見出し画像

真魚八重子『心の壊し方日記』試し読み②

2018年のクリスマスの夜、黒猫を飼いはじめた真魚のもとに10歳違いの兄の訃報が届いた。8年ぶりに疎遠だった実家に戻るとそこはゴミ屋敷となっていた──。
気鋭の映画批評家である真魚八重子の初めてのエッセイ『
心の壊し方日記』を左右社より、11月上旬に刊行します。本書は、兄の死とリボ払いの借金、母の認知症、夫の癌発症、自身の鬱とセルフ・ネグレクト、SNSでの大炎上と自殺未遂……など自身の5年間の体験を苛烈に綴ったエッセイです。試し読みとして、2話分を無料公開いたします。

第2話 兄の正体

兄の葬儀は真冬の、ひどく凍てついた日に行われた。9年前の、兄が喪主を務めた父の葬儀は大々的に行われて弔問客も多かったのに対し、今回は家族葬でひっそりしたものになった。本通夜の家族席には甥と姪、わたしと母、そして兄が社長だったときから会計や事務を担当し、会社を畳んだ後も1人だけ残って働いていた女性従業員のTさんの5人で参列した。彼女は「ご家族だけのところを」と遠慮したが、兄と二人三脚で長く働いてもらっていたので同席をお願いした。
兄の遺体の発見者も彼女だった。会社の看板を下ろしたあとも、事務所はそのまま利用して仕事を続けていたが、その日は時間になっても兄が現れないうえに連絡がつかず、不審に思ったTさんが兄の部屋を訪れたところ、机に突っ伏して絶命していたそうだ。
通夜の合間にダイニングで母とお茶を飲んでいたとき、母がTさんは兄の向かいの部屋に住んでいると言った。我が家は賃貸アパートを一棟経営していて、兄はその一室に住んでいた。Tさんは同じフロアの別の部屋を借りているそうだ。そして母が「2人で旅行に行ったりもしていたらしいね」とつけ足した。
わたしは色々と合点がいった。兄はモテるタイプではないので、離婚後は女性と無縁だったのかと思っていたけれど、身近にそういった人がいたことに少しホッとした。Tさんは兄より年上だが、若々しく可愛らしいタイプで、ショートカットの似合う明るい女性だった。彼女も過去に結婚でつらい思いをしていた。夫は浮気癖があって家を空けがちにもかかわらず、義理の両親の介護を彼女がしていた。精神的な苦しみから宗教にも入り、あげく義理の両親が他界すると用済みのように離婚されてしまったそうだ。母が言うには、兄と再婚といった話にならなかったのは、入った宗教がなかなか脱会をさせてくれず、入信者と結婚するのは迷惑がかかるからとTさんが辞したためらしい。
ダイニングの北側は掃き出し窓になっていて庭が見える。その窓の手前に兄が遺したハムスターが連れられてきていた。名前は誰も知らなかったので、母は「ハムちゃん」と呼んでいた。夜行性なので昼間は静かにしているが、時折昼でもケージをつたって登ってくる。母が「ハムスターをTさんも飼ってて、共通の趣味みたいだね」と言った。
本通夜には甥が連絡した、兄が休みの日にやっていたバンドの仲間や、兄の仕事仲間だった人たちが参列した。また近所の親戚や、市の青年部で親しかった市議会議員も弔問に来てくれた。兄の遺体が発見されたときには、不審死の可能性もあるので警察が来たそうだし、通夜の日から葬儀会社が出入りもしていたので、やはり兄の死を伝えていない人も噂を聞きつけて来ていた。
葬儀はいつもむず痒い。葬儀会社によっていかにも悲しみを誘うような演出が施され、その料金が勝手に上乗せされていくのは茶番だし、拝金主義的なシステムだ。副葬品として棺に故人の好物を入れるのだが、肉と伝えていたところ、通夜の夜に担当者が皿に盛ったむき出しのステーキを見せてきた。それを故人の横に添えると言う。いかにもバカが食べる肉といった見た目で、失笑してしまった。
翌日の午後に葬儀と火葬、初七日法要を済ませた。記憶が曖昧だが、葬儀は本通夜の家族席と同じメンバーで参列していたと思う。わたしが冷淡だということも大きいかもしれないけれど、なんだか葬式も数日にわたってしまうと悲しみは持続しないものだ。退屈なお経の長さを我慢したり、オコエに早く会いたくて、スマホに撮り溜めた大量のオコエの画像を見返したりといった時間を過ごしていた。
母はため息をつきつつも、激しく悲嘆にくれるようなことはなく淡々としていた。とにかく老化で体が思うように動かないため、「手袋を落とした」とか「鞄のがま口が強くて開かない」といった小さなトラブルの連続に苦労していた。そして「泣きたいけど、涙腺が詰まっていて涙が出ない」と何度も言った。
思い返すと、小さい頃から母が感情的になって悲しみをあらわにするところはあまり見たことがない。その代わり、父が亡くなったときは一気に10キロほど瘦せて、歩くのもおぼつかないほどげっそりしていた。この葬式の間も、息子を先に亡くした不安や喪失感は大きかっただろうが、どこか客観的な恥の観念があって、自分自身を解放できない人ではあった。
そんな母が、火葬場で炉に兄の棺が入ろうとする最後の瞬間に、急に肩を揺らして棺を引き留めるようにし、「イヤだあ、イヤだあ、A君」と兄の名を呼んで嗚咽した。わたしは炉の方へ進もうとする母を留めて支えながら、初めて見た母の感情的な姿に戸惑って何も言えなかった。

