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ミスiDとわたし。

はじめに

コロナ禍のど真ん中で亡くなった
わたしの恩人である、大塚社長へ捧ぐ

大塚社長はわたしの芸能所属事務所の社長であり、マネージャーであり、20代半ばを過ぎてから芝居を本格的に始めたわたしを、唯一拾ってくれた人。
とある舞台の公演中に声をかけられ、一緒にがんばりましょう、売れよう、と言ってくれた人。
以前の投稿“たむけの花を。”は大塚社長へ向けた想いである。
https://note.com/sayuriiwama/n/n3f0eed2043cd

晴天の霹靂だった。こういった言葉を日常的に使うことはまず起きない。まさに、新型コロナウイルスの衝撃と共に、わたしの恩人はこの世を去った。
芸能の仕事をしてみよう、お芝居をちゃんと仕事として成立させよう、とわたしに力を尽くしてくれた人。
わたしがいちばんわたしを信じられなかった。そんな過去のわたしに、できる!売れよう!と力強く自信をつけてくれた人。
大塚社長とのやり取りは唯一の希望だった。30歳を目前とした女性としての別れ道、結婚や出産、仕事、どれを選択するかで大きく分かれるであろう人生の選択。漠然としたビジョンにも寄り添ってもらった。
わたしは芸能の道を選んだ。当然、好きだけでは生き残れない世界だ。ひとりでは絶対にできない選択をした。怖くなかった。大塚社長となら、0だったものを1にできる。芸能活動で共に闘ってもらえる。これからもそんなはずだと勝手に思っていた。

コロナにより、直接お別れを設ける場ができないこと、まずそもそも社長の死を受け入れることができないこと。
さよならも、ありがとうも、言えないまま。
そしてなにより、恩返しができなかったこと。
社長の死は、わたしの心とからだを崩し、コロナウイルスを都合の良い理由づけにして、わたしは引きこもった。

5月31日 わたしの運命が動く日

偶然と偶然が重なるようにして、締切の3時間前にエントリーを果たすことになるミスiD。
この日たまたま目にしていなかったらミスiDにこのわたしがまさかエントリーを決めるだなんて!夢にも思っていない。
なぜならちょうど一年前、大塚社長とミスiDの女の子たちについて話したからだ。

“キラキラしてます、まぶしい女の子たち!”
“岩間のキャラじゃないな、ミスiDは”

その通りだと思った。そして巡り巡っていま、大塚さん、たいへんです!わたしエントリーしちゃいました!!不思議なんです。ギフトなんです!!わたしの心を包んで、大きなエネルギーを注いでくれるキャッチコピー!!

夢見る頃を、過ぎても
いまこそ、夢を見よう
自分だけの物語を紡ごう
夢を見るのにもう遅いなんかない

“わたしだ”
“岩間だ”

夢見る頃をとっくに過ぎているのかもしれない、けどこれはわたしなんです。大塚社長を失った今、決めるのはすべて自分。動き出そう、これはわたしのためであり、社長のためだ。悲しんで泣いてる暇があったら、前進しよう。

出会い

子供のころから大人しい性格で人のまねっこが心を落ち着かせた。誰かと一緒なら怖くない。超有名な某アニメ主人公の親友をそのまま画面から引っ張ってきました!みたいな、めがねっこ。
学校の図書館が唯一の居場所。わたしと本の出会いは図書館だった。
物語の中で主人公をわたしに当てはめる。
本の世界ならわたしは主人公になれる。

クラスで目立つ女子に憧れた。活発で人気者。いつも笑顔が素敵で、男女共に好かれて、かわいいあの子。いつのタイミングも、学生時代は必ずと言っていいほどこのポジションの女子が現れる。わたしは到底2番手でもなければ、脇にもいない。
その女子、彼女は彼女としてそこにいて、周りはみんな彼女に注目する。
○○ちゃん(下の名前)と呼ばれているのが羨ましかった。わたしはいつだって図書館の隅っこが似合う岩間さん。
わたしはひたすら本の世界に浸り、文字を書き出し、詩にすることに没頭した。
日なたより影でよかった。下手に見られるよりも静かでわたしにはちょうどいい。

