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大和で盆ゴザ、アーコリャコリャ/町田康

【第60話】「海道一の親分」として明治初期に名をはせた侠客、清水次郎長。その養子であった禅僧・天田愚庵による名作『東海遊侠伝』が、町田版痛快コメディ(ときどきBL)として、現代に蘇る!! 月一回更新。
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 人違いで赤鬼の金平の一味と見做され、役人に追われた次郞長は尾張を逃れて水路、伊勢に趣き武蔵屋周太郎方に寄寓した。
 武蔵屋周太郎と次郞長とは五分の盃を交わした兄弟分である。そこそこに力のある親分で伊勢では穴太徳(あのうとく)という人と結んでいた。だからそこに行けば安心に匿ってもらえる。ほとぼりの冷めるまでそこに居て、それからゆっくり清水へ帰れば良い、とこのように次郞長は考えていたのである。ところが。
「親分、ちーとばかしまずーござんすぜ」
 と大政が言ってきた。
「なにがまずいんだい。鯛か。鯛が不味いのか。贅沢を言うな。鯛はうまい魚だぜ」
「親分、漫才をやっている場合じゃござんせん。早く此の地を退転しやしょう」
「どうしたんだ。なにがあったんです」
「いや、実はね、昨日の晩、丹波屋伝兵衛さんのところにお役人が踏ン込んだんでさあ」
「なに、なんでだ。マ確かに丹波屋伝兵衛さんは金平にとっちゃ親戚筋だが……」
「それでさあ。お役人は金平がこの伊勢に逃げ込んだ、という情報を得て、伝兵衛さんのところに踏ン込んだでしょう」
「そうか。で、奴は捕まったのか」
「いえ」
「うまくずらかりやがったか」
「わかりません。てか、奴ァそもそも伊勢に居ねぇのかも知れません」
「どういうこった。見た奴が居るんじゃねーのか」
「そいつは俺たちを見て、金平が伊勢に居ると思ったんのかもしれないって事です」
「なーるほど。ま、向こうもやくざ、こっちもやくざ。見間違えるのは無理ねーな」
「となると、まずいな。丹波屋とここは距離にして半里もねぇ。今夜あたり、あっちに居ねぇならこっちだろうと見当を付けたマヌケな役人が踏み込んできゃーがるかも知れねぇ」
「そういう事です」
「なるほど。そらまずいな。大政、お前の言う通りだ。お前は頭がいいな。勘もいい。可愛いよ」
「ありがとう存じます。なら今夜あたり抱いてくれますかい」
「うむ。それもよいな。しかし、今は逃げよう」
「そう致しましょう。まずは武蔵屋どんに訳を……」
 と大政が言うと、そこに一人の小柄な男が唄い乍ら入ってきた。
「〽タラッタララッタうさぎの箪笥」
「おお、小幡の、居たのかい」
 と次郞長が呼びかけた。小幡というのは武蔵屋周太郎のもうひとつの呼び名で彼が小幡の周太郎とも呼ばれていたからである。これは彼の根拠地が小幡という地にあった故で、清水湊に住む次郞長が、清水の次郞長、と言われるのと同一である。伊豆の大場の久八つぁん、黒駒の勝蔵、平井の亀吉、山梨の巳之助なんてのもそうである。
「おお、いたさ。まるでうさぎのような気分でね」
「なにを言ってやがるんデー」
「うさぎは鳴かねぇ」
「オメーは人間じゃネーカ」
「時々はな。ところでオメー、旅立つのかい」
「なんで知ってるンだ」
「そらー、オメー、壁に耳あり箪笥にメアリーってな」
「ちっ、こっちはお役人に追われてるんだぜ。ふざけんのもテーゲーにしネーカってんだ。マいいや。兎に角、そういう訳でここに居るとおめっちにも迷惑がかかる。すぐに発とうと、こう思うんだよ」
「おお、そうか。じゃ、そうしねぇ。あ、ちよつと待ってくれ」
 そう言うと周太郎は、
「これは少ねぇが草鞋銭だ。とっといてくれ」
「お、すまねぇな。ってなんだこりゃ、五両もあるじゃねぇか」
「いってことよ」
「そうか。恩に着るで」
「そりゃいいが、おめこれからどこへ回る」
「うん。俺はこれまで上方に行ったことがねぇ。鈴鹿を越えて大和から京大坂を回ってみようと思ってるんだよ」
「そうか。そうか、そらいいな。じゃ、行け」
「おお、世話になったな。じゃあな」
「待て」
「なんだ」
「次郞長」
「なんだ」
「死ぬなよ」
「おめーもな」
「また会おう」
「おお」

