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【2月のSB新書】増永菜生『カフェの世界史』より「あとがき」を公開!!

2月7日発売のSB新書『カフェの世界史』(増永菜生 著)から、ここでは特別に「あとがき」を公開します。イタリアで研究を続ける増永さんが、カフェとの思い出や初著書の意気込みをたっぷりと綴ります。

あとがき――『カフェの世界史』より

「イタリア、カフェ、コーヒーなどをキーワードに本を書きませんか?」という話が出版社から来た時、「これは十年、いや二十年早い仕事かもしれない」と咄嗟に思った。

お声がけいただいた2024年春は、イタリアで博士論文の締め切りに向けてラストスパートをかける中、博士号取得後の進路についても悩んでいた時であった。加えて、日本に住む祖父の介護費用も必要な時期でもあったので、十日間ほど悩んだ後に「ひとまずどのような本を書けるか、ミーティングをしましょう」と出版社にようやく返事をした。

そのわずか二週間後に祖父は亡くなってしまったのだけれど、悲しみをえいやと心の奥にしまいこみ、飛行機に飛び乗った。日本で葬儀を終え、その一ヶ月後に博士論文の初稿をローマ大学に提出した。その後、編集者の方と本の方向性についてやり取りを重ねた。

当初は、イタリアのカフェやお菓子、食文化について書くという案も出た。残念ながら私は、お酒は舐めるようにごく少量しか飲めないし、イタリアでも米を毎日のように炊いて自炊する生活をしているので、本格的なイタリア料理を食べた回数も数えるほどしかない。

ただ私は、気が狂ったようにミラノやローマ、時々パリのGoogle マップにピンを立てつつ、カフェに通っていた。となると、いっそのこと「カフェ」に焦点を絞り、「カフェの世界史」というタイトルで本を書くことにしようと最終的に合意に至った。

実際に執筆を本格的に開始したのは、博士論文の最終稿を大学に送った9月半ばより後のこと。そこから数日ごとにやってくる締め切りに、暗澹たる思いでカレンダーを眺めつつ執筆を進めた。すると思いの外、筆が進み、最後の締切日の数日前に全ての章を編集者に送り、執筆は終了した。

長々と本書が出来上がるまでの経緯を書いたが、原稿を仕上げた後ならば好きなことを「あとがき」に書いてよいという編集者からのお達しをいただいていた時から、「あとがき」に書こうと決めていたことが二つある。

一つは、本書は「研究書」ではないということである。本書は、「歴史や文化って面白い」と思ってもらうための「入口」を意図して書いた本である。本書を書くにあたり、私の専門であるルネサンス期・近世のイタリアの歴史以外の膨大な知識や情報を参照する必要があった。そこで参考文献を選ぶにあたり、重視した基準は以下の通りである。

  • 日本の歴史学研究者が執筆した研究書、あるいは通史の本

  • 日本国内の図書館で手に入る本

  • 2000年代以降の比較的新しい本

この本の狙いの一つは、「カフェ」を入口に歴史学に興味を持ってもらう、参考文献に挙げられている本に手を伸ばしてもらうということだからである。

私の専門分野でもある西洋史学の研究者の方々は、近年も精力的に研究プロジェクトを立ち上げ、優れた研究成果を論文集あるいは翻訳書として残されている。その他にもミネルヴァ書房から出版されている「はじめて学ぶ~歴史と文化」のシリーズや、明石書店から出版されている「~を知るための…章」シリーズなど、専門外の人間にとっても読みやすい優れた書籍はたくさんある。

本書では、イタリアに限らず、フランス、ドイツ、イギリス、オーストリア、そして日本の歴史などをまとめつつ執筆する必要があったために、このような研究者の方々が書かれた最新の研究成果から勉強させていただいた。

ただイタリアで執筆していたこともあり、ちょっとした調べものをしたい時に日本語の参考文献がなかなか手に入らない、大学図書館に見に行くことができないという悩みもあった。そのために、本書で挙げられている参考文献は十分ではなく、他にも読むべき文献があったということはここでエクスキューズしておきたい。

執筆を進める上で、近世以降のヨーロッパ史の基礎的流れを読み込む必要があったために、自分が専門とするイタリアの歴史を異なる視点から考えるきっかけにもなった。

例えば、「アルプスを越えたザッハトルテ」の節でも説明したように、15世紀末に始まるイタリア戦争を機にイタリア半島の多くの都市は、一部独立を守る都市や公国はあるものの、オーストリアとフランスの影響を強く受けることになる。このような外国支配の残滓というものは、今でもイタリアの各都市でいくつも目にすることがある。

