憧れないで、好きになる
憧れスタートの恋愛って、だいたい泣いて終わる。
なんかこの人すてきだな。そう思った瞬間、私の脳内は「憧れ」モードを発動するらしい。すれ違ったら、きゃーっ。話しかけてもらえたら、どひゃーっ。だって緊張しちゃうんだもん。私なんかと意思疎通を図ろうとしてくれてる!って恐れ多くなっちゃうんだもん。相手が綺麗なのがいけないんだぞ、まったく。
すれ違ったら見つかる前に逃げちゃうし(見つめてるのがバレそうで)、会話の機会を得た日にゃ「えへへ、はい、うふ」とか謎にかわい子ぶった擬音を連発しちゃう。くりっとしたお目めがかわいくてしかたなくて、見たいけど見られなくて、だから視線はいつもきょどきょどしてた、と思う。
目も合わ(せられ)ない。会話も(でき)ない。ただあるのは、私が秘めた過剰なほどの「好き」だった。好きで好きで、眠たい数学の授業中とか、その人のことを思っては、胸がきゅんとうずいて、ぶわっと鳥肌が立って、ゾクゾクした。手をつないだら、キスしたら、セックスしたら……現実が貧相なぶん、妄想は大胆だった。でも、私がいちばん欲しかったのは、私と目を合わせてくれて、私に向かってにっこり微笑んでくれる、あの人。ただそれだけだった。
好きで好きで仕方なかったその人は、もうじき結婚するらしい。その情報も、私は直接聞けたわけではない。又聞きの又聞き。そんな程度の関係だったのか、と思うと孤独で胸がすうすうした。けどそれは、ある意味とうぜんのことなのだ。だってあの人から見た私は、ろくに話したこともない、人生におけるモブ的立ち回りのひとりだから。
目を合わせなければ、信頼関係は生まれない。
ことばを交わさなければ、愛は通わない。
憧れ、という感情は、やっかいだと思う。「あの人はすごい」と思うことは、相手を自分から遠ざける。無意識に、手の届かない人に設定してしまう。憧れから始まった恋は、恋だけど愛じゃないのだ。
だから。私は私に言い聞かせる。すてきだなと思える人と出会えたら、まず話をしよう。目を見て話して、聞いて、いっしょに夜道を帰ろう。そうして、にっこり笑いあえる関係になろう。
私の好きな人は、私の「好きだった人」に変わっていく。しあわせになってくださいね。私もきっと、しあわせになります。きっと。
まいかさん、またね。
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