 伊勢を発った次郞長だちは三月三日、大和国山辺郡桃尾村に至って宿を取った。
 みな草鞋を脱いで部屋で寛いでいる。そのうち、美保の豚松という男が言った。
「おっほーん、さっきから俺、思うんだがね」
「なんだね」
 と答えたのは桶屋の鬼吉という男である。
「この大和っていうのはなんとなく優しい感じがするね」
「優しい、ってなにがよ」
「なにがってのは、この道とかよ、あと山に生えてる草とかよ、木とかよ、そんなもんが、なんかこう、まろやかって言うかよ」
「そう言われてみりゃそうだな。俺っちの方の山はもっとこう、荒々しい」
「だろ。だけどよ、今日はここになんか当てがあるんだろうかな」
「そうじゃネーカ。親分はまるで目的地が決まっているようにスタスタ歩いていたから」
「けど、まだそんな時間じゃネーんだよな」
「そうだな。じゃなにかな。この土地の、優美な男に目当てがあるのかな」
「そうかもしれネー。ちょいと聞いてみな」
「お、そうしてみよう」
 と桶屋の鬼吉が前の方を歩く次郞長につと寄ってって問うた。
「親分、なんでこの村に来たんですか。いい男が多いからですか」
「バカ野郎、そんなんじゃネー」
「じゃあなんでなんです」
「当てか、当てなんざネー」
「じゃ、ダメじゃねぇですか。路銀もそろそろ乏しいんじゃねぇんですかい」
「おお、それよ。それについては、さっきこの家の番頭に聞いたんだがな」
「へえ」
「ここに桃尾山龍福寺というお寺があるらしいぜ」
「寺があったらどうなるんです。坊さんと知り合いなんですか」
「ちげーよ」
「じゃあ、なんなんすか。俺にはもうなにもわからねぇ」
「急に不貞腐れるな。今日は何日(いっか)だよ」
「三月三日」
「そうだ。ってことは桃の節句、ここ桃尾山は寺領百石、堂塔数多、普段からお参りが多いところ、節句となればさらに人が増える。人が集まるとどういう訳か人間は博奕をしたくなる」
「そうかっ。つまり盆を敷いて稼ごうと」
「そう言うことよ」
「なるほど、じゃそうしましょう」
「ああ、そうしよう」
 と簡単に言ったが、しかし博奕場の開設というのは容易なことではない。というのはマア、このように節句・祭礼の日やなんかは物事がナアナアになりがちだが、とは言え博奕は天下の御法度であったし、そこを縄張りとする親分からすれば、よそから来た者が随意に盆茣蓙を敷くなんて事は許しておけることではなく、「人の縄張内でなに勝手な事をしてやがる」と言い、暴力でこれを排除にかかるのは必定、それに対する備え・覚悟も必要であった。
 勿論、本職の次郞長たちがそれをしらない訳がない。取り敢えず次郞長が自ら様子を見にいくことになり、郡山の半五郎という男を連れ、桃尾山に出掛けていった。
 山の麓に一軒の茶屋があった。
「半五郎、おめぇはここで待ってな」
「なんでや。俺も連れて行ってくれや」
「おまえは大和郡山の生まれだな」
「そうですわ。今更なんですね」
「そうだよな。言葉がそうだ。まあ、ここで待ってろ。こういう時、っていうのは例えばここの宮番と交渉になるかも知れねぇ時、なんてのはな、同じの国の奴が行くよりも、よその国の人間が行った方がうまくいくんだよ」
「なんで」
「人間には近くの奴には厳しく当たるというか、アラが見えやすいんだよ。その分、対応が厳しくなる。だけどな、よその国の人間には親切にしたくなる、みたいなところがある。だからこの国の言葉を喋るおめぇは行かねぇ方がいいのよ」
「なるほど。さすがは親分や。ほな、ここで待ってますわ」
「ああ、一杯やってな」
 次郞長はそう言って龍福寺境内に急な山道を登っていった。サア、どうなることですやら。次回を待て。

町田康(まちだ・こう)
1962年生まれ。81年から歌手として活動、96年以降は小説家としても活動。主な著書に「告白」「ギケイキ」などがある。

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