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#05 水の妖精、海へむかう死者たち レペンスキー・ヴィル、石器時代の旅

セルビア、ベオグラード在住の詩人・翻訳家、山崎佳代子さんの連載。歴史や詩、そして山崎さんの出会う人々とともに、ドナウの支流をたどる小さな旅。今回は石器時代の遺跡レペンスキー・ヴィルを訪ね、石の彫像「水の妖精」に会いに行きます。       

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 秋が深まり、9月21日の生神女誕生祭も過ぎた。だが、今日の陽光は激しい。涼を求めて、ベオグラードの旧市街からブランコ橋を渡り、ゼムンに出た。ドナウの岸辺の町には、煉瓦の屋根の建物が並び、水辺で漁師が網を繕う。捕れたのは、鯰、鯉、それともチョウザメだろうか。水辺に白鳥が遊び、夕映えが翼を薔薇色に染める。若い女性が、写真を撮っていた。ノースリーブのブラウスから華奢な腕がのぞき、素足にサンダル……。日本の旅人らしい。空気が冷えてきた。闇が水にきらめき、灯をともして船が出ていく。夜の水を楽しむ人たちだ。私は明日、この流れを下り、ジェルダップ渓谷に行く。石器時代の遺跡レペンスキー・ヴィルを訪ね、石の彫像「水の妖精」に会いに行く……。

 翌朝、八時。一気に気温が下がり、外は雨。セーターにコート……。バルカンの空は激変する。だが、雨のドナウは初めてだ。混雑するベオグラードを抜け、高速道路に入ると、車は速度を上げた。ポジャレヴァッツに出ると穀倉地帯が広がる。黄金色の麦畑は雨に震え、空が鉛色に低い……。
車の中で、仲良しのドブリラから借りたジェルダップの研究書を開く……。ジェルダップ渓谷は全長130キロ、ヨーロッパ最長、岸辺に石器時代の遺跡が10箇所以上もある。ジェルダップ水力発電所の建設が計画されると、1960年から渓谷で発掘調査が始まった。ジェルダップ渓谷に、人が住みはじめたのは紀元前8300年頃、数ある遺跡のなかでレペンスキー・ヴィルが最も重要だ。紀元前6300年に生まれた集落が、中石器時代後期から新石器時代初期の文明の推移を伝える。背後に神秘的なトレスカヴィツァ山をひかえ、ドナウの岸辺に張り出す土地は、狩猟、漁業にも適して栄え、聖所の役割も担ったと言う。中石器時代の石の彫像が出土したのは、世界でもジェルダップ渓谷だけだ……。
フロントグラスに、大粒の雨が容赦なく当たり、ワイパーの機械音が虚ろに響く。ドナウ河の岸辺を走る。道には、険しい山々が迫る。海のようなドナウの対岸はルーマニア、両岸とも岩肌が鋭い。風が強まり、灰緑の流れに高波が白い牙をむく。道路の傍らに、大きな貨物トラックが転倒し、警官の姿が見える。交通事故らしい。道は悪く、石灰の絶壁から落石もある。長距離トラックは、夜を徹し国から国へ移動する。過激な仕事だ。居眠り運転か……。道路は、所々、穴があいている。

図1

トレスカヴァッツ山(ルーマニア)、ルーマニア側対岸の岩でレペンスキー・ヴィルの住人は家の礎を築いた。(ドラガナ・ミロバノヴィッチ撮影)

寂しい自動車道を二時間半ほど走ると、狭い道へ折れ、深い緑を縫うようにドナウの岸辺へ下った。樫やブナの樹木がおもたく香る。スピードは出せない。じきにレペンスキー・ヴィルに出た。居酒屋が一軒、ぽつんとあった。トルコ・コーヒーを頼み、暖を取る。簡素な台所で、主人が肉を焼く準備をはじめ、竈に炭火が赤々と燃える。外に出て傘をさし、野原を行くと、遺跡の標識がない。朽ちかけた田舎屋の軒下で、若い男が携帯電話を操作している。カードを首にかけて、遺跡の警備員だろう。足元で子猫が二匹、遊んでいた。遺跡はあちらですか、と訊くと、そうだ、と答え、また携帯の操作を続ける。風に傘がとられそうになり、雨はやまない。
ドナウ河にそって森の道を行くと、白い鉄パイプを組み建てた巨大な建造物が現れた。数年前に改装され、スタジアムといった様子。これが遺跡……。留学生時代に一度だけ、セルビア語のセミナーの旅で来た。すべては遠い記憶の霧だ。当時、遺跡は風雨にさらされ、集落が陽光を浴びていた……。
受付で切符を買う。若い女性の係員が、「まず記録映画を観てください。五分でご案内します」と言う。ガラスの高い天井に覆われ、遺跡の土の香がこもる。ガラスのむこうにドナウはうねり、横殴りに雨が吹きつける。何かを呪うように……。
遺跡は、白い手すりに囲まれていた。中石器時代晩期から新石器時代に形成された集落が、発掘当時のまま呼吸する。なだらかな斜面に、石が並び、家屋の跡を示す。どの家にも、長方形の囲炉裏があり、火を使っていたことがわかる。囲炉裏はこの遺跡の特徴を表し、様式は長いこと守られた、と言う。

