「本当にやる。やると云ったらやる。今夜は寝る。」
夏目漱石から松本清張、村上春樹、そして西加奈子まで90人の書き手による悶絶と歓喜の〆切話(エッセイ、日記、手紙など)94篇を収録したアンソロジー『〆切本』、続く『〆切本2』から、文豪の作品を13篇、お届けします。
師走の忙しさを一時忘れさせる、泣けて笑えてためになる(?)〆切エンターテイメントをお楽しみください。(イラスト:堀道広)
「愛妻日記 昭和五年」 山本周五郎
❖ 五月十五日
金が無い。書けない。童話を書き始めたがだめ。明日やる。今朝公園で球抛をやったので体の調子が狂ったのだ。昼麦酒を呑んだ。もう呑まぬ。本当に呑まぬ。明日からやる。本当にやる。ラヂオ・ドラマも書く積り。十八日までに三十五枚ばかりのもの。本当にやる。やると云ったらやる。今夜は寝る。心は慰まない。
童話を書いた。朝日社へ持参した。赤井氏親切にして呉れた。「ラヂオ・プレイ」も構成った。あすからかかる。心は落着いて来た。酒にも唆られない。雑文ばかり読んでいる。石井に手紙を出した。
額田氏から来信。「芸術」は稼原稿を果たしてからやる。気持が崩れるといけないから。「ラ・プ」をしあげたら「富士」へやる大衆物を書く。それから少女小説をひとつ。今夜は寝る。心は矢張なぐさまぬ。省児から金を借りている、早く返さねばならぬ。日曜には返せるだろう。急がずにやろう。急がずに。神よ、御心のままに。
(『〆切本2』掲載)
山本周五郎(やまもと・しゅうごろう)
1903年生まれ。小説家。作品に『青べか物語』など。30年に27歳で結婚。前々年に勤務不良で会社を解雇され、前年に東京虎ノ門に引っ越し。経済的には待ったなしの状況だった。「本当にやる。やると云ったらやる」の直後に「今夜は寝る」と語り、強い決意と弱い意志のあいだで揺れ動く。1967年没。
「愛妻日記 昭和五年」 底本『山本周五郎 愛妻日記』角川春樹事務所
▼【3万部突破!】なぜか勇気がわいてくる。『〆切本』
「かんにんしてくれ給へ どうしても書けないんだ……」
「鉛筆を何本も削ってばかりいる」
追いつめられて苦しんだはずなのに、いつのまにか叱咤激励して引っ張ってくれる……〆切とは、じつにあまのじゃくで不思議な存在である。夏目漱石から松本清張、村上春樹、そして西加奈子まで90人の書き手による悶絶と歓喜の〆切話94篇を収録。泣けて笑えて役立つ、人生の〆切エンターテイメント!
▼【発売即重版!】今度は泣いた『〆切本2』
「やっぱりサラリーマンのままでいればよかったなア」
あの怪物がかえってきた!作家と〆切のアンソロジー待望の第2弾。非情なる編集者の催促、絶え間ない臀部の痛み、よぎる幻覚と、猛猿からの攻撃をくぐり抜け〆切と戦った先に、待っているはずの家族は仏か鬼か。バルザックからさくらももこ、川上未映子まで、それでも筆を執り続ける作家たちによる、勇気と慟哭の80篇。今回は前回より遅い…
▼【作家の作品】『山本周五郎 愛妻日記』角川春樹事務所
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