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昭和記念公園が神話世界の入り口になっている。

あまりに出来の良いフィクションは、現実を飲み込みあなたを物語の登場人物にしてしまう。

ヴィルヘルム・シュテルンバーグ























00:プロローグ


これは定職を放棄したぼくらのささやかな抵抗だった。
うららかな日差しが頬をくすぐる平日の昼さがり。高校の同級生とのん気に訪れたのは、都会のオアシス昭和記念公園。
ぼくは、東大和でイワシタは昭島に住んでいるので、そんなふたりのほどよい中間地点が、この立川だ。
金がないぼくらの憩いの施設として、この公園を選んだのに、特別な理由があるわけではなかった。
ただなんとなく、安いし憩えそうだったから選んだのだ。
Suicaにチャージした450円でピピッとゲートを通過する。








ぼくらの目論見は大成功だった。
視界に広がる緑、緑、緑。

のんびりやろう。
木々や人や自然が、ここに集まっている。

噴水とベンチ。
ぼくらのそれぞれの利き手にはオリオンビール。指にはショートピース。

みんなの広場の大ケヤキ。リラックス。リラックス。
うっかりヤッホーなんて叫び出しそうになる。安穏な時間が流れていく、長閑なブレークタイム──まさに都会のオアシス。









ババババババババババ





けたたましい轟音がぼくらの会話を遮る。
見上げると、ヘリコプターが地面スレスレ飛んでいる。すぐ近くに自衛隊の駐屯地があるらしい。プロペラの回転。












キイィィィィィン





突然の耳鳴り。変則的なリズムで、メニエールの音階が蝸牛に響く。変性意識の呼び声に導かれる。

螺旋構造の渦に飲み込まれる。
巡る血液の循環のような降下。

ねじれた円環の先。
そこにあったのは、マジックリアリズムの世界の入口だった。














ぼくらの目の前にあらわれたものは……








「おいおい……一体なんなんだよここは」
どうやら、ぼくらは神話の世界に迷い込んでしまったらしい。





01:昭和記念公園と
立川

立川市と言えば、いまや多摩地域の新たな都と言っても差し支えないだろう。
もともとは吉祥寺がその位置に座していたが、IKEA、ららぽーとなど商業施設の度重なる建造によって、立川の利便性がはるかに向上している。
今でこそ華々しき凱旋を謳歌する立川であるが、その過去は悲惨そのものだった。
戦前は帝都を守るための軍都として、戦後は米軍基地として、翻弄された歴史をもつ。
そんな土地に開園した昭和記念公園は、1983年当初地域住民から猛反対にあっていた。
それにしても、なぜ立川市民は、昭和記念公園の建設に反対していたのだろうか。

■ 帝都防衛の拠点 立川飛行場

立川は、戦前期に、帝都(東京)防衛の拠点として立川飛行場が敷設される。
飛行場の誕生が、歴史の不条理に飲み込まれる悲劇の始まりでもあった。
軍都立川として軍事機能を拡大していく。

■ 戦禍の立川

立川は、軍都であるため防衛の拠点として空襲の標的にされた。
B29の執拗な攻撃により、惨禍に晒される。

■ 米軍基地の立川

立川は、戦争が終わると今度はアメリカ軍によって蹂躙される。
米軍が占拠することになった。
米兵を相手にするための5000人の売春婦たちが、市内を闊歩し朝鮮戦争帰りの米兵に向け、手を叩いたという。
一方、米兵たちは日本人の女性たちを「黄色い便器」と揶揄して笑った。
夜寝静まった時間に米兵が住居に忍び込み強姦を繰り返したという記述も残っている。

■ 安保条約と砂川闘争

日米安全保障条約の締結にともない、アメリカは立川基地の拡張をめぐって、地域住民との間の争いが始まる。約15年にわたり続いた闘争では、地域住民が立ち上がって、米軍に抵抗を続けた。もっとも激化したのは1956年の10月13日。この日、路は血で真っ赤に染まり、多くの血が流れた。