次に実家に帰ったのは、四十九日のときだった。ドイツ在住の次兄もスケジュールを合わせて帰国していた。わたしはプチゴミ屋敷となった実家を片付けるため、3泊はするつもりだった。
次兄はわたしが中学生の頃にドイツに渡って以来、数えるほどしか日本に戻っていないので、打ち解けて話すには少し距離ができてしまった。しかし次兄は社交的なので、わたしが気のない相槌を打つだけの会話であっても気にしていない。このときも、ドイツ人の奥さんとDIYでリフォーム中だという、家の画像を大量に見せて説明をしてきた。わたしだったら、相手が我が家のリフォームに関心があるかわからないし、臆して絶対できないことだと思う。
四十九日は家までお坊さんに来てもらい、仏間でお経をあげた。その準備をしているとき、仏壇に骨壺が2つ置かれていることに気づいた。わたしはアッと声をあげそうになった。ひとつはもちろん兄のお骨だが、もうひとつは父の物だった。この9年もの間、父の遺骨は納骨をされず、ずっと仏壇の前に放置されたままになっていた。我が家にはちゃんと墓があるにもかかわらずだ。遺骨を何年も置きっぱなしにしてきた母と兄の精神状態に、なんとなく家中の古いままのカレンダーとつながりを感じた。億劫さ、気力のなさが家の中の至る所に充満していた。

四十九日法要と夕飯を終えたあと、甥から「話があるんですが」と声をひそめて言われた。「ばあちゃんに聞かれるとややこしいので、裏の事務所で叔父さんと八重子さんで集まりましょう」
家の裏には祖父が起業し、父が規模を拡大して建てた建設会社の事務所があった。亡くなった長兄はまだここで作業を色々していたようで、パソコンなども置きっぱなしになっていた。しかし不況ですでに土建屋は廃業しているし、兄が今何を生業としてこの事務所を使っていたのかは、確かに謎だった。
夜更けの冷え込んだ、人気のない事務所に3人で集まると、甥は苦渋を超えた苦笑いのような顔で切り出した。
「父さんの遺品の整理をしていたら、リボ払いですごい未払い金があることが発覚したんです」
なんと、その額はわかっただけでも600万を超えていた。甥が返済したくてもそんなまとまった額は到底支払えない。それもリボ払いって。いったい1日でどれだけの額の利子がつくのだろう。甥は早急にカード会社に問い合わせをしていたが、翌日の電話ではすでに利子で額が膨らんでいるような、壮絶な状態になっていると言う。
啞然としているわたしに、甥は「FXもやってたみたいで。相当損失があって、その埋め合わせにばあちゃんの貯金を使い込んでたみたいなんです」と言った。
頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けた。実際確認してみると、母の通帳からは何年にもわたって、毎月のように20万、30万とまとまった額が引き出されており、2000万近くあった貯金は、200万をきる程度まで減っていた。
その後も、一緒に実家の掃除をしながら、甥からショッキングなことを次々に聞いた。兄の離婚理由は、兄の金遣いが荒くて、甥や姪の名義の貯金や、彼らが幼い頃から貰うたびに貯めていたお年玉などにも手を出すようになったためだったこと。母の名義である土地を1500万で売って、それも全額使い果たしてしまったこと。本来ならその土地は、母がわたしに相続させたいと言っていたものだった。
確かにこの破綻した経済状況は、兄に対して(ちょっと変だな)と感じていた部分を裏付けるものだった。小遣いが少ないからといって、会社のお金を使い込むというのは異常な手段だ。そういえば兄は学生時代にも、ローンで楽器を買っておきながら途中で支払いをやめてしまったことがあった。それが父にバレて怒られながらも、結局返済を肩代わりしてもらっていた。その頃から兄は全然変わっていない。
なんとなく等閑視していた兄の現在の仕事も、結局はほぼ無職に近かった。アパート経営もたいした収入ではないし、姪は京都の私大に入っていたので、その学費や生活費もかかっているはずだ。そういった出費は母の貯金や土地を売った金をあてがう以外、金の出どころが思い当たらなかった。

