川崎の馬定/町田康
弘化元年の暮、次郞長は遠州の森の五郎親分の賭場に遊びに行った。森の五郎はいい人で、やくざ社会に人望はあったが四囲を山梨の巳之助、都田の源八《げんぱ》、相楽の富五郎といった有力な親分に囲まれて勢力を伸ばせないでいる弱小の親分であった。
だけど森というところは太田川の畔、火伏せの神「秋葉山」へ通じる宿場町で、なかなかに賑わっている。だから賭場も立派なものだ。黒光りするような立派な家に、金持の旦那が駕籠で乗りつけてくる。大勢の若い者が出てキビキビ働いている。
「うーん。いつ来ても繁昌、けっこうなことじゃネーカ」
次郞長が呟いていると顔見知りの若い者が、
「こりゃあ、こりゃあ、清水の兄哥、よく来たネー。さ、さ、お上がんなさい」
と声をかける。
「お、邪魔するで」
「どーぞ、どーぞ」
と狭い段ばしごを二階へトントントン。上がっていくと、二階座敷を二間、ぶち抜いて大きないたずらができている。
手前に帳場。二間ぶち抜いた真ん中に疊を敷いてこれの上に白い布が敷いてある。これを「盆」と謂った。その疊の両側にお客がいた。真ん中あたりに骰子と紙を貼った小さな籠を持った男がいた。これは「壺振り」である。その向かい側に、盆の進行係のような男が居り、これを「中盆」と謂った。
「ちょっとごめなさい」
そう言って次郞長、盆の隅っこに座り、二、三番、勝負の成り行きを見て、その後、自分も張り始めた。
次郞長はイカサマの名手であった。細工をした骰子を使ったり、ごく細い、動物の毛のようなものを使って思うがままに目を出し、なにも知らない客から金を巻き上げるのである。
次郞長はいつしかそんな技術も身につけていたのである。
だから。盆の流れ、どの客が勝っているか、負けが込んで熱くなっているか、それを観察する中盆の目配せや身のこなし、などをちょいと見れば、壺振りが次は丁の目を出そうとしているか、半の目を出そうとしているかは、ほぼ予測が付いた。
だが勝負は時の運。それでも負けるときがある。なぜなら壺振りとて百発百中ではないからである。そのようにままならぬ時があるから、思うままに目と出たときの達成感が感じられる。
「博奕は色恋と同じよ」
次郞長はよくそんなことを言った。意のままにならぬからこそ相手に執着するのが恋愛だとすれば、賭博も恋愛も同じことなのである。それを言うとき、次郞長の頭の中にはいったい誰の姿が浮かんでいたのであろうか。
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