図2

集落の遺跡(ドブリラ・ルキッチ撮影)

パネル写真には、三メートル半の断層に、5つの異なる時代の遺跡が重なりあっている。消滅しては誕生した集落が層を成す。ジェルダップ水力発電所建設で水位が上がり、1971年に遺跡は北西へ移され、本来より29メートル半高い現在の場所に位置する。
会場から、映画を観終わったイタリア人たちが出てきた。次の上映は、私を含め観客は3人だけ。明かりが消え、映画が始まる。1965年の発掘作業の記録だ。フイルムは傷があり、音声も強風などの雑音が入るが、夏のドナウの岸辺、炎天下のレペンスキー・ヴィルで発掘を続ける研究者の姿が眩しい。ベオグラード大学哲学部のスレヨヴィッチ教授が率いる考古学者たちだ。2500平方メートル、深さ3.5メートルが克明に調査され、集落が9つ出現した……。テントの前の小さな机に向かい、煙草をくゆらせ、女性研究家がタイプライターを打つ。誰もが自由で、歓びに溢れていた。作業を続けながら、男は女に林檎をかじらせ、笑顔がはじける。恋人みたい……。土地は、農家の畑だった。地主の同意を得て、発掘は始まった。民族衣装の羊の皮のチョッキ、黒い口髭のおじさんが、トウモロコシ畑から発掘作業を不思議そうに見守る……。掘り進むうち、黒い木片が現れた。家屋の梁らしい。そして、人骨が現れる。土を落として頭蓋骨を両手で取り上げ、見つめるスレヨヴィッチ教授。紀元前6200年の人間と現代人が対面、シェイクスピアの悲劇より劇的な瞬間……。渓谷に夕陽が沈み、ドナウの水が薔薇色に輝きはじめる……。映画が終わった。展示場からイタリア人は去り、学芸員もどこかに消えた。季節外れで、がらんとしている……。ゆっくり展示を巡った。
 集落はドナウの岸辺の斜面に作られた。54軒の家は、5,5平米から28平米まで、広さは異なるが、構造は同じだ。貧富の差は小さかったのだろう。木の柱と梁に毛皮などを張り、テントのような家だったらしい。最大の家屋は36平米で「男の家」。政治や信仰を司る聖所だったと思われる。家には石の板が敷かれ、この遺跡を特徴づける赤い石灰石を砕いた漆喰が塗られている。奥は子供、中央は男、入口に近い部分は女の場所、長方形の囲炉裏が家屋の中ほどに位置する。
 人骨は、発掘された状態で、番号を附されていた。ジェルダップ渓谷の発掘調査で300の墓地、500体の遺骨が収集され、そのうちレペンスキー・ヴィルでは、136の墓地と186体の遺骨が見つかった。炭素分析によると、紀元前10000年から紀元前5500年までの人骨だという。すべての者が葬られたのではなく、選ばれた者だけが埋葬されたらしい。現代人と同じ、ホモ・サピエンス。頭蓋骨は、現代人にそっくりの構造で、下あごが発達していたことが違うくらい、言葉も持っていたそうだ。骸骨をもとに再現された若者の顔が、展示されている。光のなかで、エジプトの貴族のように凛々しい……。
男の寿命は約50歳、70歳まで生きた者もある。女の死亡年齢が低いのは、産褥による死亡が多いためか。出産は古今東西、命がけだ。遺体に、頭蓋骨のないものがある。頭蓋骨崇拝のためか、戦いで殺した敵の遺体か、謎である。槍などの傷のある骸骨もあり、戦いはあったらしいが、大量虐殺を示す人骨の山はない。
 死者たちは、私に恐怖も悲哀も与えず、太古の歴史をささやく。屈葬された死者、横たわる形で眠る死者……。男が一人、胡坐をかき、坐ったまま埋葬されている。天と地を繋ぐ者、呪術を担う族長らしい。女の遺骨には、埋葬の儀式の名残か、陰部に黄土が塗られものが多く、出産に関する信仰を暗示する。一歳以下の新生児の遺体は、家屋の床下に埋葬する習慣があったらしく、数多く発見された……。
仰向けで眠る死者は、いずれもドナウの流れに平行して横たわる。頭はどれも、下流に向けられていた。それは、中石器時代に発達した漁業と深い繋がりがあると言う。今日のドナウにも大魚は棲息するが、中石器時代晩期の大魚、大チョウザメ(モルーナ)は体重1500キログラム、体長7メートルにまで達したと言われ、イクラも大量に採れた。春にドナウの上流へのぼり水底の砂地で産卵、秋は海へ向かう魚だ。10月から11月が捕獲の時期で、男たちが力を合わせ捕獲したらしい。人々は、季節による魚の移動を知っていた。ドナウの上流は祖先と生命の再生を意味し、下流は死者、死を意味するという信仰が生まれた、と考古学者は推測する。大魚の捕獲は共同作業、岸で魚は捌かれて干された。鯰もチョウザメも獲れたらしく、家の床下から骨や鰭が見つかっている。のちに農耕や牧畜が始まり、漁業の意味が薄れてからも、「魚が死と生、命の甦りを象徴する」という思想は深められた。太古の人は、ドナウ河から自然の法則を読み解き、死と生を結び合わせ、命の復活を信じていた……。

