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心身ともに限界がきそうな時の「安全な倒れ方」

めちゃくちゃ久しぶりに更新します。


倒れるサイクルが早くなっている

エネルギーを前借りして猛烈に活動し、限界がきたら鬱状態になる。それが私が抱える双極性障害2型です。自分の信念を貫き楽しみながらフル稼働しているうち、気づいたら予定が詰まりすぎてぶっ倒れてしまうというのを10年以上、繰り返しています。

先日、お盆明けにまた倒れてしまいました。
コロナ禍が始まってからは、数ヶ月に一度のペースで心の電池が切れている感じです。電池が切れたら1〜2週間何もできなくなって(気力がゼロになって、起き上がるのもしんどく、ずっと布団でゴロゴロするのみ)、3週間めから少しずつ仕事ができるくらいに回復しています。
コロナ禍によって「非日常」が続き、新しいことに挑戦せざるを得ない日々が続くことが、心身に負担になっているのだと思います。

大事なのは、安全に倒れること。

お盆明け。
「今日から仕事の再開、がんばらなくちゃ」という日に、私は気力が全く戻らず、泣きながら上司に相談をしました。「どうしても頑張れません、助けてください」と。

私は直近の数ヶ月で仕事を詰め込みすぎ、がんばってこなそうとするけど、どうにも手に負えなくなって体力を使い果たしていました。毎日、ギリギリのスケジュールとテンションで過ごしていたため、体も心も擦り切れきっていました。

こういう時に大切なのは、降り積もったタスクを洗い出し、信頼できる誰かと一緒に優先順位をつけて、キャンセルする仕事、延期する仕事、誰かに引き取ってもらう仕事という風に仕分けていくこと。とにかく抱えてる荷物を下ろして、自分が休める環境を作らないといけません。

私は自分なりに仕分け案を作り、上司に提案して、相談しながら結論を出しました。

これが「安全に倒れる」という作業です。ギリギリの一歩手前でこの作業を行うのが大切な気がします。タスクの洗い出しと、優先順位づけと、仕分けの判断。これをやるだけの最低限のエネルギーが残ってる段階で、「もう倒れよう」と腹を括るのが、安全に倒れるコツな気がします。

とはいえ、倒れるのは苦しい

仕分けをした結果、大切な予定をいくつかキャンセルしました。大切な人たちと一緒に作ってきた計画を中止にもしました。協力をお願いしてきた人たちにお詫びして。会うのを楽しみにしてた人たちに延期をお願いして。自業自得とはいえ、悔しくて申し訳なくて、面目ない。とても辛かったです。

誰も私を責めずにいてくれたことだけが救いでした。そんな人たちに囲まれて、本当に恵まれているなぁと思います。

突っ走りすぎないように、自分をコントロールする練習をし、日々いろんな工夫も重ねています。実際、少しずつ改善はしていると思います。でも、やっぱり軽躁スイッチが入るのを止められず、疲れ果てると鬱転するサイクルから抜け出すことはできていません。

希望は、鬱の底が浅くなったこと

とはいえ、悪いことばかりではありません。鬱転した時の鬱のキツさが年々軽減しているのです。

心身の限界を超えて倒れることは増えているのですが、倒れた時の症状はほとんどが身体的なものに限定されてきました。精神的なキツさ、希死念慮や強い不安は、ほんとに、びっくりするくらい少なくなったのです。

今でも消えたくなる日はあるし、数時間涙が止まらない日もあります。側から見たらキラキラしてるようでも、中身はボロボロの時があります。朝起きたら世界が爆発してたらいいのにと思ったりもします笑 でも、生きてて良かったと心底思える日が増えている感じがあるんですね。

生きるのは楽じゃないなーと今も思っています。仮に明日事故死したとしても悔いはないし、「生きることから解放された」とほっとしそうな自分がいることには変わりありません。でも、だんだん自分の扱い方がわかってきたから。これからも、もがきつつ泥臭く生きていこうと思っています。

どうせ生きるなら、楽しく。充実した日々になるように工夫しつつ生きていきます。

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