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これに気付くことからスタート | 私の人生の取り戻し方① | 毒親育ち卒業


初めの一歩


「毒親」という言葉を手に入れたのはいつですか?

「毒親育ち」「機能不全家族」「アダルトチルドレン」…自分を形容するたくさんの言葉がありますよね。

私が初めて「毒親」という言葉に触れたのは、30代に入ってからだと思います。

同じくアラフォー以上の方にとって、子供の頃にはなかった様々な専門用語によって、幼い頃(そして現在も)私たちを苦しめる現象が言語化されていくのを感じているのではないでしょうか。


私自身、「毒親」という言葉を知るまでは、自分が親を愛せないのは自分の性格が悪いせいだと思っていました。

幼稚で
感謝することを知らない
親を敬えない
恩知らず
親不孝者
薄情

だから自分は親のことを大事に思えない。
実家に帰るのが苦痛で
母からの電話が恐怖。

そしてそれはそのまま自分責め、自己否定に繋がっていきました。
まさに負のループです。


さて、晴れて自分が「毒親育ち」だと判明した多くの方は、その後も生きづらさや親との関わりの苦しさから解放されるために心の勉強をされたのではないでしょうか?

もちろん私もその中の一人です。

本屋さんでアドラー心理学や啓発本、はたまた毒親をモチーフにした小説を手に取り、
インターネットで生き辛さについて検索し、
TVの特集で専門用語を知る。

得体の知れない醜い化け物のように感じていた自分が、実は育ってきた家庭環境のせいで歪んでいたことに気づいたときの感動は今でも覚えています。

ああ、私が他人に薄情だったり、否定されると怒り狂ってしまうのも
愛されても愛されても満たされなくて信用できなくて試し行動をしてしまうのも
【愛着障害】のせいなんだ!
【アダルトチルドレン】だからなんだ!

霧が晴れた様でした。


ところがしばらくして、自分について深く知ったはずなのに、ちっとも生きるのが楽にならないのは何故なんだろう?と不思議になります。

希死念慮もあるし、自傷行為もある。
世界で一番自分が大嫌いだし、親のことは怖く憎くて苦しいまま。
怨んで怨んで、過去のことばかり反芻して、
「どうせ私のことなんて誰も理解できない。誰も愛さない」と意固地になる。


あれ?
自分のことを知ったはいいけど、じゃあどうすればいいの?
と、なりませんでしたか?


では、私がまず踏み出した一歩のお話をさせてください。




まず初めに、気付くことから


インターネットの海に首まで浸かり、右往左往して方向を見失っていた私がまず初めに辿り着いた先は、

心理カウンセラー 心屋仁之助さんのブログでした。

この界隈で知らない方は居られないだろう著名な方です。

この時20代の終わりか30才になった位のタイミングだったと思います。
結婚と同時に家を出て、夫の仕事の都合で実家からかなり離れた場所に住んでいました。
小さい娘たち2人の子育てに奮闘中で、心に余裕もありませんでした。

毎日何度もかかってくる母の電話が苦痛で、2ヶ月に一度はあれこれ理由をつけて帰ってこいと言われ、おまけに滞在日数は2週間居ても短いと嫌味を言われる始末。
仕事が忙しかった夫とは母より会う時間が少なかったかもしれません。

孫も自分が思いのままに育てようとする執着、娘が自分の手元に居ない不満、他人である夫への配慮の無さ

誰に言っても理解してもらえず、
「お孫さんが可愛いのよ」
「娘を大事に思ってくれて、いいお母さんじゃない」
「愛されてるのよ。有り難く思わなきゃ」
という言葉に潰れそうでした。



そんなとき出会った心屋さんに、私はのめり込んでいきました。
購入した何冊もの著書やブログの過去記事を読み漁り、内容が理解できなくても、取り敢えず無理やり実践してみたりして。

まさに藁にも縋る思いだったんです。



ある日、心屋さんが

【あなたの人生が今の人生なのは、お母さんが毒親だったせいじゃないよ】

という内容の記事を公開していました。

我々の感覚からすると驚愕じゃないですか?

少なくとも私には信じられなかった。


今まで死ぬほど苦しんできて、幼い頃から自分責めを繰り返して

でもやっと、やっと「毒親育ち」という言葉に出会った。

お母さんとの関係が苦しいのは
お母さんのことを愛せないのは

私のせいじゃない
向こうのせいだ
親のせいだと

気付けたのに。

だってそのせいで「毒親育ち」の私たちは、普通のコミュニケーションが取れない。
不信感が強く、ひとを信じられず、いつも怯えているわけじゃないですか。

なのにその記事にはこう書いてありました。

【あなたは元々そういう人生を歩みたかった。そういう人間になりたかった。苦労したかった。】
【どんな母親に育てられたって、あなたは今のあなただよ】

と。


信じられますか?

私はたまらずコメントを書きました。

【じゃあ私が今までお母さんのせいで苦しんできたことってなんだったんですか?】

という様なことを書いたと思います。

すると心屋さんは、私が母との付き合いの辛さをしたためたブログを読んでくださり

【あなたがお母さんにそうなってほしかったんだ】

と返して下さいました。



 理解できない、理解したくない方もたくさんいると思います。

私は心屋さんの会員ではありませんでしたし、その御縁を頂いて以降は、本やブログを卒業し、新たな自分の【毒親育ち卒業】道へ進みました。

なので、心屋さんからはその気づきひとつを頂いただけです。


でもこの一つの気づきが、その後の私の考え方の支柱を作ったのです。


【私は、どのお母さんに育てられても、今の私】

想像してみてください。
思い描いていた理想のお母さんとの暮らしを。

TVドラマで観るような、
友達の家に居たような、
温かい家庭と笑ってるお母さん


ジュースを零しても、叩かないお母さん
テストの点が誰かより低くても、人格否定してこないお母さん

穀潰し
バカ
グズ
口ばっかり
能無し
うちの子じゃない
きちがい
頭おかしいんじゃないの?
出ていけ
顔も見たくない


毎日言われたこの言葉、一度も言わないお母さんです。



そのお母さんに育てられてたら
そんな家庭で育っていたら


じゃあ私って、どんな人間になってましたか?



私は、私以外の私を、そのとき想像できなかった。

私は、私以外の私にいつもなりたかった。
こうだったらいいな、あんなふうになりたいな。
こんな自分は嫌だ、大嫌い、きえたい

だけど

私以外の私、想像できますか?
それほんとに、「私」ですか?

理想はたくさんあるけれど、その理想を当てはめられるような人間ですか?「私」って



自己肯定感がドン底の「毒親育ち」の「私」には、誰にも愛されない、性格の悪い、卑しい、醜い自分以外想像出来ないのです。


じゃあ「毒親育ち」じゃなければ自己肯定感ドン底じゃなかったはずじゃないですか。
だけど、そんな人は、居ないんです。

この世に「毒親育ち」じゃなかった「私」なんて人は、存在しない。だから想像出来ない。


「私」って、どこまでいっても「私」しかいないんですよね。
そしてそれはなにも、「毒親育ち」だけに限ったことではない。
世の中の人みんなそうです。
犯罪者の子供がみんな不良になるわけじゃないように
貧しい家の子がみんな貧しくなるわけじゃないように

生まれや育ちは人格形成の一部を担うだけで全てを支配出来るわけじゃない。

この

生きづらい
醜い
自己肯定感の低い
自信のない
ひとを愛せない

は、私が選んで、望んで、作ってきた私です。


そのことに、まず、気付く。

これが初めの一歩です。








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