図3

 住居の遺跡 (ドブリラ・ルキッチ撮影)

石の彫像「水の妖精」は、ガラスケースのむこうで私を待っていた。私にとって40年ぶりの再会だが、太古を語るとき、それは誤差にすぎぬ時間だ。大きな瞳、厚い唇、平たい鼻、ずんぐりした身体には鱗が刻まれている。縦38センチメートル、横26センチメートル。ドナウ河の砂地から採った石にレリーフを刻んだもので、赤い石灰の漆喰で囲炉裏の右側の床に固定されていた。
中石器時代晩期には、墓穴の中の頭蓋骨の横に埋められていた。生贄として祭儀に使われていたらしい。石の彫像「水の妖精」も、女の「母祖神」も、男の「先祖」も、同じ様式で性差はなく、眼球と口が強調され耳が無く、魚を模している。男も女も、同じひとつの命で魚と結ばれていた。死者は「水の妖精」に導かれてドナウを下り黒海へむかい、春には魂となって河を上り、故郷に還ってきたのだろうか。
紀元前6300年は中石器時代晩期、レペンスキー・ヴィルの集落が新石器の種族と接触し、特殊な文明を生み出した時代である。新石器文明は中近東に生まれ、人々は湖や川など水辺に集落を作り、穀物の栽培を始めた。人口が爆発的に増加するとヨーロッパへの移動が始まり、ドナウ河は人の移動の重要なルートとなった。バルカン半島に新石器の種族が移住するのは紀元6500年頃から紀元前6200年頃である。レペンススキー・ヴィルの種族は彼らとの交流のなかで、新しい文明を受け入れていく。
この時期に、狩猟や草や実の採集など季節労働による半定住型から、囲炉裏のある家屋が示すような定住型の集落が生まれた。漁業が発達する一方、牧畜と農耕が始まる。最初に犬が飼われ、牛、山羊、羊が飼われ、穀物の栽培も行なわれた。猪の肉や魚を乾した形跡もあり、食物保存の技術が定住を可能にした。交易に便利な地形だったレペンスキー・ヴィルは、食糧の貯蔵の集落だったようだ。道具も発達した。
ガラスのケースに並ぶ道具の均整美に、ため息をつく。野獣の骨で作った釣り針やナイフに彫られた幾何学模様は、今も斬新だ。人の手は、機能ばかりでなく美を求めた。材料に鹿の角、骨、乳歯や顎などが使われた。雄の角は、春に落ち、秋に新しく生えかわる。鹿は四季の変化を鮮やかに示し、生と死を象徴したらしい。後には、猪の歯も使われた。斧、鍬、釣り針、錐などのほか、槍などの武器もある。
石の道具の多くは、付近の砂地の石で作られたが、ハンガリーで出土された道具と同様のものも出土しており、今日のブルガリアの石が使われている、と言う。ドナウ河を辿り、物も人も旅をしたのだ。石を研磨してナイフの刃にしたものは、皮や毛皮の細工のほか、肉を切るために使われたと言う。木や骨で柄をつけたものもある。三角や四角、円など幾何学的な形が使われ、デザインはモダンだ。生贄の彫像、御守り、食物を得るための道具、大工仕事の道具などが、照明を浴びて休んでいる。大魚を捕獲するために舟につけた重り、魚の頭を殴る石鎚もあった。
ガラスケースの装飾品に、心が安らぐ。首飾りに、眼を奪われた。62個のカタツムリの殻、4個の緑の石、4個の海の貝、骨のペンダント。呪術に使われたのだろうか。大理石の水色の玉は直径1,5センチメートル、近郊の鉱山で採れた石だ。海の貝は、今日のブルガリア北部のもの。地中海の貝もある。レペンスキー・ヴィルの集落には、新石器文明の者たちが、珍しい物をたずさえてきたのだ。新石器文明の外来者は、富める人だったと言う。首飾りは、どんな人が身に着けていたのだろう。
レペンスキー・ヴィルは中石器時代のあと新石器時代へと移行し、600年ほど続いた集落は消滅する。スレヨヴィッチ教授は、セルビアの他の地域の新石器時代の集落とは異なる特徴があると指摘する。集落は、比較的狭い地域に発達し、人口密度が高く、文化が多層的に発展する。農業や牧畜が始まっても、漁業が生活の中心であり、定住型の文化を保ち続けた。他の地域の新石器の種族は、遊牧を生業とし移動型の集落を作ったが……。
新石器時代の器が、ガラスケースに置かれていた。ひとつは均整がとれた丸い器で、褪せた薔薇色だ。もうひとつは四角く、魚料理に使われたらしい。器は粘土で作られ、指や爪、手のひらで単純な模様がつけられている。手の温もりがある。
最後に、「水の妖精」とお別れした。わずか一時間半ほどが、永劫に思われた。レペンスキー・ヴィルを訪ね、太古を上流へ8000年も遡ったのだから……。

