E・ケストナー『飛ぶ教室』読書会(2024.12.20)
2024.12.20に行ったE・ケストナー『飛ぶ教室』読書会のもようです。
解説しました。
私も感想文を書きました。
こころ~と、こころが~、いまはもう・か・よ・わ・な・い
私の卒業した高校も、旧制高校のようなバンカラの気風が残っており、入学後の二週間、放課後一時間、応援団の指導のもと、応援練習をさせられた。目の前に短ランボンタンの応援団が来て、名前を呼ばれる。「おー」とか答えた気がするが、声が小さいと「小せえ」と言って何度も、点呼がやり直しになり「おー」「おー」と腹の底から声を出して答えなければならない。40人学級の点呼だけで20分くらいかかる。教室の外では、短編映画『憂国』で磯部浅一を演じた三島のように破れた学帽を目深に被り、腕を組んだ袴姿の応援団長が、表情も見えないまま廊下を練り歩いており、不気味だった。軍歌のような応援歌を二十くらい暗記させられ、最終三日は、一年生全員で校庭で合唱した。歌声が小さければ叱られるし、歌詞を覚えてこないと、やはり叱られる。男女が半々になった現在はやっていないそうだが、私の高校生だった90年代は男子3に女子1くらいの比率だったので、男子校の気風がまだ濃厚だった。
今思えば、応援練習などは封建的な遺習であり、保守反動のような気がするのだが、ドイツのギムナジウムを範にとった旧制高校では、応援練習で養われるような規律に対するマゾヒスティックな順応が、逆にリベラルな気風を涵養すると思われていたようだ。
とはいえ私は全寮制の学校で育ったわけではないので、『飛ぶ教室』の雰囲気がすべてよくわかるわけではない。
日本では、60年代以降に高校や大学の自治会が左翼活動の拠点になったとき旧制高校的なリベラルな気風は失われていった。デカンショではなくマルクス・レーニン・毛沢東ということなったのである。つまり、「哲学者ショーペンハウアーがどういうふうに女について述べているか、ためしに読んでみろ」(P.35)などとは言わず、自治会が寮を掌握してバリケードで封鎖して「関係断ったところからそれを逆転するのが革命じゃねえのかバカヤロウ」というわけである。そして、舎監の道理先生をウーリの飛び降りた梯子の上に立たせ、彼の首に「造反有理」の札をかけ、みんなで糾弾するような気風へと変じていった。
勇気を鼓舞し、ユーモアを養い、忍耐力を学ぶ。これら精神的な卓越の涵養なり、人格の陶冶なりを尊ぶというのは、古代ギリシアのプラトンアカデミー以来も伝統であり、ドイツのギムナジウムを通じて日本の旧制高校に持ち込まれた文化なのかもしれない。
一方、全共闘運動からしらけ世代を経て、冷戦体制が終わり、左翼思想は衰退し、覇権国アメリカのもとで新自由主義が一強になっ。2000年代以降の状況は一変した。生産性に寄与するような実学だけ教えようという、昨今の経済界の要請に応じた教育改革は、コスパタイパにしか関心のない画一化した学生しか産まなくなった。
精神的卓越性など欠片もない。現代のウーリはハシゴから飛び降りたりしないだろう。勇気を証明するというのはコスパとは関係ないからだ。
かくして精神的な卓越性を求めれば、世間との交わりを避けて、森の中にうち捨てられた禁煙客車に庵を結んで、古代アテナイ人が最高の生活様式とした、「観照生活」に没頭しなければならない。
禁煙さんが校医になるという展開には心底がっかりした。彼は生徒に内緒で、社会主義地下活動でもやっていてほしかった。
ナチスに不服従であるなら、共産主義者として人民戦線を組織して、レジスタンスによる活動的生を生き抜くか、禁煙さんのように世捨て人となり、観照生活に沈静するしか対抗策はない。
ギムナジウムを卒業した彼ら登場人物はどのようにナチスの政治権力と対峙して、戦後を迎えたのか? そこに思いを馳せると、たったひと冬の学生生活のエピソードからは、卒業後の彼らの現実的な妥協の程度は窺い知れない。
あの素晴しい愛をもう一度。学生生活のわちゃわちゃが、人生のピークだったとしたら、哀しい。
(おわり)
読書会の模様です。