見出し画像

ところで、愛ってなんですか? [第5回]

デビュー歌集『夜にあやまってくれ』から現在にいたるまで一貫して「愛」を詠みつづけてきた歌人・鈴木晴香さんが、愛の悩みに対してさまざまな短歌を紹介します。月一回更新予定です。バックナンバーはこちら

風が強い。季節が変わるのだろうか。
それとも、何も変わらないのだろうか。
〈BAR 愛について〉の看板に電源を入れる。四角い看板をひからせているのは、私じゃなくて電気だ。私ができることはコードを抜き差しすること。それだけ。
愛だってそう。私は愛の悩みに答えてはいるけれど、本当は愛について何か知っているわけじゃない。でも、いつか愛に傷ついたことがあるから、誰かの痛みの深さやかたちを想像することができる。それだけ。
強風はすべてのものを街から追い払っていた。風の音はうるさいのに、この街から生命という生命がなくなってしまったのかと思うくらい景色は静まり返っている。確か予約が入っていたはずだけど、開店からしばらく誰も来る気配はなかった。

唐突にドアのベルが鳴って、心臓にこだまする。強風がドアを押したのかと思って顔を上げると、髪をくしゃくしゃにした男が屈みながら入り口をくぐるところだった。
「ずいぶん遅くなっちゃいました、風が強くて」
男は窓を鏡にして乱れた髪を手で整えた。できあがってもまだくしゃくしゃだったけれど、男は納得している様子である。艶のある美しい髪だった。
「なんというか、言いづらいことです。言ったら現実を認めてしまうことになるから」
「でも、こんな風の日にここにきてくれた」
「もう認めるしかないですよね」男はいちど下唇を噛んでから微笑んだ。桃色の下くちびるに薄茶色の小さなほくろがある。「ふられてしまったんです。婚約までしていた人に。この事実をどう理解したらいいかわからなくて」
「ああ、それは」私は泣き顔を作る。なんと言っていいかほんとうにわからない。「どうして、いつ頃のことですか」
「いつだったんだろう」

恋人との別れ。愛の嵐の真ん中にいるときには、愛は永遠のように思われる。それと同時に、いつかこの気持ちは去ってしまうかもしれないという静かな恐れも抱いている。でもその不安はしばらくのあいだ、具体的な形にはならない。夏休みの宿題みたいに。

これが最後と思わないまま来るだろう最後は 濡れてゆく石灯籠

大森静佳『てのひらを燃やす』(KADOKAWA)

いつもの通り手を振って、改札の前で別れた。
いつもの通りおやすみって、電話を切った。
そのときにはそれが最後になるとは思わなかった。
恋人とは限らない、家族とも、友人とも、ただ一度きり名刺交換した人とだって、私たちは最後とも言えない最後を重ねている。
目を瞑ると、最後の瞬間が蘇る。
あのときに何か言えたのではないか。
この後悔が私たちを戦慄させるのは、私たち自身もいつか、この世に生きる自分自身と別れなければならないという事実と結びついているからだ。去る日は、気づかないうちにくる。あとから、あれが最後の1日だったのだと。

「確かにそうでした。あの日、二人で乗ったエレベーターで好きって言ってくれたのに。いま思えば、恋人に会ったのはそれが最後でした」
「予感はあったんですか」
「好きって言って、って僕が言ったから言ってくれたんです。優しい人だったから」

石灯籠は静かに雨に濡れ、立ち尽くす。
残された私もまた、同じようにここに立ち尽くすしかない。

洗濯機に絡まっているこれはシャツこれはふられた夏に着ていた

山階基『風にあたる』(短歌研究社)

洗濯機の中で、シャツが絡み合っている。抱き合うように、もつれあうように、未練に縛られるように。ふられあとも続く長い時間、ふられた人間としての生を生きてゆくしかない。いくつもの季節をそうやって生き延びてきたのは、私だけではない。あの夏を同じく過ごしたシャツもそうだ。
自分の意識に語りかけるような「これは」の繰り返しにはっとする。過去はこんなふうに、目の前の現実にべったりと張り付いていて逃れられない。捨てようとしても、逃れられない。

コンドームを箱ごと捨てつ分別についてうっかり考えたのち

染野太朗『人魚』(角川書店)

