ところで、愛ってなんですか? [第10回]
美術館には、ひとりで行くのもふたりで行くのもいい。ひとりなら、好きな絵をいつまで見ていても構わない。ふたりなら、見落としていた絵の美しさを教えあえる。花と夕日で違う赤。煙突の奇妙な長さ。
どうして人は絵を見るのだろう。絵は、距離を隔てて見ることしかできないし、その日の心身のありようや選んだ眼鏡で、見え方は変わってしまう。それでも私たちは絵を見に行く。確かにこの絵に立ち会った、という事実に、立ち会いたいのだ。描かれたとき、この絵の前に画家は確かに存在した。時間を超えて画家と肉体を共有するような経験。触れずに触れるという感覚がそこにはある。
店のドアが乾いた音を立てて開く。太陽を受け取ったまま手放せずにいるような栗色の髪。ブラウスの釦の色はひとつひとつ違っていて、愛嬌のある服の選び方をする人だと思った。
「どうぞ、なんでも話してください」
「何度恋をしても、わからなくなるんです。好きな人に触れたくなってしまう気持ちはなんなのか。陽に灼けた手にも、頬のほくろにも吸い込まれそうで」
「それを後ろめたく思っている?」
彼女は小さく、はっきりと頷いた。
「好きだって純粋に思う心を裏切ってしまうようだから。ちょっとピュアすぎるかもしれませんね。そういうことがしたいから好きなのか、って思ってしまう。戻れなくなってしまう、とも」
もう何度も恋をしてきたという頬に、初めて世界に触れるような紅い色が差している。
愛することと触れること。子を愛するときには抱くだろう、と直感的に思う。けれど、恋愛においてはその信念の地盤は微妙になる。抱かずには愛せないのなら、愛よりも先に、肉体があるのか。
人間はそれをずっと考えてきたはずだ。
躊躇いもなく軽い、切手をはらりと貼るようなキス。たくさんの封筒にそうするように、他の人にもしてきたんじゃないのか、この人は。そんな恨めしさに、ただ一度のくちづけをなんども思い出す。あれは一体なんだったのか。一季節の気まぐれの相手だったんだろうか。だからって、なかったことにはならない。あなたから差し出された手紙である限り、私は、あなたの筆跡の残った何者かであり続けるだろう。
春。季節は始まったばかりだ。
「切手貼るように、ってちょっとずるいな。すぐに手放される感じがして」
「そう、もっと、過去や未来を含んだくちづけならよかった」
抱いて顔を寄せると、君の髪が湿っていることに気づく。そのことを伝えると君は、道すがら雨に降られたことを、それも美しい雨だったことを告白する。君が見た雨を僕は見ることはなかった。けれど君の語りのなかで、一緒にその雨に打たれることができるし、今、確かにその雨の名残を頬に受けている。
雨は、野の緑を映しただろう。そして、草の匂いを溜め込んだろう。もういちど、もっと強く顔を髪に近づける。今度は、その緑のひかりを、草いきれを感じることができる。
君を抱くことは、君の記憶を辿ること。両腕に、君の時間を包み込むこと。
「相手の内側に触れられる喜びがある、そうかもしれない」
「そう。そして、それだけじゃない。内側や外側という二分法そのものが揺らぐような感覚だってあるでしょう」
こころは、一体どこにあるの。その問いに、君は「全身」と答えた。
全身が、こころ。なんていうことだ。
心臓の奥なんかじゃない。頭もつま先も瞼も骨も、すべてこころなのか。
そうだとしたら、君は肩に触れながら私のこころに触れている。なだらかに熱を持つこの肩に。そして、この肩が感じている君の手もまた、紛うことなくきみのこころなのだ。
こんなふうに答えてくれた人は今までいなかった。これからもいないだろう。その人になら、全身を預けてもいいと思える。
「こころに触れるなんて美しく尊い。だけどやっぱり、それを私は罪深く思うのをやめられないと思う」
「それはおかしいことじゃない。愛は、こんなことはできないという留め金を外してしまうから、いつも狼狽えなければならないの」
樹木であれば簡単だ。
冬の柔らかい日差しに、戸惑うことも躊躇うことも、背徳を感じることもなく抱かれることができる。その淡いあたたかさに全身を委ね、春に葉を茂らせる用意をすることができる。樹皮の奥までそのひかりを吸い込むことができる。
しかしわたくしはどうしても人間であるところのわたくしである。やすやすと、ということばからは最も遠い。憚ることなく抱かれていいのだろうか。こんなふうに抱かれたら、もっと深いところへ行ってしまうんじゃないか。
だめだ、だめだだめだ。
樹木への憧れ。それは人間の業から逃れることへの叶わない希求。
***
カウンターの向こうの彼女は、自分を抱く形で両腕を組んでいる。頬の赤色は、見るたびに変化した。体温が変わり続けているからだろうか。それとも私の目がそう受け取っているだけだろうか。
これは絵では無い。唐突にそう思った。ここにいるのは、触れれば熱い人間である。
月が太っている夜も、痩せている夜もあった。なんども君を抱いて、確かめていたのは、君という存在のもっと奥、根源的な人類であったのだ。君ひとりを抱くとき、ここに辿り着くまで何万年も受け継がれてきた命や記憶のすべてを抱いていることになる。きみの手や耳の形、躰の動きのなかに、抽象的に濾過された人間の本質を見ることができる。
何より、自分自身もまた、人類のひとりである。君を抱くことは、私を抱くことでもあったのだ。だから、何度でもその温度を、柔らかさを、肉体からの逃れられなさを、確かめなければならない。
「触れることを後ろめたく思うのは、自分を知ってしまう怖さがあるからかもしれない」
「それもまたひとつ。その怖さを、ずっと両手で持っていた方がいい」
「それなら、怖がりながら、愛したい。そうやって愛せるかな」
「きっと」
怖がることと愛すること。砕け散ることと舞うこと。それは、矛盾しながら同時に存在することができるはずだ。
怖がりながら、愛せよ。
***
この街には、挨拶としての抱擁は存在していない。私はそれを知っていて、彼女には触れないまま見送った。笑窪をつくって笑う顔が眼裏に残っている。私の目が、彼女の頬に触れてきた幾人もの恋人たちと繋がっている気がした。
看板に描かれたハートが、いつもより赤く見える。コードをひっぱって電気を消しても、なぜだろう、目眩は続いている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?