「今日も家のことしかしてない。」そう思ったら。
ここ数日、体がしんどくて家事を休んでいた。
3日経過する頃には、家の中は散らかり、汚れ、見事に荒れていった。
元気な時は、息をするかのごとくこなせる家事。
少し体調を崩せば、一気に重労働のように感じる。
少し前まで「今日も、家のことしかしてない。」
なんて言ってたけど、訂正しよう。
家事は、重大任務だ。
洗濯しなければ、着る服もない。
食器を洗わなければ、使う食器もないし、料理もできない。
掃除は、しなくても生活に大きな支障が出るわけではない。
でも、「汚い」「使いたくない」「気持ち悪い」
いつも不快な感情がつきまとうようになる。
生活の場所が滞ると、家族全員の暮らしが停滞する。
人は、当たり前なことほど気づきにくい。
たとえ、家族が家事の重要性をわかってないとしても、
毎日の家事は、大事な仕事だ。
これは、事実だ。
きれいに畳まれた洋服
きれいに洗われた食器
きれいに掃除された部屋
この日常が当たり前になるほど、家事に対する達成感も、感謝されることも減っていく気がする。
主婦(夫)業は、縁の下の力持ちとなって、家族を支える仕事。
当たり前すぎて、見落としてしまいがちだが、なくてはならないものだ。
家事や育児の価値を認めることができたら
どんなに一生懸命頑張っても、家事や育児には終わりが見えず、毎日同じようなことの繰り返し。
本来なら、家族にとって大切な仕事をしていることに、やりがいや充実感をもっていいはずだ。
それなのに、虚しさを感じている人の方が多いように思う。
「みんなやってることだから。」
「働きながら、家事も育児もこなしてる人もいるのに。」
特に、育児中は、思うように自分の時間がとれず、社会から取り残されているような感覚にもなる。だから、余計にそう感じてしまうのかもしれない。
5年前の私もそうだった。
毎日必死で、当時生後4か月と2歳の息子をワンオペ育児をしていた。
でも、毎日同じようなことの繰り返しで、他の人と自分を比べては、落ち込んで悲しくなったり、虚しくなったりしていた。
でも、もし、当時の自分が、家事と育児の価値をちゃんと認められていたら。
「私は、大切な仕事をしているんだ」と自信をもてたかもしれない。
同じことが繰り返されているように感じる毎日でも、やりがいを感じられたかもしれない。
「今日も、家のことしかしてない。」そう思ったら、
「今日も、家のことを頑張った。」に言いかえる。
ほんの少しの言葉の違い。
でも、その方が「明日も頑張ろう」と思えるはずだ。