もう恋人がいなくなってしまえば必要がなくなってしまうもの。お揃いのマグカップ、合鍵、コンドーム。これからたくさん一緒に過ごすことを疑わなかったから、コンドームは箱で買っていたのだ。もちろん、他の人を相手に使うことだってできる。そのほうがずいぶんと経済的だ。
でも、そういうことじゃない。
これは、あなたと使うために買ったもの。あなたでなければだめなんだ。今すぐ捨てて忘れてやる。
あれ、でも、ゴムって、燃えるごみだっけ。箱は紙で、袋はプラスチックだから中身を取り出した方がいいのか?そうやって、うっかり、うっかり現実社会に引き戻されてしまう。私はこんなに悲しんでいるのに、冷静に日常的な思考を続けている自分がいる。

「そういえば友人の話ですが、婚約指輪を燃えるごみに捨てたやつがいましたよ」
「焼却炉でめらめら燃えるところを見たかったでしょうね」
「ごうごう燃えますよ」

友だちの話って言っているけど、自分の話なのかもしれない。友だちの話って言うときは大抵そうだ。
この男は、辛いとか、悲しいとかは言わなかった。ただ、この事実を理解できない、と。
理解できないのは事実ではなくて、自分の悲しみではないのか。そんな気がして、ひらがなで埋め尽くされた歌集を棚から取り出した。ここには文字になりきらないような、生の感情が溢れている。

だれがながしても、なみだはいつも、ほしのまんなかにむかっておちた、

多賀盛剛『幸せな日々』(ナナロク社)

別れたあとの痛みは、誰かを失ってしまったことより、その人の前にいる時の自分を失ってしまったことの痛みだ。自分自身の一部が失われてしまったんだから、痛いに決まっている。
そうやって悲しいときには、いくら泣いたっていい。その涙さえ、宇宙の重力の法則にしたがうこと、そのことに救いがある。誰の涙も、いつの涙も変わらない。私ひとりのこころだけでは持ち堪えられないような悲しみだって、ビックバンの内側のできごとなんだ。
だから、泣いてもいいんじゃないか。見せてはいけない涙なんて、そんな特別なものはここにはない。私たちはただひたすら呼吸する生き物に過ぎないんだから。

たわむれに愛語りつつわれらみな寂しい獣の目をしていたる

永井陽子『葦牙』(永井陽子全歌集/青幻舎)

恋人との別れ。それはほんとうに寂しいことだ。
でも愛を語っていたときはどうだったろう。やっぱり寂しかったんじゃないか。
誰かを求めること。
ひとりでは生きられないこと。
そのなかに、すでに寂しさはある。哀しみはある。別れて初めて知ったことじゃない。最初からそんなことわかってた。
それでもまた、私たちは愛を語る。人生は、繰り返す戯れなんだ。

男は鞄から帽子を出した。
「帽子を持っていたことを忘れてました。こうすれば髪がぐちゃぐちゃにならない」
「ぐしゃぐしゃなのも似合ってましたよ」
「今の僕の心に似合ってるんですよ、あんまり見ないでください」
「ぐちゃぐちゃに悲しんでいいんです」

***
いつかまた彼に会いたいと思った。
悲しんでいるのに、明るく喋る彼に。

不意にドアの鈴が鳴った。
「すみません、いいですか予約してないんですが、」
「どうぞどうぞ、そんなもの要りませんよ」
「どうしよう、私、やぶれかぶれに恋人をふってしまったんです」
「後悔してるんですね?」
「最後に会った日にも好きって言うくらい好きだったのに」
「最後に会った日?」
「はい、エレベーターで」
そう言う下唇にも、小さなほくろがあった。

***
強い風に、ビニール傘が飛んでゆくのが見えた。
私がいつか失くしたビニール傘に似ている。それはそうか。ビニール傘はどれも似ている。
それでも、私の指紋のついたあの、世界にたった一つのビニール傘というのが、この星の上に今もあるはずだ。あの日、恋人がくれたビニール傘。
急いで手を伸ばせば、まだあの傘を取り戻せる。はず。

鈴木晴香(すずき・はるか)
1982年東京都生まれ。歌人。慶應義塾大学文学部卒業。2011年、雑誌「ダ・ヴィンチ」『短歌ください』への投稿をきっかけに作歌を始める。歌集『夜にあやまってくれ』(書肆侃侃房)、『心がめあて』(左右社)、木下龍也との共著『荻窪メリーゴーランド』(太田出版)。2019年パリ短歌イベント短歌賞にて在フランス日本国大使館賞受賞。塔短歌会編集委員。京都大学芸術と科学リエゾンライトユニット、『西瓜』同人。現代歌人集会理事。

いいなと思ったら応援しよう!