しかしながら、イタリア共和国という国家が成立している今現在のイタリアの姿のみを見るならば、このような名残の由来や理由を読み解くことは難しいであろう。少々乱暴な言い方をすれば、日本の世界史の教科書では、ルネサンスやマキァヴェッリ、対宗教改革でイタリアが少し登場したかと思えば、その後にイタリアが大々的に登場するのは、ガリバルディが主導したリソルジメントの時期になってからである。

この日本ではあまり一般的ではない、「空白の」イタリアの歴史、外国支配の時代について、今後の自分の研究においても考察を深めたいと思ったのであった。

また大学生の皆さんは本書を、大学の授業の課題レポートの参考文献には挙げないで欲しい。本書ではなく、本書の参考文献、さらにはその参考文献の参考文献を、授業の課題では参照して欲しい。

自身で本を購入できない、かつ求めている文献を大学図書館や公立図書館が所蔵していない場合は、「購入依頼」制度を利用して欲しい。最終的に購入依頼が許可されるかどうかは分からないが、公の図書館に本が入れば、次に読みたい人にもつなぐことができる。

かくいう私も一橋大学大学院在学中は、分厚いロレンツォ・デ・メディチの書簡集何巻かの購入依頼を大学図書館に申請し、購入してもらった。またコロナ禍の帰国中になかなか都会に行けなかった時には、福井県立図書館に購入依頼を出し、何冊か研究書を購入してもらったこともある。本を売るということが難しい今、残すべき本は、なるべく多くの人で買って、読んで、残すことが重要なのかなと思う。

もう一つは、1.5ユーロでコーヒー貴族になることができる国、イタリアと私についてである。

私は2017年秋にイタリア・ミラノでの生活をスタートした。到着から一ヶ月ほど経った頃、「ちょっと寒いから入ってみよ」といつも前を通り過ぎていたカフェに入ったことから私のコーヒー貴族生活が始まった。それまでにイタリアへ旅行や短期間の語学留学に行ったことがあったので、カフェ自体には入ったことがあったものの、イタリアのバールというものに意識して入ったのは初めてのことであった。

ずらりと色とりどりのガラスのボトルが並ぶカウンターの隣には、ツヤツヤと光る美味しそうなパンやお菓子が宝石のように並んだガラスのショーケース、煌めくシャンデリア……。思わずうっとりしてしまったが、このままショーケースの前で立っていると次の人の邪魔になりかねなかったので、前の人に続いてカウンターでエスプレッソを注文してみることにした。

カウンターで出されたエスプレッソ。何やら席に座って飲んでいる人もいるが、よく分からないままに立ってエスプレッソを飲んだ。とろりとした濃いコーヒーが体に染み渡り、お腹の中がポッと暖かくなった気がした。会計に向かうと「1.1ユーロ」と言われ、あまりの安さに驚いた。

当時日本だと喫茶店のコーヒーは大体400円から500円ほど、チェーン店でも200円から300円台くらいであったので、「立ち飲みとはいえ、こんなに豪華な空間でコーヒーを飲むことができて、かつコンビニコーヒーや缶コーヒーくらいの値段でエスプレッソが飲めるのだな」と感動した。

それからイタリアのバールの文化について調べたり、お店の人に聞いたりするようになり、立って飲むと安い、イタリア人はバールによく通うといったイタリアのバールのシステムやコーヒー文化について理解を深めた。

2018年から2021年頃までは、円安ではなく、またイタリアでも物価が上がっていなかったので、2.5ユーロ前後でコーヒーと一口サイズのパスティチーノというお菓子を楽しむことができた。このコーヒーとパスティチーノの組み合わせに見事にハマって、Google マップを片手にミラノ中を歩くことになった。

パスティチーノという一口サイズのお菓子は、ミニョンというフランス語の名前もあるが、不思議とフランスのパティスリーで一口サイズのお菓子を見ることはない。一般的にフランスでは、日本でよく販売されているような一人用の普通サイズのケーキが、アントルメという名で売られているようである。

このイタリア独特の小さなお菓子、パスティチーノは、種類もとにかく豊富で、店によっては、普通サイズの小さい版として作っているところもある。なので普通サイズのケーキを一人一つ食べるというよりも、このパスティチーノを一人で複数頼めば色々な味を試すことができるというわけである。

イタリアではパスティチーノは、人の家に訪問する時のお土産、あるいは休日に家族で家で食事をした後のテイクアウトとして食べることが多い。休日にイタリアのパスティチェリア(菓子屋・ケーキ屋)に行くと、家族用に紙皿いっぱいにパスティチーノを選び、テイクアウトしている人を見かける時もあるが、なかなか幸せな光景である。

