あなたは人を何で判断するの?
ついに愛知県にも公立の小中高一貫校ができる可能性がある。
公立の小中高一貫校は現在、東京都で2022年度開校予定の学校がある程度で、当然東海3県では実施例はない。
河村名古屋市長の次期市長選における公約だ。私は歓迎したい。
「なぜ?小中高一貫校か」というその背景にあるのは、「過度な受験勉強から子どもを解放して健全な成長を促す教育環境のモデルにする狙い」という。
さらに、公約では内申点で不利になることが多い不登校の生徒を対象とした「チャレンジ枠」を市立高校入試に新設することも掲げる。学科試験に加え面接などを設け、内申点が足りない分をやる気でカバーできる仕組みを目指すとのこと。
子どもは、学校では学力テスト、進学では学力試験で試されてきた。子どものこと、入学希望者のことを知るのに、学力でしか判断されなかった。
人は今まで、この仕組みを成長過程で植え付けられる。そしてこの仕組みは長い間続いてきた。長い間というのは、今生きている人の多くはこの仕組みが普通と思っていただろう。
だから、試験でなくても、日々出会う人も、人は人を知るのに、どこの高校を出た、どこの大学を出たで判断するようになったのではないか。
人のため、人と環境のためにあるはずの社会のシステムが、その社会システムで生きる人を、人を切り捨てるやり方で試験するのは、やはりどこか間違っていたのではないか。
過度な受験勉強から子どもたちを解放し、子どもとの対話の時間を十分持つことは、一人ひとりの可能性の芽と、今後の長い一生を考えれば、決して長い時間ではない。