文豪と〆切 ④夏目漱石「だれか代作が頼みたい位だ。」
夏目漱石から松本清張、村上春樹、そして西加奈子まで90人の書き手による悶絶と歓喜の〆切話(エッセイ、日記、手紙など)94篇を収録したアンソロジー『〆切本』、続く『〆切本2』から、文豪の作品を13篇、お届けします。
師走の忙しさを一時忘れさせる、泣けて笑えてためになる(?)〆切エンターテイメントをお楽しみください。
イラスト:堀道広
手紙/はがき 明治三十八年
十二月三日(日) 高浜虚子 宛〔手紙〕
拝復
十四日にしめ切ると仰せあるが十四日には六づかしいですよ。十七日が日曜だから十七八日にはなりませう。さう急いでも詩の神が承知しませんからね。(此一句詩人調)とにかく出来ないですよ。今日から帝文をかきかけたが詩神処ではない天神様も見放したと見えて少しもかけない。いやになった。是を此週中にどうあってもかたづける。夫からあとの一週間で猫をかたづけるんです。いざとなればいや応なしにやつゝけます。何の蚊のと申すのは未だ贅沢を云ふ余地があるからです。桂月が猫を評して稚気を免かれず抔と申して居る恰も自分の方が漱石先生より経験のある老成人の様な口調を使ひます。アハヽヽヽ。桂月程稚気のある安物をかく者は天下にないぢやありませんか。
困つた男だ。ある人云ふ、漱石は幻影の盾や薤露行(かいろこう)になると余程苦心をするそうだが猫は自由自在に出来るさうだ夫だから漱石は喜劇が性に合つて居るのだと。詩を作る方が手紙をかくより手間のかゝるのは無論じやありませんか。虚子君はそう御思ひになりませんか。薤露行抔(かいろこうなど)の一頁は猫の五頁位と同じ労力がかかるのは当然です。適不適の論じやない。二階を建てるのは驚きましたね。明治四十八年には三階を建て五十八年に四階を建てゝ行くと死ぬ迄には余程建ちます。新宅開きには呼んで下さい。僕先達て赤坂へ出張して寒月君と芸者をあげました。芸者がすきになるには余程修業が入る能よりもむずかしい。今後の文章会はひまがあれば行くもし草稿が出来ん様なら御免を蒙る。 以上頓首
十二月三日 金
虚子先生
十二月十一日(月) 高浜虚子 宛〔はがき〕
時間がないので已(やむ)を得ず今日学校をやすんで帝文の方をかきあげました。是は六十四枚ばかり。実はもつとかゝんといけないが時が出ないからあとを省略しました。それで頭のかつた変物が出来ました。明年御批評を願ひます。猫は明日から奮発してかくんですが、かうなると苦しくなりますよ。だれか代作が頼みたい位だ。然し十七八日までにはあげます。君と活版屋に口をあけさしては済まない。
夏目金之助
「文士の生活」(一部抜粋) 夏目漱石
執筆する時間は別にきまりが無い。朝の事もあるし、午後や晩の事もある。新聞の小説は毎日一回づゝ書く。書き溜めて置くと、どうもよく出来ぬ。矢張一日一回で筆を止めて、後は明日まで頭を休めて置いた方が、よく出来さうに思ふ。一気呵成と云ふやうな書き方はしない。一回書くのに大抵三四時間もかゝる。然し時に依ると、朝から夜までかゝつて、それでも一回の出来上らぬ事もある。時間が十分にあると思ふと、矢張り長時間かゝる。午前中きり時間が無いと思つてかゝる時には、又其の切り詰めた時間で出来る。
障子に日影の射した処で書くのが一番いゝが、此家ではそんな事が出来ぬから、時に日の当る縁側に机を持ち出して、頭から日光を浴びながら筆を取る事もある。余り暑くなると、麦藁帽子を被つて書くやうな事もある。かうして書くと、よく出来るやうである。凡て明るい処がよい。
読書と創作
