じゃあね、おばあちゃん。
この話はもう終わりだと思ったけど、つづきのつづき。帰りの飛行機にて。
↓前回
しっかりせんね
お葬式が終盤に差し掛かった頃、私の頭の中でこの言葉が突如浮かんだ。まるで祖母からの強い伝言であるかのように、脳裏に張り付いて剥がれない。これは子供の頃から事あるごとに祖母が繰り返し私に言っていた言葉だ。
私は子供の頃から泣き虫で、引っ込み思案で、言いたいことも言えない内気な性格だったから、祖母から見ると頼りなくて仕方がなかったのだろう。うじうじオドオドした挙動が祖母の癪に触ってよく怒られた。怒られると私は更に萎縮して、やれと言われたことができないばかりか、涙が溢れてその場に立ち尽くして泣いたものだ。それによって尚更苛立った祖母はもう怖くて怖くて、、。もちろん父も母も助けてはくれない。
でも今になって思えば、祖母は自分の感情次第で怒ることはなかった。自らの不機嫌を八つ当たりでぶつけることはしていない。いつも何か理由があって、こうしなさい、ああしなさいと怒っていただけだ。それは‘怒る’というよりは、‘叱る’という表現の方が適切かもしれない。しっかりとした大人になってほしい、その揺るぎない想いが根底にきっとあった。そのお説教は常に筋が通っていたから。
日常のなかで、私はいつも夫から理不尽に怒られている。基本的には彼の機嫌や体調次第での八つ当たりであることが多い。つまりこれは‘叱る’ではなく、まさしく‘怒る’の方だ。大体いつも筋が通っていない。私のためを思ってのことでもない。夫の弱さが起因していることが殆ど。この違いに気がついた瞬間、私の中での祖母への畏怖が一気に立ち消えたような気がした。
とはいえ、何でこんなに厳しいんだろうだとか、私のことを全然理解してくれていない、信用もしてくれていないと思ったことはあった。だがそれはそれとして、自分の子供っぽいガチャガチャした恨み言なんか捨ててしまおう。それこそが過去の遺物のような気がする。祖母がいつもくれていたエールだけを改めて胸に刻みつけよう。そんな風に今は思えている。
お葬式の遺影は昔の厳しい面影なんてどこへやら、とても優しい穏やかな表情の祖母だった。最後の5年くらいはグループホームで楽しく和やかに過ごしていたらしい。お喋り好きの人だったから、日々賑やかに楽しんでいたのかな。よかった。すべてのことに満足しきったような安らかな死顔を見て、強張っていた私の心もなんだか溶けていった。
しっかりするよ。泣いてばかりいないで努力するよ、おばあちゃん。そう呟いて棺桶の蓋を泣きながら閉めた。おじいちゃんは待ちくたびれていることだろう。無事に2人がどうか逢えますように。
きちんとお別れに行ってきて本当に良かった。良かったなぁ。
さあ明日からまた頑張ろう。