■ 自衛隊による「抜き打ち移駐」と立川

砂川闘争に勝利して、軍用地の拡張を阻止する。
そして、立川基地の返還が約束される。やっと立川に平和が訪れたかのように思われた。つかの間の勝利の安堵だった。
米軍から返還された土地の利用をめぐって、地域住民の中では大学を誘致して学園都市の構想など夢を膨らませていた。そんな構想を練っている最中に自衛隊による「抜き打ちの移駐」が始まった。当時の新聞では、この自衛隊の暴挙を「真珠湾なみの奇襲」と報じた。

■ 昭和記念公園開園に猛反対

そんな中に持ち上がったのがこの昭和記念公園の建設案である。
せっかく勝ち得た用地は、自衛隊に横取りされた。すべては白紙に戻される。

これだけの歴史をもつ地域住民としては、「昭和を記念」するための国営公園の開設に反対する理由もうなづける。天皇と戦争に翻弄され蹂躙され続けたこの街が、昭和を記念したいはずがないのだ。

大きな歴史の渦の中から、昭和記念公園はスタートすることになる。

■参考文献

『立川基地 平和を求め続けた長い道のり』/立川市職員労働組合
『砂川闘争50年 それぞれの思い』/星紀市/けやき出版
『砂川闘争の記録/宮岡政雄/御茶ノ水書房

02:気づけば神話の
世界に迷い込む

「おいおい……一体なんだよここは」
どうやら、ぼくたちは神話の世界に迷い込んでしまったらしい。

昭和記念公園の「こどもの森」という一画に置かれた謎の建造物の数々。
「月の丘」「太陽のピラミッド」「星のピラミッド」──これらが描き出すのは、見えざる力のレイライン。精緻な配置に、背筋が凍る。

そして、驚くべきことに、この場所には古代文明の痕跡が散りばめられている。アステカ文明、マヤ文明──さまざまなモチーフが組み合わさって、神話の世界を構成している。
ここには、何か途方もないものが隠されている。そう直感せずにはいられなかった。

■ 月の丘

ぼくらの前に現れたのは、この祭壇だった。
予告もなく、前触れもなくそこに現れた。名前は「月の丘」。
突如目の前にこんな構造物が現れたら、誰であれ、登りたい!という蠱惑的な誘いに応じざるをえないだろう。
一段一段、踏みしめるように登っていく。
頂に立つと、そこにはこんなものが現れた。

「月?」
「だね」
「月の丘だからか」

要点を絞った会話で、たがいの見ているものを確認し合う。
月に刻まれてるのは太陽の刻印だろうか。クレーター?わからない。
イワシタが、「山門、すげえぞ!」と洩らした。
ふと、振り返るとこんな景色が広がっている。
絶景と言うには頼りないが、それでも祭壇を登りきった達成感があった。

「あれ、よく見てみろ」イワシタが、指を指す。
イワシタの人差し指の先に視線を送ると、広場の先に鋭角な道が続き、木々のスリットがある。その間に、進めと言わんばかりの矢印。寡黙な記号だが、たしかな存在感を放つ記号だ。

「なんかあるな」
「そう、なにかがある」
ぼくらの冒険心に火がついた瞬間だった。

■ 地底の泉

導かれるままに、矢印の先を抜けていくと「地底の泉」があった。
「沼?」
「泉だよ。世界観壊すなバカ(笑)」
「ごめんごめん。あれは泉だね」

矢印の先にあるのは泉かのように思われた。
しかし、さらに奥がある。

「向こう岸にも木々のスリットがあるね」
「行くしかない」

地底の泉の周囲は、円形に道が舗装されている。
あっち側へ行くためにはグルっと回っていかなければいけない。円周軌道を辿っていく。

泉を囲う道には、動物たちのタイルアートが等間隔で埋め込まれている。

ねずみ?
うし?
と、とら……?


