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人は鏡。自分が態度を改めれば相手もきっとわかってくれる/町田康
【第61話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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安政三年三月三日、寺領百石、多くの参詣人を集め、おもしろいことが行われる桃尾山龍福寺に博奕場を開く許しを得ようと、次郞長は一人でお山の坂道を登って行った。
然うしたところ、既に彼方此方に「お賽銭勘定所」という札が立っていて、多くの人がこれに出入りしていた。このお賽銭勘定所というのを字義通りに解釈すれば善男善女が奉ったお賽銭を数えるところということになるが、果たしてその実体は博奕場であった。
と云うのは何度も言うように博奕は天下の御法度であった。それ故、実体通りに、「お博奕どころ」と札を立てることはできない。そこで、「ここは神様に奉るお賽銭を勘定しているところですよ」と言い、その罪を免れようとしたのである。勿論、役人だって、そこでマジに「お賽銭」を勘定しているとは思わない。思わないが、「マア、節目の日なんだから大目に見ましょう」という感じで目をつむっていたのである。
「はは、やっぱり人間は博奕をやめられない生き物だ。人間が急に博奕を打たなくならない限り、やくざは食うに困らない」
そんなことを思いながら次郞長、さらに登っていくと山の上に大きな建物が建っている。「これだな」と思うから、
「ごめんよ」
と入って行くと、奥から四十がらみの小男が現れた。吊り上がった細目で極度の出っ歯、頬がげっそりこけている。頭は薄禿のようなことになっていて、そんななのに自分を恰好いい男、と思っている節がある。
次郞長は後年、この男について、「一目見たときから厭な感じがした」と周囲に語っていた。次郞長は常日頃から乾分たちに、「やくざは正直でなくっちゃいけねぇ」と発言していた。だからこの時も、
「おまえの外見は貧相だ。きっとその心根も貧しいのだろう。俺はそう思う。俺はおまえが嫌いだよ」
と正直に言いたかった。だけど言わなかった。なぜなら白衣(びぇくえ)を着しおることなどからその男が宮番・宮守であり、博奕場を開くにはこの男に賄賂を渡して見て見ぬ振りをして貰う必要があるというとが明白であったからである。
つまりこいつの機嫌を損ねるわけにはいかないのであり、「お前は貧相だ」とか「お前が嫌いだ」とか言っていられなかった。
こういうことは我々にも良くある事であろう。瞬間的に「厭な奴だなあ」と思ってもそいつが重要な取引先で、自分に利益を齎す、或いはその権限を持っている、となれば、感情を殺してにこやかに接する。ベンチャラを言う。飯を一緒に食べる。なんて色んなことをする。
然うしているうちに相手の意外な一面が見えてくる。そして、アレ? と思う。どういう事かと言うと、意外にいい奴なのだ。最初会った時は気がつかなかったが、暫く付き合ってみると、なんて言うのだろう、憎めないと言うか、けっこう自分に対する気遣いや思い遣りが感じられて、プライベートでも会いたいような気分になってくる。そしていつしか自分が最初に感じた印象は誤りであって、こんないい奴に対してあんな印象を抱き、上辺で接していたことを恥じるようになる。
なんでそうなるのか。それは結局、人と人と関係なんてものは鏡のようなものであるからだ。自分が嫌な態度を取れば相手も嫌な態度を取る。自分が丁寧に接すれば相手も丁寧に接してくる。自分が親切にすれば相手も親切にしてくれる。
そんなものなのだ。だからもしかしたら、最初に、「嫌だな」と思ったのは自分が発する嫌な気配が相手に伝わって、そんな風に見えただけかも知れないのだ。
要するにすべては自分次第。嫌だな、と思うときこそ朗らかにしておればよい。それが結句、自分の為になる。もちろん相手の為にもなる。そうした人と人との関係が広がってけば、この世から醜い争いがなくなり、互いが互いを尊重する住みよい世の中が実現する。差別する人もされる人も居なくなり、みなが助け合って生きる平等な社会が実現する。王道楽土。神の国。弥勒の世。その第一歩は自分から始まる。生きとし生けるもの、そのすべての中に仏の種が埋まつてゐるのだ。
苟も一家を束ね、人に親分親方と言われる次郞長はそれを熟知していた。
だから宮番を見て、「きらいだな」いやさ率直に言うと、「殴りたいな」とは思ったけれども其れを態度に表すことはなく、あくまでもにこやかに、
「ごめんよ」
と挨拶をし、
「俺は清水港宇土町に住まいを長五郎と言うものが、おめぇさんはここの宮番さんかい。ああ、そうか。よかった。実はね、おめぇさんに、ちょいと受け取ってもらいてぇものがあってね」
と言、紙に包んだものを差し出した。もちろん宮番は、それが賄(まいない)でそれと引き換えに賭場を開くのを認めてほしいという次郞長の意図を熟知しいているはずであった。ところが宮番は次郞長をジロリと睨み、
「そらなんだ」
と無愛想に言う。次郞長、少し気を悪くしたが、勿論、人と人との信頼関係・絆が何よりも大切と信じる男なので、そんな態度は噯にも出さず、
「ま、ま、ま、受け取ってくんねぇ」
と言って差し出す。これに至って宮番、これを引ったくるように受け取り、
「なんだこら。んっ、なかだこれは金だな」
「そうだよ。金だよ。ああ、面倒くせぇ。はっきり言おう。賄賂だよ。開けてみねぇな、二分へってるよ」
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