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生きているだけで立派なのよ
ずっと、「立派にならなくてはならない」という呪いに縛られてきました。
立派な人にならなくてはならない。
人より優れた人にならなくてはならない。
立派なことを成し遂げなければならない。
子供の頃からずっとそれに縛られてきましたが、大人になるにつれて何者にもなれなかった自分を責め立てる気持ちも大きくなっていきました。
お前は何事もなし得ていないではないか。
もっと努力を重ねなければ、立派なことなど成し遂げられない。
もっと寸暇を惜しんで、立派な使命に邁進しなければならない。
自分の中のこうした声は年を経るごとに大きく響き渡るようになっていきました。耳を貸さないようにしようとしても、どんどん存在感を増していきました。
思えば2023年は、この声に全振りで応えた年だったのかもしれません。自分の命をかけて、自分の思う立派な「使命」を全うしようとしていました。
けれどその前後、真っ白に燃え尽きてしまいました。健康も損ねてしまいました。頭の中の声は、どうしてお前はそんなに弱いのだと焚き付けますが、どうにもこうにも応えられません。指一本動かすのもしんどく、ただただ寝込んで天井を見上げる日々が続きました。
頭の中の声は、「使命」を全う出来ない自分を責め立てました。弱い自分を責め立てました。もっと平和のために、みんなのために、粉骨砕身して尽くすべきだ。お前には価値がないのだから、それぐらいしてようやく、価値を生み出せるのだ。立ち上がれ、手を動かせ。進み続けろ。
それに応えようとしますが、心と体はどうにもこうにも動きません。今もそうなのかもしれません。「使命」に応えられない自分は、なんて駄目なやつなのだろうと縮こまり、動けない自分をさらに責め立てます。その無限ループに今もはまり込んでいるように思います。
平和のために動きたいと言いながら、その実、私の中では四十数年間に渡って大きな心の侵攻が繰り広げられており、その内情は決して平和どころではなかったのだと、書きながら、いまようやく気が付きました。荒れ地の中で、ずっとお題目のように平和を希求していたのですね。
その荒れ果てた内奥を表に見せることを拒んで、つるりとした穏やかさで心をコーティングしてきましたが、内奥の世界の荒廃をケアしないことには、これからの人生にっちもさっちもいかないようです。
2024年は、内奥の世界でずっと怯え苦しんできた自分をケアしながら、日々の平和を享受していく一年にしたいと願います。
立派なことをしようと思わないでいい。
あなたは、生きているだけで立派なのよ。
立派なことを積み重ねてきたのよ。
眠ると全てがリセットされてしまい、日々の積み重ねの感覚がない自分に、それを説き聞かせるのは容易なことではないかもしませんが、それでも根気強く伝え続けていきたいです。
生きているだけで立派なのよ、と。
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