勘の良い読者はお気づきかもしれないが、このタイルアートは十二支に登場する動物たちで構成されている。

泉のまわりを取り囲む動物たち……
なにやら、意味ありげなメッセージを置いてる気がしてならない。

ちなみに、猿のタイルアートには分岐路がある。
ひとつは周回路に戻るみち。もうひとつは、遊具が集まる広場。トランポリンはこっち。
人間と猿の分岐路の先にあるのは、子どもたちが遊ぶ遊具。粋な演出だ。

円形の動物たちのタイルアートを確認しながら、歩いた先には、さっきまでぼくらが指差していた対岸に来ていたことに気がつく。
どうやら半周したらしい。

そこにあったのは……

太陽??
突然、イワシタが興奮気味に声を上げる。
「うわぁ……そういうことか!!」
イワシタの視線の先にあったのは……


















■ 太陽のピラミッド

とおくにうっすら見える並々ならぬ存在感を放つ石造り。被造物を思わせる佇まいで鎮座している。
ピラミッドをなんの前情報もなく見つけてしまった最初の現代人は何を思っただろう。ぼくらは熟練の考古学者のような顔つきになっていた。

記憶の奥に沈殿した情報を手繰り寄せる。
「ピ……ピラミッドだ」
ぼくら思わず走り出す。好奇心という純粋な動機から生じた全身の躍動だった。

「登るぞ」
返事は必要がなかった。古代史のロマンに馳せる考古学者のような足取りでぼくたちの闊歩は継続される。足取りは軽やかだった。疲れているはずなのに。

頂上につくと、「太陽のピラミッド」の名の通りの文様が浮かび上がっている。頂上に刻まれた太陽。

このピラミッドに隠された謎はこれだけじゃない。

うっすらと遠くに見える水色は、さきほどまでぼくらがいた「月の丘」の祭壇だ。どうやらあの矢印は、この場所を指しているので間違いないらしい。

「あれはなんだ」の指先の向こう側へいってみると、さきほどまでいた場所との強靭な結びつきを感じさせる。
レイライン上には、「月の丘」と「太陽のピラミッド」が折り重なってる。
まるで天体の運命に位置づけられているかのように、聳え立っていたのだ。

ふっと心地いい風が抜ける。
それは、炎天下のぼくらへのささやかなサービスだった。

■ 星のピラミッド

「太陽のピラミッド」の階段を降ると、木々のスリットが垣間見える。
つぎの行き先が示された。

急斜面になっている芝生道を駆け上がっていく。

三角錐の突起が等間隔に2つ配置されている。
その先にあるのが……

「星のピラミッド」である。
月から始まり、太陽と続き、その先には星。

この時ぼくらは少しだけ不思議な体験をした。
思惑に耽っていると、イワシタが声を上げる。
「あああ!」
しゅるしゅるとロープのような生き物が地面を滑っている。
蛇だった。

アオダイショウ?

蛇は、ぼくらを一瞥すると茂みの中へ姿を消した。
特別な意味を感じられる、神秘的な体験だった。

ところで、日本の民間伝承には、蛇が龍になるなんてものがいくつか残っているらしい。

■ ドラゴンの砂山

閉園時間17時間際に、辿り着いたのは龍の砂場である。
今から考えても、ここには設計者の思惑にまんまと乗せられ、辿り着いた場所だったように思う。

「ドラゴンの砂山」は、4体の龍が上空から飛んでいるイメージでつくられている。

龍の顔の後方には、龍の背が見える。
特徴的な背中のトゲトゲが奥に続いてることがわかるだろう。

ちなみに、ドラゴンの砂山はジブリパークの監督である宮崎吾朗もお気に入りのオブジェだという。

横に並べば、ド迫力。

たぶん、こいつは子どもなので、まだツノや牙が生えていない。
小竜の体内には、メッセージが隠されている。
ぜひ、現地に足を運んでいただきたい。
未来をつくるのは、いつだって次世代の子どもたちなのだ。

