らしを想像して欲しい、誰かにあなたが話しかける。相手はスマホから、もしくはテレビから目を離さないまま生返事を返す。
その時、あなたはイラっとする。ちゃんと聞いてないと。
それでも受けては聞いたと思っている。情報として受け取ったからだ。
しかし、それは対話とは到底呼べるものではなく、壁に投げた言葉のボールがボテんと勢いもなく自分の足元に帰ってきただけ。
そこで人は虚しさを覚える。

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