病気

順調に過ぎてゆく学生時代、のはずだった。
高校1年の夏、異変が起きる。声が出ない、舌が回らない、目の前が砂嵐のようになって気がつくころには保健室のベッドの上。
からだと心がちぐはぐして、そこから8ヶ月、学校を離れた。生きてるのか死んでるのかわからないような世界に、感情のコントロールを失い、家族を悲しませ、わたし以上に母がつらかったと思う。3人姉弟の長女のわたしは母に見てほしかった、わたしを知ってほしかった、認めてほしかった、選んでほしかった。
わたしは地元を離れた。上京、といっても地元から東京までの距離は車で2時間弱。さほど離れてもいない。けれど、大きな決断。家族と離れ、親戚の家に引き取ってもらったわたし。病気は皮肉なことに、上京してから何事もなかったかのように落ち着いていた。

外国

新しい高校生活は何もかもが新しかった。このころ図書館へは立ち寄ることはほとんど無くなり、めがねっこ卒業と共に交友関係も広がった。
初めて“芸能”のお仕事をしている友達ができた。田舎育ちのわたしはそれだけで東京だー!すごい東京!とひとり心躍った。
ふとあの、図書館の隅っこを思い出す。あ、やっぱりわたしではない、あの子なんだ。キラキラしたあの子。選ばれるのはあの子。わたしは影だ。日なたにはなれない。本当はやってみたくて仕方なかった、幼いころから秘めたもの。“表現”の世界へ憧れ続けたもの。誰かわたしを見て。

“女優さんになりたい”

幻だったかのように、硬く封印した夢を無かったものとして振り切るかのように、大学時代は外国に目を向ける。
わたしをわたしとして、わたしです!と力強く肯定できる場所。オーストラリアへ。たったの4か月だったのに、語学勉強だけでなく、一日一日がとても濃厚で、自分のために丁寧に暮らすことがどれほど重要か、自分をしっかりと持っていないと強く生きれない、相手に優しくなれない、自分を主張することは決してわがままではなく、とても大事なことなのだ、と学んだ。
そして生まれてから経験したことのないことを味わった。“アジア人”であること。滞在していたオーストラリアのサンシャインコーストは、大自然に囲まれた環境で言ってしまえばド田舎だ。またホームステイ先が学校からさらに遠く離れたビーチと山しかないところ。外国人であるわたし、つまり白人ではないアジア人のわたしは、ビーチにいるだけで近所を歩くだけでよそ者扱い。学校帰りにバス停から歩いていると、車が勢いよく走ってきて急に窓を開けたと思ったら大声で叫ばれたり、ビルの窓からガラスの瓶が降ってきたこともあった。幸い怪我はなかった。差別を受けた、と捉えたことがなかったが(外国だったら多少は味わうよねー!くらいの気持ち)この経験は、後にBlack lives matterで深刻な問題と直面している大切な友人と結びつき(彼らが経験していることと、わたしの経験ではもちろん比べ物にならないが)今のわたしの中にしっかりと刻まれ、今後なにかの大切なきっかけになる、と確信してこうして記している。

私だけの物語

大学を卒業してからも必死だった。焦っていた。わたしはこのままでいいの?やりたいことがわからない。口下手な性格で、直接思ってることを口にできない。息ができない苦しさ。

会社員時代、2度目の病気を経て、わたしが本当にやりたかったこと、目指したいことをもう一度考えた。

“表現すること”

自分の気持ちを言いたいのに言わない、言わないのではない、言えないのだ。怖くて不安で嫌われたらどうしよう、と震えてしまう。どうせ綺麗事だろ!夢ばっかり見て!怖い。吐き出せないのなら全部飲み込んでしまえ。そう思ってた。
外国に触れて自分の弱さを知り、ただひたすら向き合った。今も向き合いつづけている。
幼いころの図書館隅っこめがねっこちゃんが顔を出す。
意思を持つこと。自己表現。