歩くことで、五感をつかって楽しむことができる。高いところに登ったら、その先の目的地が決まる。遊びに没入するメカニズムだ。子どもの足だったら、途方もない冒険の思い出として残るに違いない。まるでゲームの登場人物になったかのようなワクワク感があった。

「子どもの時にこんな体験したら強烈に残るだろうなぁ」
「わかるよ。大人でもこんなワクワクしたんだもん」
「今日はいい体験できたな」

03:昭和記念公園と
こどもの森

■ 時代背景

1983年。日本は経済的成長の安定期に突入した。当時の子どもたちは、みんなファミコンに夢中だった。その中でも、「ドラゴンクエスト」シリーズが大流行したという。そして、学習塾ブームが加熱し受験競争が激化する。また、同年4月には昭和記念公園の完成に先駆けて、千葉県浦安市に東京ディズニーランドが開園する。当時の子どもたちにとって、受験と虚構と幻想がなによりも関心の対象だったのだ。

画面に釘付けになり、外で遊ぶことを忘れてしまう子どもたちを心配する声も上がった。子どもたちをどうやって外で遊ばせるか。これが、昭和記念公園構想における、主要なテーマだった。
そんな中で、「こどもの森」の造園に選ばれたのは、造園家高野文彰だった。

■ 造園家高野文彰

今回の昭和記念公園の一画である「こどもの森」について言及するのに、避けて通れないのがこの人物だ。
かれは子どもの目線に立つために、ゲームカセットを大量に買い込み、事務所(高野ランドスケーププランニングコーポレーション)で、社員たちとゲームに夢中になったという。
子どもたちが夢中になっている仮想世界を現実につくり出すというコンセプトから、「こどもの森」構想が立ち上がった。
まさにロールプレイングゲームの主人公になったような設計で、それでいながら自然の景観は保存する、そんな設計だったといえる。
また、昭和記念公園と同年に開業している東京ディズニーランドにも足を運び、その世界観の作り込み方などを学んだのだという。
高野のこの アプローチは、造園という分野に新たな可能性を開いた。
単に美しい景観を作るだけでなく、物語性や体験の質を重視する、新しい公共空間のデザインの先駆けとなったのである。

■参考文献
「ランドスケープの夢」/建築資料研究社

04:意味を見出したくなる仕掛け
物語を見つけたくなる装置

「ランドスケープの夢」の写真

■風

 

はしゃぎ疲れた帰り道。
ぼくらは子どもから大人へ戻っていく。帰り道ではこんな話で持ちきりだった。

「月の丘」から始まり「太陽のピラミッド」、その間には「地底の泉」さらに、そのレイライン上にあるのは「星のピラミッド」。
もしも、これらに意味があるとすればどんな意味があるのだろうか。
ちょっとばかり、ぼくらのつくった妄想ワールドに付き合っていただきたい。

「太陽のピラミッド」の周りに精緻に配置されている盛山は、メキシコの古代遺跡ティオテワカンの「死者の道」を模しているのではないだろう。

引用元:wikipdia

こんなの偶然だと思うかもしれない。
このピラミッドの名前は「太陽のピラミッド」という。そう。「太陽のピラミッド」は、テオティワカン文明の実在する古代遺跡の名称なのだ。

それだけではない。
たとえばこれら写真。

引用元:wikipedea

1枚目の写真は、「地底の泉」で2枚目の写真はマヤ文明の古代遺跡。セノーテ・サグラドという泉だ。この泉は、マヤ文明の生贄文化を象徴しているそうだ。マヤ文明では、セノーテ・サグラドに生贄を沈めていたという。
犠牲は何を象徴するのだろうか。そもそも生きることは誰かの犠牲の上に成り立っている。生命とは、なにかの犠牲があるからこそ存続できるのだ。

