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20年読み続けた名作『蒼穹の昴』

人生、生きていると何かしらある。どうしたらいいのかと不安に押しつぶされそうな瞬間は、誰にも訪れるのではないだろうか。
後から思えば、たいしたことはなかったとか、今となっては笑い話などと言える。けれど渦中にあれば八方塞がりで、いくら周りから言われても本当に素敵な未来が来るのかと勘繰ってしまう。私も昔は2人の小さな子どもを抱えながら、来月ご飯を食べられるのだろうかと毎日思い悩んだ時期もあった。
大げさかもしれないが、苦しいときに本に救われたと思うことは多い。
なかでも浅田次郎先生の『蒼穹の昴』は、何度も読み返した物語である。

舞台は、清国光緒12年(西暦1886年)の冬から始まる。

梁家屯(リアン ジアチュン)の貧しき寡婦の倅、李春雲(リイ チュンユン)よ。
畑もなく鍬もなく、舟もなく網もなく、街道に凍てたる牛馬の糞を拾いて生計となす、卑しきやつがれ、小李(シャオリイ)よ。

『蒼穹の昴 一』より

極貧の少年、李春雲は、星読みの白太太(パイタイタイ)から「汝は必ずや、あまねく天下の財宝を手中に収むるであろう」と予言を受ける。
李春雲(以下:春児=チュンル)は病気の次男、母と妹の玲玲(リンリン)を10歳の幼手ながら養っていた。父と長兄は亡くなり、三男は一旗あげに家を出て行方知れず。次男もやがて息を引き取った。極貧生活の中で受けた予言は、春児の中に希望を生む。
もう1人、白太太から予言を受けた物語に欠かせない人物がいる。春児の長兄と義兄弟の誓いをたてた梁文秀だ。

「梁文秀(リアン ウェンシウ)。汝は長じて殿に昇り、天子様のかたわらにあって天下の政を司ることになろう」

『蒼穹の昴 一』より

遊び人で飲んだくれの文秀は、やがて科挙登第し月日を動かすとも言われる進士となった。
故郷を同じくする2人は、清朝末期を舞台に動乱の歴史の中を歩んでいく。
清朝末期といえば、昔公開された映画『ラストエンペラー』の時代だ。列国の干渉を受け、政変や内乱が絶えない。『蒼穹の昴』では歴史上の人物も多く登場し、史実に沿って物語が進む。そのため、春児も梁文秀も実在したのではないかと思うほどだ。

作中では、没法子(メイファーヅ)という言葉が度々登場する。仕方がない、どうしようもないという意味だ。
春児は、どうしようもない極貧生活を抜け出すために自ら宦官になった。故郷を捨て、幼い妹を捨てて都に出た。
春児は「没法子と言ってはいけない」と何度も言う。予言を受けたからといって、待っていてはいけないのだ。どうしようもないと口にすると、本当にどうしようもなくなってしまう。思考が停止してしてしまう。人の力をもてば変えられぬ運命などないと、自らの人生を切り開くために、苦難の道を突き進んだ。
他の登場人物も、激動の時代の中を抗いながら懸命に生きる様子が描かれている。
誰もが泣いているし、叫びながら生きていた。

私自身「仕方ない」とあきらめてきたことも多々ある。しかも、ときには人のせいにしたり時代のせいにしたりした。
けれど春児の生き方は、困難な状況でも前を向く大切さを教えてくれる。今苦しくても、いつかは「あの頃があったから」とか振り返れる日は来るだろう。「きっと未来は笑っているはずだ」と信じれば、乗り越える力も生まれるのではないだろうか。

『蒼穹の昴』を読む度に、遠い歴史の中と現実を行き来する。泣きながらも胸に広がるのは、哀しいやさしさと温かさだ。


「蒼穹の昴」シリーズは、第六部まで出版されています。
どれから読んでもおもしろいですが、やっぱり『蒼穹の昴』から読んでいただきたいです!
コラム#044

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