知識は道具
「知識は道具に過ぎない」、ドラッカーの有名な言葉の1つです。
コレクションという嗜好もあるので、道具自体を集めるということを否定はしませんが、道具はそれぞれの目的のためにあるもの、使いこなさなければ意味がありません。そして道具を使いこなすためには、一定以上の勉強や訓練が必要になります。
・父の体験
以前、父の勤め先が閉鎖になったとき、かなり強引ですが、父にCADを習わせました。それまでパソコン自体触ったことがなく、最初はかなり苦労していました。
既にWindows98が出回っていた頃なので、若い方はそれなりにパソコンを使いこなすのに対して、電源のON・OFFを覚えたばかりの父ですしたから、学校では完全にロートル扱いで相当辛かったようです。
ただ2月ほどして、基本的な操作の授業が終わると、状況が一変しました。
元々CADは製図ソフトです。基本操作を覚えた後は結局製図の勉強です。こうなると、、、中学卒業以降、かなり腕の良い木型職人として働いてきた父です。製図能力は自動車開発のエンジニアより高い(昔はエンジニアやデザイナーの図面を木型師が修正していた)ですから、何も教わることはありません。テキストも簡単過ぎて話にならない。
と、いうことで、途中から一番上のクラスに変えてもらいました。
ちなみにこのクラスでも製図能力は先生より父の方がずっと上で、結局学費を払った分、残り時間は自由練習をして、高度な操作を随時教わるというものでした。
この父の例はかなり特殊ですが、「知識や技術は道具」という話の良い例だと思います。
当初、父はパソコンを使う「基本的な智識」がありませんでした。しかしその「智識」を身に着けた途端に、この智識は「道具」になり、高次元の製図能力に「スピード」という新たな武器を与えました。
その後は父を名指しで製図の仕事なども来るようになりました。教わった専門学校の講師や工業大学の技術指導員の話もありましたが、流石にそれは断っていました。(笑)
一方、最初にCADを習ったクラスでは、製図でついていけない方が脱落していったそうです。
・あるMBA取得者の話
先日、MBAを取得しているという方と話しました。それなりに「知識」はあるので話しやすかったのですが、途中で違和感を感じ始めました。
MBA取得者の方と話していてしばしばあることですが、この方も「知識を使っていない」のです。そのため、直面している問題についての質問が、急に基本的な内容に変わります。
またこれもしばしばあることですが、こうした方はいつ頃MBAを取得したかが判ります。なぜなら、知識がアップデートされていないからです。
知識を使う、つまりその知識を「大前提」として社会や企業の問題を演繹していると、環境の変化から新たな知識が必要になります。つまり普段から知識を使えていないということになるのです。
もっとも、これは少し難しいかもしれません。
時々「日本のMBAは使えない」という話を聞きますが、僕はその理由の1つは知識で終わっていること、もう1つは哲学など学問研究の基礎がないことだと考えています。
・知識を使うために必要なこと
それでは「知識を使う」ためにはどうすればよいのでしょうか。
第1に感じることは、「知識を目的にしない」ということではないでしょうか。
何度も記しましたが、僕は広告デザイン専門学校のマーケティングの講義で、最初に「無理に覚えなくていい」と伝えています。
この講義に求められるのは、デザイナーとして必要なマーケティングが「できる」ようになることです。マーケティングの「考え方」が身についていれば、その時々で必要な「用語」は調べることができるからです。
なぜそれを学ぶのか、学んだことで何を実現するのかを明確にする必要があります。
第2に、知識から直接答えを求めないことではないでしょうか。
世の中で起きていることで、1つの知識で解決できることなどありません。あるとすれば、極めて限定的かつ瞬間的なことに限られます。
また本質的な知識ほど、その背景に様々な知識や考え方が内包されていますから本質的な理解のためには、多くの勉強が必要になります。単にテキスト的な説明を覚えても、本質的な理解、ましてや「知識を使う」段階には程遠いです。
だからこそ、知識は答えを出しません。
第3に、「姿勢」です。
まあ、、、これは色々な場面でくちにしていますが。
学ぶ姿勢、考える姿勢、取り組む姿勢など、あらゆる姿勢が「学び」を本物にするのだと考えています。
これについては過去の記事でも似たような話を記しましたので、参考にしていただければと思います。
ところで。
今社会が大きく変化する中で、最近の企業経営に関する多くの問題を解決するためには、実はビジネスではなく、歴史や社会、思想、哲学などについて学ぶほうが良いように感じています。
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