自分から発する言葉で大切な人を守りたい。
わたしは人に伝えたいのだ。芝居で、わたしの表現で、たくさんの人に伝えたい。単純にもっともっと影響力がほしい。影響力があったとしてもなにも変わらず、なにも起きないかもしれない。政治家にでもなるのか、と言われてしまうかもしれない。それでも、影響力、説得力、知名度、女優として、表現者として生き続けることで、同じような悩みをもって苦しんでいる人、勇気を出したくても出せない人、もっと身近な等身大のわたしで“あの人もがんばってるなら、自分ももうちょっとがんばれるかも”と思ってもらえるかもしれない、今まで知らなかったことを知るきっかけをつくれるかもしれない、誰かが耳を傾けてくれるかもしれない。
あなたに届けたい。自分に正直に生きることが自分勝手ではなく、自分を強くさせ、人に優しくなれることを。硬く封印した“やりたい”の扉を開放したとき、自由になれた。

芝居

会社員を辞めて飛び込んだ芝居の世界。何度も言うが、甘くない。趣味でやってもいいのに...会社員を辞めた。いつだって0からのスタートを切る。なにから始めたら良いかなんて判断できずに、たまたま舞台のオーディションを受けて、幸運なことにたまたま使ってもらえた。

“ひたちなかのラベンダー”

わたしの転機。この芝居を観て、声をかけてくれた大塚社長。新しい扉が開いた瞬間だ。
わたしの心とからだを通して、人に愛を届ける。昔あんなにちぐはぐだった、心とからだ。
芝居を通して自分と向き合い、前進する。0からの1へ。
昔のわたしからは想像していなかった経験をし、今こうしてミスiDに挑戦している。
“ミスiD”を知ったとき、いちばん自分が無縁だと言っていたはずなのに、今の自分のやりたいこと、目指していることに、すごく寄り添ってくれているのではないか、と気づく。“自由”と聞いて、自由であるが故に動き出せない不自由さがあるけれど、ミスiDは自らが自分に合ったものを自由に選択し、決断し、一歩踏み出すチャンスをくれる。日なたでも影でも関係なく。
“芝居”エンターテイメントは、こんな世の中だからこそ、より一層必要なものだとわたしは心から思う。みんな強くない。そんなに強くないからこそ一生懸命になれる。そんな心をわたしはそっと癒したい。わたし、すごくつらかったの!と言って同情して慰めて、似たような経験をした者同士、傷を舐め合いたいわけではなく、ミスiDの掲げている“自分だけの物語を紡ごう”を糧として、共に前を向いていこう、夢を見ていいんだ、叶えよう!と心から叫ぶ。わたし、寄り添うよ。

こんな気持ちを再確認できたのは、すべて大塚社長に出会えたからだ。見捨てずに寄り添ってくれた社長。
芝居を心から好きだと気づかせてくれた。
わたしがミスiDに取り組むことで、大塚社長にちゃんと報告がしたい。

“岩間がミスiD?!挑戦してるの?!”
きっと、ひっくり返っているところだろう。
 
アフターコロナで、もう一度、舞台に立ちたいのです。観てほしいのです。大塚さんの席を、特等席を作ります。

わたしは芝居をつづけます。
大塚さんが天国でも安心できるように。
ありがとう、さよなら、をちゃんと言えるように。
もう一度ここから、ミスiDで
0からのスタートを切ることを約束します。

そしてミスiDを通じて母にも伝えたい。
本当はいつだって見ててくれた。わたしが舞台に立つスケジュールを、いつもこっそり知っていた。

“あのさゆりが?!”
母もひっくり返ってしまうだろう。

ありがとう、お母さん。挑戦したいんだ。
わたし、この世界で生きたいんだ。
だからこれからも見ててほしい。

終わりに

命について考える
生きているということ
命があるということ
なんにでもなれるということ
チャレンジできるということ
命は大切
どんな命も大切
命があるかぎり
人に伝える
生きている楽しさ喜び
笑わせたい幸せにしたい
誰かを元気づけたい
命は大切
一緒に生きよう
大切に生きよう

わたしはエンターテイメントで
人を幸せにしたい
勇気づけたい
わたしのために
大切な人のために


コロナ禍でとても大変な中、今年のミスiDを開催する決断をしていただけたこと、とても感謝しております。
ありがとうございます。

大好きな家族、友達、仲間、
いつも応援してくれる方、
そして大塚さん

愛と感謝の気持ちをこめて


岩間さゆり


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