友達0人のうた
すごいよくわかって草
かいくんは(かいくん自身を含める)人間に期待することを諦めてなくて偉いと思う。
本当に俺たちにとってつらいことは、誰かから嫌われることじゃなくて、誰かから嫌われたくらいで落ち込む終わってる性格なんだよな。
ある時思ったんだよ、ゴーヤチャンプルーのゴーヤをサボテンに変えても誰も気付かないんじゃないかって。
それとこれは全く同じことなんだ。チャンプルーっていうのは沖縄の方言で『ごちゃまぜ』という意味。
ごちゃまぜの中ではゴーヤなのかサボテンなのかどうでもいい。もっとも大切なことは調和を乱さないこと。豆腐や卵の優しい甘み、肉の旨味を害さないこと、それさえ守っていればゴーヤチャンプルーは俺がサボテンでもピーマンでもきっと受け入れてくれる。
自分のことをゴーヤだと思うからつらいんだよね、これからは自分のことをゴーヤチャンプルーだって思いなさい。
そしたらサボテンなお前でも美味しい料理になれますから……。
原因志向から解決志向へ……
問題解決には2つのアプローチがあって、その一つがかいくんが現時点でやっている原因志向の考え方だ。
これは問題に対して何が『原因』なのかを考える、というやり方で、何が『ダメなのか』から問題解決をはかるものだ。
コレ自体は何も間違っていない、原因の切り分けは問題解決にあたって王道で正道だから。
ただしそれが健康でないケースもある、それが今回のかいくんみたいなパーソナルな課題だ。
そういう問題で原因志向の考え方をすると究極的には『自分』が悪いという話になってしまう。
人の気持ちがわからない自分の性格が悪い、嫌われて人一倍落ち込む自分が悪い、アスペルガーな自分が悪い。
そうして問題は内に内にと閉じてしまい、責任の所在は曖昧になり、何も解決せず状況は悪化していくという最悪な状況に陥ってしまう。
ことさらアスペのような精神障害を原因志向で考えていくと、自閉的で自己憐憫にまみれたナルシズムの極致みたいなポエムを垂れ流す鬱病の嫌味バカが一人完成してしまう。。。(おまえのこと?)
そんなときは解決志向が役に立つ。
これはまあ対症療法みたいなことで、原因の追求に時間をかけるのではなく、解決策の模索に時間をかけるやり方だ。
かいくんは今さら自分なんて変えられないと思っていて、それなのに人に嫌われたくないと思っている。この難題に対して、原因の追求をするのではなく、あくまで解決することにフォーカスをする。
そしてそれこそが『ゴーヤチャンプルー』なのである。
サボテンである自分が今さらゴーヤになることはできない、かといって周りの肉や卵から嫌われたくない、ならばやることは一つただゴーヤチャンプルーを目指すだけなのだ。
人類はやがて皆ゴーヤチャンプルーを目指すようになる。
所属や階級を抜きにしてお手々をつないで輪になって歌って踊るか、それかゴマ油でグッチャグチャに炒められるか二つに一つなんだよ。
お前ならどっちを選ぶ?カイ。
お前の答えが聞きたいんだよ俺は。
(画像はユーフォルビアでサボテンによく似ているが全く別物、俺たちはサボテンですらないのかもしれない……)
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