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揺り戻し

あんまり聞きなれない 言葉 
だと 思う

私も あまり 詳しくは 知らない

ただ 何度か あった ことは
わかった
(あー!あれか!!って気づいたってことかな)

例えば 自分が 
これしたい!! と思って
行動 を すると
まわりから ストップ が かかる イメージ

私が 〇〇やろうと 思うんだ! というと
まわりから ほんとにやるの? sayuちゃんはまだムリじゃない?
とか

イケる! って 思って
やり始めて 急に 心配や 不安に なるとか

今現在 進行形で 起こっている
ある 学びのチームに いるのだけど
どうしても 歩みの ペースが
合わなく なって来ていた
でも チームだから どうにか
合わせてみたり 
引っ張ってみたり

でも どうしても 進まない

振り切って 突っ走ろうと すると
なんで? なんで? どこ行くの? って

いつもなら
戻ったり 違う方法 だったり
諦めたり してたけど
今回は 踏ん張って みている
自分より 立場が 上の人も いるけど
そこにも 気を 使わないで いる
何なら もう そのまま
終わっても いいとも 思ってる

学ぶ ための 金額は
大きかったけど
その 大きさに 触れたのも 自分

チームだから 仲間だから
って 思いも
今回は 
チームだけど 仲間だけど
に 変わった

だからと 言って チームを
捨てる という 感覚 では なく
自分の 在り方 を 
見直す って 感じ

やり方 や
考え方 は
時間と ともに 変わる
環境だって 変わる
良いと 思っていたものが
受け付けなく なることも ある

それを 押し付けること なく
それを 引き留めること なく

私は たくさんの
ジャンプ台を 借りてきた
みんな 本当に 快く
私も 今回 ジャンプ台 に なったことが
あった
とても 痛かった
私が 借りてきた ジャンプ台 達も
痛かった のだろう と
思った
でも  ジャンプ台 達は
痛くも ない って
sayuちゃんが 軽々 跳ぶのは 痛くない って
この意味が 
自分が ジャンプ台に なって
今までよりも わかるように なった

痛いジャンプ台は 自己犠牲に なってしまう けど
跳ぼうと する 意思の ある 人に
踏まれる ジャンプ台は 全然 痛くない ことを 
知った

痛くない ジャンプ台 は 
お互いが
とてつもなく ジャンプ 出来る

痛い ジャンプ台は
お互い に
痛みが 残って アザになる

私も これからも
たくさんの ジャンプ台を 借りる
その時に
痛みの ない 跳び方を 選んで 行こうと
思う

実は ジャンプすること よりも
戻る方が
暗闇だったり
知ってる痛みを 再度 味わったり
することも あったり する


私は 
大切な人と
たくさん ジャンプ して
たくさん の
景色を みたいんだ

とても 暖かい ものを






恋愛・子育て・パートナーシップ・自分の心の在りか 小さなたくさんのお話。 ふんわり・ほっこり 流れる時間をともに。