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2020年4月11日の『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』

パン屋、ミニスーパー店員、専業主婦、タクシー運転手、介護士、留学生、馬の調教師、葬儀社スタッフ……コロナ禍で働く60職種・77人の2020年4月の日記を集めた『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』。
このnoteでは、7/9から7/24まで毎日3名ずつの日記を、「#3ヶ月前のわたしたち」として本書より抜粋します。まだまだ続くコロナとの闘い、ぜひ記憶と照らし合わせてお読みください。

【コロナ年表】四月一一日(土)
世界の死者が一〇万人を突破。
皇宮警察の護衛官一人の感染を発表。天皇皇后両陛下などへの接触は長期間ないとのこと。

水族館職員

❖ 浅川弘/四九歳/静岡県
休館になっても生き物の生活は続く。ショーがなくなりイルカは暇そう。夏が来る前に収束することを願い、将来に思いを馳せる。

4月11日(土)
 今日から休館となった。
 私は古巣の飼育課の手伝いで、餌を切ったり給餌に行ったりと、久しぶりの飼育の仕事は楽しかった。
 ショーやふれあいプログラムの無くなった水族館の中で、イルカ達はのんびりというより、とても暇そうに見えた。
 お客様の歓声の中、イルカ達が元気よく飛び回る日常に、いつ頃戻るのだろう。一向に出口の明かりが見えてこないトンネルの中にいる感じだ。小さくてもいい、何かしらの明かりが欲しい日々が続いている。

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ピアノ講師

❖ 大峰真衣 /三〇歳/千葉県
フリーランスのため普段は演奏をしたり、自宅で教えたり、教室で教えたり。緊急事態宣言後は完全休業、収入なし。貯金を切り崩す。

4月11日(土)
 完全休業して、もう10日が経つ。
 仕事で溜まった疲れが抜け、人間らしい生で健全な自律神経と精神の安定を取り戻してくると、まともにピアノに触れていない自分に段々と嫌気が差してきた。
 1年半前、安定的な収入源としてピアノ講師として働き出すと同時に、パートナーと同棲するために実家を出た。だが収入も貯金も雀の涙だった当時の私には、家賃の嵩む防音の部屋を借りてグランドピアノを置くだなんて、夢のまた夢。絶対にヘッドフォンを外さない約束で何とか許可の下りた電子ピアノを普通のアパートの1室に置くことで、その時は我慢した。それでも、電子ピアノとグランドピアノには、ポケベルと最新PCくらいの差がある。だからたくさん仕事を入れて、練習は可能な限り仕事先のグランドピアノですることにしていた。
 まさかその命綱が、全てコロナに奪われようとは。
 休業中で時間だけは膨大にあるから、一応自宅の電子ピアノには向かう。しかし、1日に何時間も電子ピアノを触っていれば、無意識に電子ピアノのための弾き方に変わってしまう。それでいざグランドピアノを弾いたら調子が狂っていたなんてことは、既に経験済みだ。その変な癖を抜くのにかかる手間を思うと、今はレパートリーを楽曲分析し直したり、新曲の譜読みをするくらいに留めておいた方がずっとマシだった。
 しかし本当のプロならば、1日中練習していられるこの期間にこそ、誰よりも努力し、より高みを目指して自分の技に磨きをかけるものだ。少なくとも私はそう思うし、そうありたいと思って生きてきた。だが、今の私の有様はなんだ。こんなことをしているうちに、きっと他の音楽家たちはどんどん腕を上げて、事態収束と共にばんばん演奏会を開くはずだ。その中で、私は取り残される。憧れの音楽家とは一層差が開き、今まで無関心だった相手にも抜かされて、私だけが腕を落として置いていかれるのだろう。ありえない。そんな自分は、許せない。
 我慢できずに、母に連絡を取った。
「グランドピアノ弾きに行ってもいいですか」
 これまでウイルスを持ち込まないようにと県を跨いだ先の実家は頼らずにいたけれど、もう限界だった。
 返事は早かった。
「気にしなくて大丈夫だから、いつでもおいで。車で迎えにいくよ」
 断られるだろうと思っていたが意外にもあっさりと受け入れられ、母に私の心境を見透かされた気がした。とても救われた。
 “ありがとうございます”とメッセージを打ちながら、私は固く誓った。
 絶対に防音の家に住めるくらい稼いで、自宅にグランドピアノを入れてやる、と。

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旅行会社社員

❖ 青木麦生/四一歳/東京都
勤め先では主にイタリア旅行を取り扱っているため、三月の時点でキャンセルが相次いだ。四月から自宅待機で、ほぼ育休状態となる。

四月十一日(土)
 イタリアの外出禁止措置が五月三日まで延長された。「イタリア旅行専門店」という看板を掲げているため、イタリアの状況は仕事に大きな影響を及ぼす。十日発表の感染者数の累計は十四万七千五百七十七人、死者数は一万八千八百四十九人。死者は毎日約五百人のペースで増加。留学していた時にお世話になった八百屋のマンマは元気だろうか。この数字の一つ一つに人生があると思うと胸が痛む。
 航空券の予約端末をチェックすると、ヴェネツィア滞在中の留学生の帰国便が運休になっていた。通常は航空会社が代替便を用意するのだが、もはや対応が追いついておらず放置されていたので、代替便の候補を探して本人の意向を伺う。
 期間限定で公開されていたイタリアの作家パオロ・ジョルダーノの『コロナの時代の僕ら』を読む。作中でイタリアの感染者数が二千人に満たなかった時、友人たちが「一週間も過ぎたころにはすっかり解決してるよ」などと口々に言っていたという描写があった。そう、私自身もそう思っていた。新型コロナウイルスは中国のもの、という認識から抜け出せずにいたのだ。二月まではむしろ、ヨーロッパではマスクをしていると重症患者という扱いを受けるので、現地に行ったら外しておいた方がいいと案内していたほどだ。まさかイタリアが、という思いを拭いきれないまま自分の想像力を遥かに超えるスピードで爆発的に感染が広がり、三月九日にはイタリア全土がロックダウン。それからは、電話を取れば旅行のキャンセルという状態が続き、急なフライトの運休やキャンセルチャージに対するクレームなどに追われているうちに三月が終わり、空白だけが残った。
 作者は、いずれ訪れる流行の終焉とともに風化し忘れ去られていく記憶を留めておくために、忘れたくない物事のリストを作ることを推奨していた。私にとっては次のようなことになるだろう。

・二月末の段階で三月十日発の旅行の行き先をイタリアではなくスペインに変更したいと言われた時、いつものようにフライトやホテルの空き状況を調べて見積もりを提案した。行くのはやめたほうがいいと助言することなど、全く思いつかなかった。
・キャンセルの連絡を受ける度に表面上はお客様の安全のためには仕方ないと装いつつも売上が減って今までの労力が無に帰すことを苦々しく思っていた。
・キャンセルになったお客様がSNSでわざわざ会社のことを紹介してくれた。旅行会社も苦しい中で誠実な対応をしてくれたので、次回行くときにはまた利用したいと書いてあり、涙が出るほど嬉しかった。

 嬉しかったことも自分の心の醜い部分も、しっかり覚えていなければならない。

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(すべて『仕事本 わたしたちの緊急事態日記』より抜粋)



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