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【試し読み】毬矢まりえ・森山恵姉妹訳「源氏物語 A・ウェイリー版」より「桐壺」帖

2024年9月、NHK「100分de名著」にウェイリー版源氏物語が取り上げられました!
放送を記念して、毬矢まりえ・森山恵姉妹訳「源氏物語 A・ウェイリー版」第1巻より、「桐壺」帖の冒頭を公開します。

【書籍概要】
竹宮惠子先生も推薦。源氏物語はこんなにおもしろかった!
胸を焦がす恋の喜び、愛ゆえの嫉妬、策謀渦巻く結婚、運命の無常。
1000年のときを超えて通用する生き生きとした人物描写と、巧みなストーリーテリング。
アーサー・ウェイリーの工夫をこらした名訳を現代日本語に「らせん訳」。源氏物語のエッセンスをダイレクトに伝える、こころを揺さぶられる決定版!
源氏物語こんなにも笑えて泣けて、感動する物語だった!

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「Kiritsubo キリツボ」

いつの時代のことでしたか、あるエンペラーの宮廷での物語でございます[原註1]。

ワードローブのレディ(更衣)、ベッドチェンバーのレディ(女御)など、後宮にはそれはそれは数多くの女性が仕えておりました。そのなかに一人、エンペラーのご寵愛(ちょうあい)を一身に集める女性がいました。その人は侍女の中では低い身分でしたので、成り上がり女とさげすまれ、妬まれます。あんな女に夢をつぶされるとは。わたしこそと大貴婦人(グレート・レディーズ)たちの誰もが心を燃やしていたのです。
 ましてや同じような身分だった仲間の侍女たちは、一躍、引き立てられた彼女を許せません。揺るぎない寵姫(ちょうき)の地位を得たとはいえ、彼女は妬み、そねみに曝(さら)されます。心痛で憔悴し、やがて里に下がっていることが多くなりました。病気がちで鬱(ふさ)ぎこむ彼女に、エンペラーの熱は冷めるどころか、ますます彼女に溺れ、たしなめる周囲の声にもいっさい耳を貸しません。そのことは次第に国中の噂となっていきました。
側近の大貴族や廷臣たちさえ、ご寵愛がすぎる、と眉を顰(ひそ)めます。海の向こうの国での政変や暴動もはじまりは、こんなことからだったなどとひそひそ囁(ささや)き合うのでした。国民からも不満が出はじめます。ミン・ホワン(玄宗)皇帝[原註2]の恋人、ヤン・クウェイフェイ(楊貴妃)のことをいう者も出てくる始末。けれど不満が燻(くすぶ)りつつも、エンペラーの威光と寵愛は動かしがたく、表立って彼女を叩く人はいませんでした。
彼女の父君はパレスの顧問官(ダイナゴン)でしたが、すでに亡くなっていました。ひところはかなりの地位にあった人物。母君もその誇りを胸に、両親も揃い、栄華を極める令嬢たちにも負けぬよう、苦しい日々の中でもできる限りのことをして育てたのです。後ろ盾となる立派な後見人がいれば、どれだけ助けになったでしょう。けれど残念ながら、母君も孤立無援。なにかあっても彼女には頼れる人も相談する人もいないのです。心細い限りでした。

ともあれ、かの娘の話に戻りましょう。
やがて彼女は、幼いプリンスを生み落としました。前世から、きっと深い繋がりがあったのでしょう。国中を見渡しても比べるもののない、輝くような男御子です。エンペラー・桐壺(キリツボ)は、子どものお目通りを、今か今かと待ちかねておられましたが[原註3]、ついに宮中でのご対面のときが来ました。その子は噂に違わぬ美しさです。
エンペラーの第一(ファースト)プリンスは、右大臣の娘、レディ・弘徽殿(コキデン)の皇子。ゆくゆくは皇太子になると目され、みなにかしずかれていました。が残念ながら、このたびご誕生の皇子ほどの器量ではありません。加えてエンペラーの彼女へのあの絶大なるご寵愛。エンペラーは心中、このプリンスこそ我が跡継ぎ、と思うのです。けれども無念なことに、どれほど愛そうとも、どれほどその人にグレートレディの気品があろうとも、彼女はパレスのエンペラーに仕えるほかのレディたちより、低い身分なのです。それですのに陛下は、饗宴(きょうえん)のときだけでなく、重要な国務のときもいつもお側に置きますからたいへんな懸念を呼ぶのです。朝お目覚めになっても彼女を離さず、部屋にも帰しません。いつの間にか世に言う「片時も離れぬ寵姫」となっていたのです。
これを見たコキデンは、このままではあのプリンスが次代のエンペラーの控えるイースタン・パレスに上げられ[原註4]皇太子になってしまう、なんとかせねば、と焦ります。とはいえ自分の優位は変わらないはず。これまで、自分こそ誠実に愛され、皇子を何人も生んできたのです。エンペラー・キリツボのほうでは、コキデンが責めたてなければ、いまのままで何の不足もないはずでした。
こうして寵姫は、彼女を貶めようとする人たちに囲まれ、エンペラーのご寵愛を受けて幸せであるはずなのに、辛いことばかりなのでした。
彼女の住まいはキリツボと呼ばれる、本殿から離れたウイングにありました。ですから、陛下の部屋へお呼びがあると、他のレディたちのドアの前を、幾つも通らなくてはなりません。これは女たちの神経を逆なでします。それも頻繁な行き来。妨害して困らせようと、渡り橋や廊下のあちこちに仕掛けをします。また不浄なものが撒いてあって、お付きの侍女のドレスの裾が汚されてしまうこともありました[原註5]。あるときなど、廊下のドアに鍵が掛かって閉め出され、お気の毒なことに前にも後ろにも進めなくなってしまったのです。エンペラーは、寵姫がこのような毎日のいじめに、神経をすり減らしているのを見かね、近くの後涼殿(コウロウデン)へ引っ越させました。けれどもそのことでワードローブのレディのチーフが他の部屋に追いやられたのです。事態は良くなるどころか、怒りに燃える新たな敵を、もう一人、生んだだけでした。