ちなみに、テオティワカン文明は、最盛期には20万人ほどの都市として栄えたが、度重なる森林破壊と異民族の侵入、それにともなう内乱によって滅んだという説が有力である。

■水

マヤ文明の神々。
さまざまなモチーフの面影が陽炎のように揺曳する。

上記の写真に映る蛇は、「月の丘」の広場のすぐ近くに佇んでいる。
「こどもの森」のコンセプト的にも、ドラゴンの像が用いられるほうが自然に思えるが、わざわざ蛇のモチーフを持ち出すことには、どんな意味があるだろう。

これは、ククルカンという蛇をモチーフにしているのではないだろうか。
ククルカンとは、マヤ神話に登場する創造主の「羽毛の生えた蛇」という神のことだ。
ククルカンがみつめる先にはあるのは……

時計と広場。
じつは、この広場には仕掛けがある。

時間になるとこの場所は、噴水になる。
広場の中央に位置する岩を中心に水が噴射する。

奥にはどことなくメキシコの骸骨を思わせる洞窟がある……

噴水の周りには、無数のタイルが敷き詰められている。
このタイルには、それぞれ動植物たちが描かれている。

噴水と渦、そのまわりを取り囲む動植物たち。
そんな生命たちの誕生を見守っているのがククルカン。

まさに、ここは生命たちの発生現場というメタファーが込められているんじゃないだろうか。

渦の波状が中央に寄る。
瑞瑞しい息吹と鎮静の滴り。

■火

星のピラミッドには、合計で7つの星が三角柱に刻まれている。
これは一体何を意味するのだろうか。

七つの星といえば、北斗七星を真っ先に思い浮かべる。
北斗七星といえば、普遍的に北の極地に点在するため、地球の北半球で迷った旅人の道しるべとなる。だれもが道に迷わないように。

こどもの森の最深部で昭和記念公園を見守る星のピラミッド。
その姿は、後ろ戸の神と呼ばれる摩多羅神も連想させる。星のピラミッドの背後にあるのは、玉川上水ゲート。
重層的なメタファーが織り込まれている気配がしてならない。

■大地

では、龍が意味するものはなんだろう。

龍はぜんぶで四体いる。
小龍の兄弟(姉妹?)と青と赤の雌雄の龍。
この家族構成(?)は、昭和記念公園ゲートの家族像と対応している。
入口と最深部でこのような対応関係をもたせるのは、おしゃれな映画の常套手段である。
そんな仕掛けを施していても不思議ではない。

そうであるならば、こどもの森に込められた想いは未来への祈りだ。
これから未来をつくっていく子どもたちに向けて、想像力をふくらませて楽しめるように、そんな祈りが込められているのではないだろうか。

05:物語が欠乏
する時代

今、社会には物語が欠乏している。一見するとアニメに漫画に、フィクションの全盛期だと思うかもしれない。しかし、その実態は空疎なものだ。
話題に乗り遅れないよう、ノルマのように作品を消費しているに過ぎない。作品の世界観に没頭するためではなく、単にみんなの「話題」に乗り遅れないための手段として用いられる。
彼らが基軸にしているのはリアルな人間関係で、作品は話題の潤滑油のように消耗されていく。このように、フィクションはリアルに組み込まれ、その本質は失われていく。

秩序と論理から紡がれるアウトプットのみを生産性と呼び、数字に換算されることにしか価値を見出せない社会。
打算と下心の結合のみが取り囲む人間関係の中で、他人と真の物語を共有できない時代。
これは、想像以上に深刻な危機なのだ。

なぜなら、物語を共有することこそが、人間性を養う源泉だからだ。
対話を重ねて、目の前の他者と心を通わせる体験。それが物語を共有することにほかならない。この体験を通じて、我々は自己を拡張し、他者への理解を深める。それは、単なる情報交換とは次元の異なる、魂の交流なのだ。