金銭の話題は衝撃だったが、兄の生活も気が滅入るひどさだった。甥が死亡連絡を受けて駆け付けた兄の部屋は完全なゴミ屋敷になっており、生ゴミが天井まで積み上がっている状態だった。兄とは外で会うので、住まいの状況は甥たちも知らなかったらしい。風呂場にも荷物が置かれて機能しておらず、兄が入浴をどうしていたのかわからなかった。ガス台にはいつのものかわからないカビだらけの鍋が放置され、ゴキブリなどの害虫も相当湧いているのが想像できた。
甥は警察から連絡を受けて、兄の遺体を確認するため部屋に入った。そのとき、兄がいつもイヤな臭いをさせているのを(加齢臭だろう。言ったら傷つけるから黙っていよう)と思っていたのに、じつはゴミの腐った臭いが全身にしみこんでいたのに初めて気づいたという。
兄がリボ払いで買っていたのはギターの記念モデルだった。1本が数十万もする代物で、それが何十本とゴミの中に埋もれていた。だがそれらを売って返済の足しにしたくても、すべてケースから出され傷だらけの状態になっており、「状態が悪いので買い取り不可」になってしまった。また、棚には最初の3巻くらいまで包装を開けただけの、スピードラーニングが全巻あった。
リボ払いでギターを注文するとき、兄はどんな心境だったのだろう。もはや支払いをする気はなかったと思う。利子を払い続けるだけでは、計算すると翌年になれば未払い額が1000万を超えることになっていた。そうなれば自己破産も免れ得なかったはずだ。そのうえ呆れたことに、この兄の死を巡る騒動の間にも注文済みのギターが2本もあった。

後日、母は常用している薬を貰いに病院に行った。そこは兄のかかりつけでもあった。先生は母に哀悼の言葉とともに、「息子さんは大動脈りゅうの予兆があったから、ずっと薬物療法していたのに、夏ごろから通院をやめちゃってね。症状を抑える薬も飲まなくなっちゃってたね」と言われた。母は、兄が内心死んでもいいと思っていたのではないかと、気に病むようになった。
たぶん、兄が緩慢な自殺を図っていたのは間違いないと思う。肥満化した体や荒廃した部屋の状態は典型的なセルフネグレクトであり、大動脈りゅう破裂によって一瞬で死ねたのは本望だったろう。しかし、リボ払いの借金や母の貯金を食いつぶすなど、後に残された者が困るような悪行には呆れたし、今考えても腹が立つ。単なる「死んだ後のことは知らん」という身勝手さを超えて、でかい負の遺産を背負わせる死は、家族に対する憎悪があったとしか思えなかった。

>第1話に戻る

真魚八重子『心の壊し方日記』
四六判並製200ページ/本体価格1800円+税
ISBN 978-4-86528-339-6 C0095
2022年10月26日取次搬入予定
左右社


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?