うまく言葉が話せないぼくと、言葉を求める社会。
ぼくは人前では話せない
よく勘違いされるけど
話さないんじゃなくて
話せない
頭の中には言葉があるのに
いざ口から出そうとすると
出てこなくなる
まるで
誰かが無理やり
ハサミでちょんぎったみたいに
ぼくの頭の中の言葉は
泡になって音にはならない
逆に人前でも話せる時がある
それはずっと前から知ってる人だったり
ぼくが好きな人だったりする
でも同じ人とでも話せない時もある
それがどうしてなのか分からないし
いつそうなるのかも分からない
目の前にその人がいて
話そうとしてみないと
話せるのか話せないのか分からない
ちっちゃな時からそうだったし
大人になったから治るとも思えない
ほとんどの人は
話そうなんて意識しなくても
言葉を話していると知った時は
ぼくは頭を殴られたみたいな
とてつもない衝撃を受けた
ぼくのことを知ってくれている人は
話せないぼくを怒ったりしないし
無理やり話させようともしない
話せないぼくを気にせず
話しかけてくれたりするとうれしい
だけどほとんどの人は
ぼくが話せないことを怒ったり
バカにしたり
なんで話さないのかと責めたり
話すまで許さないと言ったり
ぼくだけが悪いみたいに扱う
話せないことは
そんなに悪いことなのだろうか?
うなずいたり首を振るだけじゃ
認めてもらえないのだろうか?
言葉を話せないことは罪なのだろうか?
筆談では伝えきれないし
書くのを待っていてくれる人も少ない
手話を習ったとしても
ぼくの両手はぼくの口と同じように
ぼくの気持ちや言葉を伝えてはくれず
泡にしてしまうんだろう
さみしくないの?ってよく聞かれる
ぼくは生まれた時からこうだったよ
さみしいっていうのはきっと
そうじゃない時を知ってる経験があるから
でも
ぼくにはそんな経験がないから
さみしいのとは違う気がする
さみしいっていうよりは
ぼくからみる「社会」には
ぐるっとまわりを囲む大きな壁があって
いろんな人が出たり入ったりしてて
その向こうがわは楽しそうなんだけど
ぼくが入れる扉はひとつもないんだ
だれかと一緒に一瞬だけ入れた気がしても
楽しいって思う間もなく
ぼくは壁の外へ放り出される
お前が居ていいところじゃない!と
「社会」がぼくに
ほとんどの人と同じであることを求める限り
ぼくは「社会」に暮らすことはできない