言葉を言い換えることの難しさ

僕の両親は、それなりに高齢です。多分に漏れず、スマートフォンの使い方で困ることがしばしば。
毎回質問自体は違うのですが、結局同じような内容なので、教えながらついついイライラしてしまいます。

僕も教員経験はそれなりに長いですが、こればかりは、、、携帯電話の店員さんにはホント、頭が下がります。

ところで、父にスマートフォンな高い方を教えていてふと気づいたことがあります。

それは言葉を言い換えるということです。

・言葉の言い換え.1 スマートフォンの使い方
これは僕の勝手なイメージですが、パソコンなどに慣れていない、65歳前後より上の方は、スマートフォンを使うとき、何と言うか画面を‘叩く’ようにして使う方が多いように感じます。スワイプするときも、何と言うかおはじきを弾くみたいな。

さらに言えば、両親とも年相応に指先が乾燥していて、加えて職人である父は当然のように指先がとても硬い。
そんな父が、左手でスマートフォンを持ち、右手の人差し指を、文字通り人を指すように出して、狙いすまして「えいっ!」というように操作する。
反応しなかったり、違う場所をタッチしたり。イライラすると、余計に操作が荒くなり、思った通りに使えません。

色々説明して、やっと何とかなりましたが、そのときの父の言葉で気づきました。

元来、機械のボタンは「押す(物理的に動く)」ようにできていました。しかしタッチパネルでは押しても動きません。だから画面を叩くのだと。

そこで考えた結果、父に、スマートフォン(タッチパネル)の操作は「触る」「なぞる」と教えたところ、幾分操作ががスムーズになりました。

製品のユーザビリティなどを考えている人には当たり前かもしれません。ATMや自動販売機などでも「タッチして下さい」という音声が流れます。
しかし半世紀以上、ボタンを「押」してきた人には、やはり操作するときは「押す」のが正解です。だからこそ、「触る」「なでる」といった、元来の言葉で説明する必要があるのだと思いました。

・言葉の言い換え.2 指揮・命令
これはある経営者の方の話です。
この会社では、新型コロナウイルスの影響などから、社内のコミュニケーションがうまくいかず、業務上のトラブルが続いていました。

こうしたことが続くと、経営者の方の口調が強くなってしまうのはよくあることです。
ちなみにこの方はとても真面目な方で、あまり話すのが得意ではありません。お話を聞きながら頑張ってて「指揮・命令」をしたとのことでした。

経営学では、確かに「指揮・命令」という表現があります。しかしコミュニケーションが円滑ではない状態で、いくら「命令」をしてもうまくはいきません。

現在の経営学は20世紀初頭に誕生した新しい学問です。日本では特に第二次世界大戦後頃までは、もっぱら海外の文献を訳すことが中心で、その担い手は経済学者でした。
そこで使われている言葉の多くは、当時の日本にはない言葉です。そのため単語を日本語に作り変えることから始めなければなりませんでした。
経営学自体が、特に組織論や計画の実行という点において、軍隊の考え方も取り入れらていたため、これに準じた日本語訳が多く用いられました。
しかし、例えば先日のnote「Management」についての記事のように、必ずしも日本語訳の「管理」という意味のようなニュアンスだけではありません。

今回の「指揮・命令」という言葉は、言葉の意味や響きから、経営者の方に大きな責任意識を生んでしまいました。

これについては、僕が普段から「経営者としての責任と覚悟」という話をしていたというのもありますが、、、(ちょっと反省です)

これだけなら良いのですが、中には「指揮・命令」という言葉から、自分に過剰な権限があると、勘違いする経営者もいて、僕自身もこうした人物に会いました。

そこでこのときは、社内の皆さんの話を聞き、それぞれの問題点を相互に確認してもらったうえで、経営者の方には「指示・確認」と説明しました。
「命令」を「確認」としたことで、この経営者の方は、肩の力が抜けたようで、コミュニケーションがとれるようになりました。

言葉にはニュアンスというものがあり、さらに言葉の響きや一般的な使われ方のイメージで、人の気持が左右されるのだと知りました。

・時代と共に変わる言葉
ロジカルシンキングでMECEの説明をするときや、マーケティングでセグメンテーションの説明をするとき、例えば「人」を分類していきます。
なるべく大きな分類から考える必要がありますが、講義では学生さんと考えながら、「こうした分け方をして良いか、またどのように表現すべきか、、、」などと前置きをしていると、学生さんが「男女」とか「性別」と答えてくれます。

今の学生さんはこうしたことを常識として認識しています。

今回、これを機会に適切な表現を探してみましたが、まだ見つけられていませんので、こうしたときは「生物学的な意味での性別」と付け加えていますが、これもなんとなく不自然です。
今後、適した表現が現れるのかどうかはわかりませんが、やはり言葉を言い換えることの難しさを感じる場面です。

あるときは伝わるように、あるときは認識を変えるため、またあるときは時代の変革の中で、言葉を言い換えることが求められますが、いつも難しさを感じます。

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