図4.5

 水の妖精(ドラガナ・ミロバノヴィッチ撮影)

雨は降り続く。田舎屋の軒下の猫は三匹になって、じゃれている。お兄さんは、また携帯電話を操作し、画面を凝視していた。

車でゴルバッツへ向かう。寒い。岸辺のレストラン「金の魚」は、平日なのに混んでいた。趣味のいいインテリア、味もよく人気がある店は、ゴルバッツ生まれのドブリラのお奨めだ。豪華な昼食を前に8人、金髪のロングヘアーの若い女性とスーツの男性たち。訛の強い英語が聞こえる。霞を売る者たち、政治家かビジネスマン、公用族だろう。鯰とチョウザメの炭焼きを注文する。東セルビアのワインは、素朴で自然だ。ワインは白、サラダは焼いたパプリカにする。鯰は、ハンマーで頭を殴って獲る。石器時代の漁師を思い出した。ゴルバッツの魚は新鮮で、ほんのり甘かった。レペンスキー・ヴィルの人々も、獲れた魚を長方形の囲炉裏で焼き、赤々とした炎が彼らの顔を照らしたろうか……。石器時代からドナウに棲息する魚、それを現代の私たちが食べる……。
雨が上がる。帰りの車で、本を開く。原始信仰について、書かれている。集落の経済活動が発達し、貧富の差が生じると、集団が個人の欲望を抑制するために、信仰が生まれる。信仰はまた、死者を葬り記憶する大切な役割を果たした……。ドナウの下流に頭を向けて眠る死者は、何を夢みていたのか……。そういえば、集落には貨幣がなかった。物は人の手で作られ、人の手から手をめぐる旅をした。視界からドナウが消え、物があふれる世界へ車は帰りを急ぎ、私は右の手のひらを見つめていた。

山崎佳代子(詩人・翻訳家)
一九五六年生まれ、静岡市出身。一九七九年、サラエボ大学に留学。一九八一年よりベオグラードに住む。詩集に『みをはやみ』(書肆山田)など、翻訳書にダニロ・キシュ『若き日の哀しみ』(東京創元社)など、エッセイ集に『ベオグラード日誌』(書肆山田)、『パンと野いちご』(勁草書房)などがある。セルビア語による詩集のほか、谷川俊太郎、白石かずこの日本語からの翻訳詩集を編む。セルビア語の研究書には、Japanska avangardna poezija(『日本アヴァンギャルド詩』)ほか、『日本語現代文法』を著わした。

▼戦時下のセルビアの食を描いた山崎さんの著書『パンと野いちご』も是非。レシピ付きです。



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