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次郞長一家解散の衝撃とその理由/町田康
【第63話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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「これからはバラバラで行こう」
身受山鎌太郎の家で次郞長がそう言った時、一同はのけぞった。
まさかそんなことを次郞長が言うとは夢にも思っておらなかったからである。だから最初は戯談(じょうだん)かと思い、みなゲラゲラ笑って、
「また、親分がくだらねぇ戯談を言ってるよ。デーテー親分は戯談がヘタクソなんだよな」
など言っていた。だが次郞長が硬い表情を崩さず、
「本気(マジ)だ」
と言うのを聞き、ようやっと静かになった。重い沈黙を破って口を切ったのは乾分頭の大政である。大政は言った。
「一体全体、どういう訳で。私たちにはさっぱりわからないのですが」
それを聞いて次郞長は暫くの間、黙っていたがやがて口を開いて言った。
「見受山はいい男だなあ」
「ええ、私たちも随分とよくしていただきました」
そう言いながら大政は次郞長の心中を直ちに察知した。
大政は思った。
自分たちがこのように集団で移動していれば、行った先の親分たちも大変な負担で、見受山鎌太郎のような好い親分なら、こうして快く面倒を見てくれるが、ケチな親分ならば、どうしてもいい顔をしない。
そう言えば次郞長一家だって、かつては八尾ヶ嶽宗八といった保下田の久六が元相撲取りの大飯食らいを引き連れて十何人で転がり込んできた時、姐さんがたいそう苦労した。自分の着物やなんかを曲げて米代・薪代を工面した。
勿論、東海道は三河、尾張、それから伊勢の方面には兄弟分、親戚も多く、大人数でもなんとかなるが、街道筋にはお上の手が回っていて危なくて近づけない。ならば上方に行くしかねぇが、これだけの人数で一宿一飯の世話になる、ってのも難しい。
そのような考えた大政は、
「わかりました。親分」
と言い、ブツブツ文句を言う乾分達を説得した。
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