そして、忘れてはならない。どんな場所にだって、誰かの想いや誰かの意図が込められているのだ。そこには悲しみの連鎖が続いていた歴史や、筆舌に尽くしがたい絶望があるかもしれない。

土地から発せられるメッセージに耳をすませよう。もっと立ち止まろう。合理性の鋭利な刃でばっさり切り落とされてしまう、その前に。

物語に没頭することで、これまでとは違った自分と出会うことができる。それは単なる現実逃避ではない。むしろ、より深い現実との向き合い方を学ぶ過程である。人間性を回復するために物語を誰かと共有するのだ。

06:この世は見かけ
によらずワンダーランド

なにげなく散歩してたら、道端で発見した「なんだあれ!」。
行ってみたい見てみたいと冒険心を炸裂させると、好奇心の連鎖反応がとめどない。

冒険は、いつだって歩くことから始まる。

最初は意のまま、惹かれるままにふらふら歩む。はたからみれば、それは徘徊のようかもしれない。人から見れば、それは些細なことで、ちっぽけな興奮かもしれない。だけど、なにか新しい発見があったり、思いもよらぬ世界の入口が開かれる。きっと、これが自由ってことなんだと思う。

窒息しそうになったら、歩き出してみることから始めよう。

でも、忘れちゃいけないのは土地の想いだ。じぶんが歩く土地には、むかしどんなことがあったのか。そこにはどんな人たちの想いが込められていて、どんな犠牲があるのか。そんな探訪が、土地を歩くということであり、散歩を楽しむことなのだ。

昭和記念公園の「こどもの森」は、一見すると単なる遊び場かもしれない。しかし、その奥には深い物語が眠っている。
軍都として、そして米軍基地として翻弄された立川の歴史。

だけど生まれて来る子どもたちには罪はない。未来は彼らに託すしかないわけだ。子どもたちの未来への希望を込めて作られたこの場所。
ここには、古代文明の叡智から現代の技術まで、人類の物語が凝縮されている。

私たちは今、効率と生産性を重視するあまり、こうした物語を見失いがちだ。
しかし、本当の豊かさは、数字では表せない。
それは、想像力を働かせ、他者と物語を共有し、心を通わせる中にこそある。

「こどもの森」が教えてくれたのは、日常の中に潜む驚きと神秘だ。
月の丘から太陽のピラミッド、そして星のピラミッドへと続く道筋は、ぼくたちの人生の旅路そのものかもしれない。
時に迷い、時に驚き、そして新たな発見に胸を躍らせる。それこそが、生きるということなのだ。

だから、もっと歩こう。もっと見よう。もっと感じよう。そして、もっと想像しよう。私たちの周りには、まだ見ぬ物語がいくつ眠っている。
それらを紡ぎ出し、共有することで、ぼくらははより豊かな人間性を育み、より深いつながりを築くことができる。

宮台真司も言っているように、この世は見かけによらずワンダーランドなのだ。
その扉を開く鍵は、ぼくたちの中にある。
好奇心と想像力という、かけがえのない宝物を手に、新たな冒険に出かけよう。

きっと、思いもよらぬ奇跡が、あなたを待っているはずだから。

07:エピローグ

帰り道。ぼくはなんでこんな質問をしたのだろう。
じぶんでもわからない。けど、これを聞かないわけにはいかなかった。

──お前さ、子どもって育てたい?

長い沈黙のあとで、イワシタは答えた。
「昭和記念公園を歩いて、それも悪くないって思えたんだよね。もちろん金銭的な課題とかクリアしなければいけないことは山積みだけど、それでも、『こどもの森』をじぶんの子どもと歩くのって楽しいだろうなぁって思ったんだよね」

──あ、おなじこと思ってた。やっぱおれらは気が合うな。そのために、おれは #note創作大賞2024 で優勝しなきゃだし、お前はドラマーとしてもっと有名にならなきゃだな。

「「がんばろうぜ!!」」

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