【出版記念コメント】『満天の花』を書いた理由
今年4月末刊行『満天の花』の発売を記念して、著者である佐川光晴先生よりコメントをお寄せいただきました。タイトルは「『満天の花』を書いた理由」です。佐川先生がどうやってこの物語を生み出したのか、物語を描くまでの過程など、ぜひ本書と併せてお楽しみください。
『満天の花』を書いた理由
勝海舟にからめて、スケールの大きな活劇を書こう。勝と言えば、咸臨丸。その咸臨丸に、日の丸を揚げる。侵略戦争のかげがこれっぽっちも差さない日の丸を翩翻(へんぽん)とひるがえした咸臨丸に勝と共に乗るのは青い目の少女だ。出島のオランダ商館員と、丸山遊郭の遊女との間に生まれた「花」はオランダ語と英語が話せて、読み書きもできる。その花が、海軍伝習で長崎にやってきた勝に見いだされて専属の通詞(通訳)となり、疾風怒濤の幕末を駆け抜けるのだ。やがてロシア語も覚える花以外は実在の人物たち、歴史を曲げることもしない。
北海道新聞・東京中日新聞・西日本新聞の新聞三社連合夕刊紙での小説連載の依頼を受けた直後から、私は猛烈な興奮状態となり、10日とたたずに大まかな構想ができあがった。最短でも1年間はお願いしたいとのことだから、元手と時間をたっぷりかけた仕事ができる。その日の回を読み終えた新聞の読者が翌日の午後を待ちかねる、ワクワクする物語を書こう。
一気呵成に長編の構想が立ったのは、私がかねてより疑問を抱いていたからだ。「幕末の日本は一歩間違えば西洋列強の植民地になっていた」と言われるが、それは具体的にどれほどの危機だったのか。さらに詳しく問えば、これは私が北大生だったこととも関係しているのだが、かつて「蝦夷地」と呼ばれ、明治になって「北海道」と改称された広大な島が一片たりとも異国に獲られなかったのは何故なのか。函館や小樽や稚内が、シンガポールのように植民地とされたり、香港やマカオのように割譲される憂き目に陥らなかったのはどうしてなのかという疑問である。
その後に『勝海舟と幕末外交』(上垣外憲一著 中公文庫)を読んで、疑問はおおよそ解消した。もっとも危なかったのは対馬であり、危うくロシアかイギリスに獲られるところだった。しかし1861年におきた「ポサドニック号事件」でのロシアの暴挙は広く知られてはいない。その2年前に、やはりロシアが樺太(=サハリン)全島を脅し獲ろうとして9隻の大艦隊で江戸湾に襲来した事件もほとんど知られていないが、いずれの解決にも海舟勝麟太郎が大きな役割を果たしている。勝の本領は交渉力であり、それは4年間滞在した長崎の地で鍛えられた。その勝の片腕として花を配して、数々の談判で活躍させる。数限りなく小説に描かれてきた幕末だが、外交関係を主軸に据える作品を書き加える意味はある。
唐仁原教久先生の「画」に励まされ、支えられての1年3ヵ月、370回に及ぶ連載は夢のように過ぎた。「最初の2回をいただいたとき、これほどのテイストで長丁場はきついんじゃないかと心配したんです」と担当者が言っていたとおり、読者は毎回工夫が凝らされた、精緻で鮮やかな「画」に見入っていたのではないかと思う。
ただし単行本では「画」に頼れない。しかも1回ずつ読み切れるように書いた物語を続けて読めるようにほどき、結び直すのは、思っていた以上に骨の折れる作業だった。改稿は数度に及び、新たなエピソードも加わった。そして、このたび、カワタアキナさんによる装画、鈴木成一デザイン室による装幀で『満天の花』は世に出ることになった。データ画像で見ても素晴らしいが、実際の本はさらに素晴らしい。初めての方はもちろん、新聞連載で読んでいる方も、花や勝との再会を楽しんでいただきたい。
『満天の花』
著者:佐川光晴
装幀:鈴木成一デザイン室
定価:本体2300円+税
四六判上製/552ページ
2021年4月末発売
978-4-86528-026-5 C0093