パスティチーノの話だけでだいぶ長くなるのでこれくらいにしておこう。

イタリアではランチやディナーで100ユーロくらいの価格帯の高級店であっても、コーヒーカウンターだけの利用ができるところもある。煌びやかなシャンデリアや大理石の床、古めかしい木のカウンターで立ちながら飲むエスプレッソ。とはいえそのエスプレッソは、1ユーロちょいの値段であり、まさに気分はコーヒー貴族である。

先に「1.5ユーロでコーヒー貴族」と書いたのは、2021年頃まではこのような高級店でも1ユーロから1.3ユーロほどで立ち飲みでのエスプレッソを提供していたのだが、2024年末現在では値上げが止まらず、高級店の立ち飲みでのエスプレッソの価格が1.5ユーロから1.6ユーロくらいにまで上がってきたからである。とはいえ、1.5ユーロ前後である。

さらに値上げが続くかもしれないが、身なりを整え、にこやかにお店に入り、かつてのイタリアやヨーロッパで活躍した歴史上の人物も通ったカフェでゆったりコーヒーを飲む。このような自分の生活の中のとっておきの時間、コーヒー貴族になれる時間というものは大事にしたいものである。

2024年現在、世界的な物価高や政情不安が続いている。私自身、この先どの国で生き、そして骨を埋めるのか全く予想もつかない人生であるが、イタリア・ミラノで発見した「コーヒー貴族」になれる時間のような楽しみは、何歳になってもどこに行っても持ち続けたいものである。

そういった小さな楽しみは、人によっては読書であったり、飲酒であったり、スポーツであったり様々である。そのような楽しみを人々が手放さざるを得ない世の中にならないことを祈るばかりである。

最後に、カフェという場所は、私にとって亡き家族との思い出をいくつも思い出すことができる場所である。福井県という地方都市で生まれ育ったために、ディズニーランドやUSJといったテーマパークどころか、東京にすら成人するまでに二回しか行ったことがなかったと記憶している(うち一回は修学旅行)。

県内に百貨店は一つしかなく、多くの人は地元のショッピングセンターで買い物を済ませるために、そこに入っているお店しか知らない。日常的な娯楽といえば、図書館で借りてくる本や雑誌、およびレンタルビデオ店で借りてくる映画であった。幸い私の実家には、両親の趣味で大量の本があったために、学校から帰ってくると夕方は図書館の本と家の本を読み漁り、夕食後にテレビを見て9時には就寝する少女時代であった。

そのような日常において、ショッピングセンターのフードコートに入っているカフェで親と食べたフローズンヨーグルトや、祖母に連れて行ってもらったデパートで食べたコーヒーゼリーや苺ヨーグルトムース、はたまた京都や大阪の親戚からの貰い物の珍しいお菓子などなど、その一つ一つが特別であった。

「平成生まれにそんなことある?」と驚く人もいるかもしれないが、本書に登場したスターバックスでさえも初めて筆者が入ったのは、大学受験のために京都へ行った時であった。

大学入学後、間もなくして両親が亡くなった。さらにその数年後、これまで面倒を見てくれていた祖父母のケアをする必要が出てくるようになった時、食も細くなり、あまり外出したがらなくなった祖父母もカフェだけは一緒に行くことができた。

90歳も近くなり食が細くなった祖母もスタバの生クリームたっぷりのフラペチーノはペロリと飲んでいたし、「あんま外のご飯は食べたくないんや」と言っていた祖父も、喫茶店の卵サンドは完食していた。今でもこのように語ることができるのは、祖父母との一回一回の外出を「これが最後になるかもな」と覚悟しながらしていたからである。

カフェをめぐる私語りはいくらでも続けられそうだが、一旦ここで終わりにしよう。イタリア留学をするにあたって多くの教授や先輩方にお世話になったのだが、その方たちへの謝辞は、博士論文を出版することができた時に思いっきり書きたいと思う。カフェ、本、美術館という私の好みを形成してくれた、それぞれが世界史と日本史の高校教諭であった亡き両親と、いつまで経っても日本に帰ってくる気配がない姉に対して文句の一つも言わないでいてくれる妹と犬2匹にここではお礼を述べておきたい。

2024年12月7日
聖アンブロジウスの日のミラノにて


『カフェの世界史』は下記よりご購入いただけます。2025月5月23日までにご購入の場合は、イタリアのコーヒーメニューについて増永さんがまとめたPDFが特典として付与されます。

カフェや美術館について発信を続ける増永さんご自身のnoteも、ぜひお楽しみください。書籍『カフェの世界史』とあわせて読むのがオススメです。


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