どうも閑がなくて、読書がされなくて困つてゐる。新聞社の小説を書いてゐ間は、忙しくて、勿論読んで居られず、それを漸つと書いて了ふと、今度は、それまで更に手を着けずに放擲(うっちゃ)つて置いた、西洋の雑誌三四種に、日本の雑誌もあり、その他外国に注文して置いた書物も来てゐるから、それも読んで見たいと思ふし、その間には若い人達が書いたものを持つて来てこれを読んで呉れよとか、批評せよとか言つて来るし書信の往復もせなければならず、且つ来客への応対もあり、それは随分忙しい。
人は、あゝして家に許(ばか)り閉ぢ籠つてゐるのだから、定めし閑だらうと思ふかも知れないが、如何して其那(そんな)訳ではない。私は、学校に出てゐる時の方が、今より来客も少し、余程閑であつた。
兎に角恁麼風(とにかくこんなふう)で致方がないから、その間々の暇を利用して、読書するやうにはしてゐるが、実際余り読めなくつて困つてゐる。
それで、近頃読んでゐる物は、無論西洋物許(ばか)りであるが、それも小説のみに限らず、一体、私は何種の書物でも、読むといふことは好きであるから、倫理、心理、社会学、哲学、絵画に関する書物なども、好んで読むやうにはしてゐるが、何れかと云へば、私は朝は遅し、夜は早く床に就く方であるから、丁度来客もなく、読書するに尤も都合の好い―其様な夜は、今度は自分の身体が許さぬといふやうなわけで、無論横になれば、直ぐ眠つて了うから、床の中で本を見るといふやうなことも更になく、全く私は読書する暇は僅かしかない。
創作の方は、書かなければならぬといふ義務があれば、筆を執る気にもなるも、筆をとれば多少の感興も湧いて来ると云ふ丈(だ)けで、非常の興味も感じなければ又特に非常な苦しみも感ぜない。
書き始むると、筆は早くもなし、遅くもなし、先づ普通といふところであらう、原稿は一度書いたまゝで後にテニヲハの訂正をする位のもの、時間は、夜でも朝でも昼でも、別に制限はないが、何時にしても、筆を執つてゐる間は、相応な苦しみはある。併し私は、書き始めると、殊更ら勿体をつけて、態と筆を遅らすと云ふやうなことは断じてせない。
夏目漱石(なつめ・そうせき)
1867年生まれ。小説家、英文学者。大学時代に正岡子規と出会い、俳句を学ぶ。38才で『吾輩は猫である』がヒット、以後多くの名作を世に残す。本書の書簡やエッセイからは、室内で麦藁帽をかぶって執筆するお茶目な姿や、活版屋を待たせまいと執筆にいそしむ誠実な性格が垣間見える。1916年没。
*「文士の生活」ほか 一部抜粋
『漱石全集 第二十五巻』/『漱石全集 第二十二巻』岩波書店
▼【3万部突破!】なぜか勇気がわいてくる。『〆切本』
「かんにんしてくれ給へ どうしても書けないんだ……」
「鉛筆を何本も削ってばかりいる」
追いつめられて苦しんだはずなのに、いつのまにか叱咤激励して引っ張ってくれる……〆切とは、じつにあまのじゃくで不思議な存在である。夏目漱石から松本清張、村上春樹、そして西加奈子まで90人の書き手による悶絶と歓喜の〆切話94篇を収録。泣けて笑えて役立つ、人生の〆切エンターテイメント!
▼【発売即重版!】今度は泣いた『〆切本2』
「やっぱりサラリーマンのままでいればよかったなア」
あの怪物がかえってきた!作家と〆切のアンソロジー待望の第2弾。非情なる編集者の催促、絶え間ない臀部の痛み、よぎる幻覚と、猛猿からの攻撃をくぐり抜け〆切と戦った先に、待っているはずの家族は仏か鬼か。バルザックからさくらももこ、川上未映子まで、それでも筆を執り続ける作家たちによる、勇気と慟哭の80篇。今回は前回より遅い…
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