さて、ヤング・プリンスは三歳になりました。
無事の成長を祝うズボンの儀式、袴着[訳註1]は、皇太子にも負けないほど盛大に行われました。豪華な贈りものが、皇室の宝物殿(トレジャリー)や納殿(トリビュート・ハウス)から溢れ出ました。これまた多くの非難を浴びたものの、その敵意はプリンス本人には及びません。ますます輝く美しさ、愛らしい性格。会う人を、ことごとく魅了したのです。世慣れた気むずかしい者であっても、これほどの皇子が頽廃の末世に誕生したとは、と感嘆せずにはいられませんでした。
その年の夏、キリツボのレディは加減が悪くなりました。しばらく里へ帰らせてください、とお願いするのですが、聞き届けられません。そのまま一年が過ぎました。何度願い出ても、エンペラーは「もうしばらく、様子を見よう」とおっしゃるのみ。
日に日にレディの容体は悪化します。ついに五、六日ですっかり衰弱しますので、母君は、どうか娘をお帰しください、とパレスに涙ながらに訴え出ました。キリツボのレディは、この期(ご)に及んでもまたいじめられ、恥をかかされるのではないかと不安で、秘かにパレスを出る決心をしました。幼いプリンスは宮中に置いてゆかなければなりません。
いよいよ彼女を里に帰さねばならない、エンペラーも覚悟を決めました。
けれども、たったひと言でもいい、別れの言葉を交わしたい、と彼女の枕辺に駆けつけます。
彼女は変わらず美しく魅惑的ですが、頬はこけ落ち、青ざめていました。なにも言わず、エンペラー・キリツボをその瞳でじっと見つめます。生きているのだろうか。命の光は、はかなく消えゆきそうです。
思わずエンペラーはわれを忘れ、彼女を胸に抱くと、いくつもの愛しい名前で呼びかけ、涙を雨と降らせます。が、何も返事はありません。もうほとんど何も見えず聞こえず、朦朧(もうろう)として、自分がどこにいるのかもわからぬ様子です。エンペラーは茫然とします。 
とり乱したまま、馬車を言いつけます。しかし、彼女を馬車へ乗せようとしても離さず、抱き寄せては言うのです。
「最期の旅はきっと一緒に、と誓い合ったではないか。どうして、わたしひとりを残して、逝ってしまうのだ」
彼女の耳にも、これが届きました。
「ああ……、とうとう待ち望んだ最期のとき……! でも、ひとりで逝かねばならないなんて。それならば、もっと生きていたかった……」

限りとてわかるゝ道の悲しきに、いかまほしきは 命なりけり

息も絶え絶えに、レディは声を絞り出します。苦しみと痛みが、ひと言ひと言に籠もります。なにがあっても最後まで見守ろうと、エンペラー・キリツボは思っていました。しかし、里では祈祷をあげる僧侶が待っていますから、日が落ちる前に帰さねばなりません。胸引き裂かれる思いで、彼女を見送るのでした。
エンペラーは眠ろうとしますが、息苦しくて目をつぶることもできません。一晩中、メッセンジャーが行き来しますが、一向によい知らせはないのです。
真夜中過ぎでした。パレスからの使者がキリツボのレディ邸に着くと、すすり泣きと悲しみの叫び声。
「レディはいまし方、息を引き取られました」と告げられたのです。
使者はパレスに戻り、エンペラーにお伝えしますが、なにも耳に入らぬよう。身じろぎもなさいません。
エンペラーは幼いプリンスを可愛がり、それまで手元に置いてきました。しかし、こうなってはパレスから出した方(ほう)が安全であろう、と思います。一方のプリンスは、なにが起きたのかわかりません。ただ、召使いたちが身を捩(よじ)って嘆き、エンペラーも涙を流していますから、なにかとても恐ろしいことがあったんだ、と思います。ちょっと離れているだけでも寂しいもの。それがいままで見たこともないほど、誰もが嘆き、泣き崩れているのです。これはきっとたいへんなお別れなのだ、と幼な心に思うのでした。

(つづく)


[原注]
1 第一帖は、どうか寛大な気持ちで読んでいただきたい。作者紫式部はまだ、先人たちの未熟な作品の影響のもと、宮中年代記(クロニクル)と、それまでにあったおとぎ話(フェアリー・テール)が混在したスタイルで書いている。
2 中国の唐王朝の有名な皇帝(六八五―七六二年)。
3 生後、数週間経たなければ、皇帝にお目通りできないことになっていた。
4 つまり、皇太子となること。
5 レディ・キリツボはもちろん、担い駕籠に乗っていた〔つまり彼女のドレスは汚れなかった。建物と建物を結ぶ渡殿、架け橋を駕籠に乗って移動したと想像したのか〕。

[訳注]
1 袴着という男子成人式に当たる儀式を「ズボンの儀式」と訳している。女子の裳着は「スカートの儀式」。服装などのファッション用語についてもウェイリーは当時の読者にわかりやすいよう、工夫を凝らしている。女性はドレスやガウンを纏い、サッシュを締める。裳はスカート、小袿や袙はチュニック、袴はパンツ、指貫はバギーパンツなど、イメージの近いものを柔軟に当てている。

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